130,000部発行
2021年11月5日
通巻第302号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 節子  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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編集部のつぶやき
 私は千葉ロッテマリーンズのかなり猛烈なファンです。昔は子供たちがヤクルトを飲んでいて、スワローズの入場券がもらえたのでヤクルトスワローズを応援していましたが、現在その頃の選手は一人も残っていません。
25年前に千葉に引っ越して来てからロッテを応援するようになりました。当時のロッテは弱くて、稲毛新聞もよくロッテの選手の応援記事を書いていました。ロッテの選手は闘志をむき出しで闘うといった選手が少ないような気がします。
 ホームラン打者のレアードがホームランを打った時お寿司を作るポーズをしてそばにいる選手にふるまう様子がユーモラスで楽しみです。「今日のお寿司はなんでしたか」と聞かれると「大トロ」とか「いか」と答えるところを見ると外国人なのに本当にお寿司が好きなのだなあと思います。レアードのバットがまるで焼きちくわみたいに見えるのも楽しいですね。ちなみに私は石川投手と角中選手のファンです。
 今年のロッテはがんばりましたが、あと少しのところで残念でした。来年に期待しています。(節)

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随想 校舎建築の歴史
鎌ケ谷市・元稲毛小校長 島津幸生
 明治5年に学制が発布され、それぞれの地域にその村や町の財政に応じて小学校の校舎がつくられた。当初はお寺や民間の家が利用されている。財政規模に応じて校舎がその後各地に建てられるようになる。洋風の要素を取り入れた和風意匠建築で作られたり、それが地方によっては教育博物館として残されていたりする。
 7年後教育令が制定され、明治28年に校舎規格(片側廊下、運動場は南側、特別教室は端に置き、教室の広さは20坪・4間×5間)が決められる。9年後一律の北側廊下一文字型校舎で統一される。今ある多くの学校はこの規格で出来ている。
 明治晩年になり鉄筋校舎が出現するようになり、大正12年関東大震災後鉄筋校舎がふえる。戦後木造校舎の消失で昭和22年より鉄筋校舎化がすすむ。昭和59年多目的スペースの考え方により校舎内が様々なタイプの使われ方をするようになる。
 平成4年、今から29年前に校舎規格が撤廃されいろいろな間取りの校舎が出現するようになり現在に至っている。校舎規格については考え方としては合理的であるし教育の機会均等の考えに沿っているが北半球上での建設なので南半球での設置が念頭になかったようで後日問題となった地域もあるとのこと。校舎規格の撤廃によりいろいろな形の校舎が出現するようになる。その中のひとつに海浜幕張に出来た打瀬小がある。街づくりと共に開校しているのでもう26年になる。
 20年以上前になるが私が校長をしていた3年間になんと1万人以上の見学者があった。北は北海道、南は台湾まで、ヨーロッパからの視察もあった。建物が今までの既成概念にない作りで日本建築学会賞をもらっていたからであるが、校舎評に関して言えば、夏暑く冬寒い校舎、なぜならガラスが多いので。当時くもん子供研究所研究員小林佳子氏は「冷暖房完備の状態になれた現代人の身体にはちょっとこたえる」と論評。また群馬県の安中小学校校長高橋重治先生は「10年前研修で見て来たアメリカの学校にそっくり」と述べていた。校舎は校地・予算により出来上がる。教育には建物も大事だが運営する人的環境の方が大事だ。

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時代に埋もれた鉄道を訪ねて…(2)
「習志野線」路線跡を行く〜轟町・犢橋・作新台
沿線に点在する様々な陸軍の施設
今でも見られる遺構は県の有形文化財

千葉経大内に残る材料厰
 鉄道連隊演習線「習志野線」跡は、千葉公園から競輪場の前を通り轟町の住宅街に向かう。四街道方面へ向かう下志津線との分岐の跡も道路形状でわかるのが感慨深い。
 この近くの千葉経済大学は、かつて材料廠という列車やレールの修理などを行う施設があった場所だ。キャンパス内には伝統的なイギリス積みのレンガ建築による建物が残っていて、千葉県の有形文化財に指定されている。
 轟町から穴川にかけての一帯は、鉄道連隊以外にも戦車学校や歩兵学校など陸軍の施設が集中する地域だった。その跡地には今、稲毛区役所や放射線医学総合研究所、
児童相談所などが建っている。作草部にあった気球連隊の格納庫は倉庫会社がほぼそのまま使用していたが、残念ながら老朽化のため2020年に解体されてしまった。
 習志野線は穴川十字路の手前でモノレールといったん合流してから一直線に園生、宮野木を抜けていく。途中、さつきが丘団地北側の交差点を過ぎた緩やかな上り坂で、道路脇にさりげなく立っている小さな石柱に気づくかもしれない。
 鉄道連隊の敷地であったことを示す御影石製の境界標である。百年以上にわたり風雨に晒されてきたためか風化が激しく、正面に刻まれた文字の判読は困難だが、おそらく「陸軍用地」とあるはずだ。
 その少し先には「犢橋駅」が設けられていたとされ、広尾十字路を過ぎてすぐの地点から北へ向かう分岐線も存在した。現在の柏井浄水場や横戸緑地を通って花見川を渡り、ゴルフ場や花見川団地を抜けて再び本線に合流するループ状の「花島迂回路」である。演習の距離を稼ぐための遠回りだったようだが、機関車が非力ゆえ、なるべく高低差の小さい場所を通そうとしたからともいわれている。
 さらに進んで作新台に入ると急に歩道の幅が広くなる。ドラッグストアや紳士服量販店などが建ち並ぶあたりにも当時は駅があったらしい。付近には第一次大戦時に習志野俘虜収容所が立地していて、捕虜として収容されていたドイツ兵が日本人にソーセージづくりを指導したと伝えられている。 (小針洋三)

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市民ガイド
◎千葉県文書館企画展
房総の廃藩置県 -千葉県誕生までの移り変わり-
 今から150年前の明治4年に行われた廃藩置県はそれまでの封建的地方支配を終わらせた画期的な政治変革です。江戸時代以来の藩がなくなり、県に置き換わったわけですが、その実態はどのようなものだったのでしょうか?今回の企画展では、当時の収蔵資料を用いて房総ではどのような藩や県が存在し、その後どのようにして千葉県誕生へと至ったのか、その移り変わりの一端を紹介します。▼現在開催中〜令和4年2月26日(土)9時〜17時▼休館日・日/祝日/毎月末日/12月28日〜1月3日▼入場無料▼会場・千葉県文書館1階展示室(千葉市中央区4-15-7)
Tel043-227-7551/7552/FAX043-227-7550

◎千葉県立美術館
令和3年度企画展「漆黒のモダン 漆芸家 佐治賢使展」▼会期・現在開催中〜令和4年1月16日(日)▼休館日・月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)/12月28日〜1月4日▼入場料・一般500円、高校/大学生250円※20名以上は団体割引あり▼会場・千葉県立美術館 第1〜3展示室(千葉市中央区中央港 1-10-1)TEL 043-242-8311

◎永遠(とわ)に美しく
コロナ禍を強く生き抜く女性たちへのメッセージ★講演・柳内光子(山一興産株式会社社長)50分★テイータイム25分★「みっちゃん♪なんでも人生相談コーナー」30分▼日時・11月23日(火・祝)10時〜12時▼会場・ホテルグリーンタワー幕張4階「ロイヤルクレッセント」★会費・3,000円(ケーキ&&コーヒーセット付)▼主催・千葉県倫理法人会女性委員会▼申込みFAX047-336-9286※11月8日締切

◎まちなかボランティア養成講座
まち全体の「おもてなし度」をアッフさせる入門講座。外国人とのコミュニケーション、障害者への手助け、ちばの歴史、多彩な情報の取り方など、すぐ役立つ内容の講座です(体験実習も別途ご案内)気軽にボランティアの“はじめの一歩”を踏み出しませんか?▼日時12月5日(日)13時〜16時30分▼場所・高洲コミュニティセンター2F講習室1(美浜区高洲3-12-1)★講師・高山功一(千葉市身体障害者連合会会長)奥山惇(メジカラネット代表理事)小亀さおり(気配りや、コミュニケーションの取り方等を指導)他▼参加費・無料、定員20名(申込み先着順)★参加条件・中学卒業以上で千葉市に在住・在勤・在学の方▼申し込み方法・講座名「まちなかボランティア養成講座」と明記のうえ、お名前と連絡先(携帯)を、電話またはメール、FAXにて下記までお申し込み下さい。▼申し込み・問い合わせ:千葉市民活動支援センターTel043-227-3081/FAX043-227-3082▼メール:info@chiba-npo.net▼住所・千葉市中央区中央2-5-1千葉市中央ツインビル2号館9階

◎千葉経済大学地域経済博物館
令和3年度特別展「房総と海」海とともに歩んだ房総の人びと▼日時・令和3年11月13日(土)〜令和4年2月5日(土)9時〜16時▼休館日・日/月/祝▼所在地・千葉市稲毛区轟町3-59-5(千葉経済大学総合図書館棟1階)▼問い合せ・Tel043-253-9843

◎ギャラリー古島
「児玉美香トールペイント展」-クラフトで彩るありがとうの気持ち-▼11月12日(金)〜11月17日(水)/11月26日(金)〜12月6日(月)★ギャラリー古島・中央区春日2-25-11古島籐家具店2階(JR西千葉駅西友側徒歩1分)
Tel043-243-3313/FAX043-241-3041

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今月の人
千葉市美術館 館長 山梨 絵美子 さん
気軽に美術を楽しみ文化的刺激を受けられる場にしたい
 今年4月に「千葉市美術館」館長に就任した山梨絵美子さんは、1958年生まれで秋田県出身。1984年に「独立行政法人東京文化財研究所」の前身である「東京国立文化財研究所」に入所。2016年に同研究所副所長に就任した。東京都美術館運営委員会委員や千葉県文化財保護審議会委員などを歴任。専門は、日本近代美術史で、特に高橋由一、小林清親、黒田清輝など、近代日本の洋画を中心に研究を重ねてきた。企画・監修した主な展覧会に「没後100年記念東京国立博物館所蔵高野コレクション・浅井忠展」(2005年)、「生誕150年・黒田清輝展」(2016年)などがある。
 「千葉市美術館」は、1995年11月、中央区に開館。昭和2年築の旧川崎銀行千葉支店の建物を新しいビルの内部に包み込み、保存・活用する形で建てられた。開館記念展では「喜多川歌麿展」を開催し、5万人以上が来館した。その後、「東山魁夷展」や「大原美術館名品展」、「竹久夢二展」、「ボストン美術館浮世絵名品展」、「川瀬巴水展」、「椿貞雄展」など、多くの企画展を開催し、好評を博した。今年1月に開催した「田中一村 千葉市美術館収蔵全作品展」には1万4千人以上が来館。今年4月に開催した「大・タイガー立石展 POP・ARTの魔術師」には2万9千人以上が来館。これまでの通算入場者数は300万人以上に達した。
 美術館は、昨年7月に拡張リニューアルオープン。「常設展示室」や「びじゅつライブラリー」、貸出施設「市民アトリエ」、参加・体験型施設「つくりかけラボ」「みんなでつくるスタジオ」などを新たに設置した。
 今後取組みたい企画展について山梨館長は「千葉を含む房総という土地と美術がどのように関わってきたのかが浮かび上がる展覧会、地域ゆかりの作家や房総を描いた作家の展覧会など、美術館から積極的に作家と房総との関わりを作っていくことを試みても良い」と語った。
 好きな画家は、黒田清輝や藤田嗣治だという山梨館長は「これまで美術館が蓄積してきた収蔵品や学芸活動の成果がさらに多くの方々に届くように、収蔵品目録のウェブ公開や書物としての刊行、美術館紀要やニュースのアーカイブ化とデジタル発信、可能であればウェブサイトでの発信の多言語化などを行い、美術館の価値を国内外に発信したい。また、展覧会に関連した講演会やイベントなども積極的に行い、市民の方々が文化的刺激を受けられる場になるように一層努力をしていきたい」と抱負を語った。現在、美術館では、企画展「福田美蘭展」を12月19日(日)まで開催している。
【千葉市美術館】043-221-2311(取材・浦野美智子)

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随筆 血も涙もない男

吉成 庸子さん
 昨日まで降り続いた雨が止んで、今日はすっかり晴れ上がった青空が美しい。 食欲の秋、おしゃれの秋、芸術の秋、好きな季節が巡って来たというのに、私の心は少しばかり沈み込んでいる。何故って「千葉のおかみさん会」の大切な仲間のうち5人もが足を折ったり、腕を折ったりで、外出できない状態になっている。
 多少年令が高いという事はあるけど、こう立て続けにケガ人が出ると、驚くと同時に心配にもなる。「お祓いした方がいいわよ」という事もあり、成田山新勝寺へお参りに行った。おかげ様でその後、ケガ人は出ないのでホッとしているけど、ケガをした人達は本当に気の毒で1日も早い全快を祈っている。
 骨折の経験は私もあるが、さぞかし痛いだろうし、日常生活でも不自由されているだろうと同情している。あれは何年前になるだろうか?まだ儀ちゃんが健在だった頃だ。 
 私は友人2人とパーティに出席のため、タクシーで東京へ行った。丁度霞が関のあたりだった。私の乗っていたタクシーが前を走っていたタクシーと衝突してしまった。気がついたら私は後部座席の下に落ち込んでいた。腕がものスゴク痛かった。一緒に乗っていた人は首や肩が痛いと言っていたが、どうやら私が1番ひどいらしいので、少しだけ安心。
 救急車を呼ぶという声も出たが、この位なら平気と別のタクシーに乗り換え予定通りパーティに出席して自宅に帰った。本当は腕が痛くて痛くてたまらなかったのだけど、こらえていた。
 帰宅していた儀ちゃんに「車がぶつかってこんなになっちゃった」と腫れ上がった腕をみせた。儀ちゃんはジロリと腕に目をやってから「亭主の晩飯の支度もしないで東京へ遊びに行ったバチが当たったんだ。いい気味だ」と言う。
「コンチクショウ」と思ったものの、とても起きていられないので、毛布にくるまって横になりジィっと痛みに耐えた。
 でも我慢出来ず、つい「痛いヨォー、痛いヨォー」とさけんでしまう。その度に儀ちゃんは「うるせー、うるせー」と怒鳴った。
 それでも可哀そうになったのか、コップになみなみと日本酒を入れて持ってきた。「これ飲め」と私に差し出す。私は一気に飲んだ。
 ところがところがである。5分も立たないうちに激しい痛みがおそってきて、私はのた打ちまわった。翌朝、病院に行くと右ひじ複雑骨折ですぐ入院、手術となってしまった。
 退院してからも儀ちゃんは優しい言葉ひとつかけやしない。左手にスプーン持ち食事をしている私に「飯なんてさっさと喰うもんだ。ノロノロ喰っていたら口の中でクソになってしまうぞ」なんて言う。血も涙もない男だと私は本気で怒ったっけ。
 でも今じゃそんな儀ちゃんの暴言がなんとなく懐かしく思い出される。

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櫻井俊雄物語(17) 「保健所玄関に消毒も体温計もない」
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎

櫻井俊雄氏
 コロナ対応で忙殺されたのが医療機関と保健所であることは間違いがない。この大災害に相当の自己犠牲を強いられたと、俊雄は心底感謝している。
 保健所がその対応できる仕事量をはるかに超える業務をこなさなければならなかったはずで、大変さは想像を絶するだろう。
 昨年、千葉ロッテがコロナ禍にみまわれたとき、多くのファンは保健所の発表をかたずをのんで待っていたものだった。接種の問い合わせ、診察を受けられる病院はどこかなど、とにかくコロナに関係することは保健所に聞くしかなかった。私たちは保健所を信頼し、頼りにしている。
 その千葉市保健所の玄関口に、消毒や体温測定のシステムが設置されていなかったという、信じられない事実が発覚した。どうしてこんなことになったのか、俊雄は「お役所の縦割意識が招いた弊害」だと、大いに嘆いている。
 保健所は、「体温計や消毒システムの設置は庁舎管理に属するから所管は本庁の医療政策課で保健所総務課は関与しない。各課には消毒薬を配置しているが、来客は少ないから玄関口には設置していない」との回答が信じられないという。市民が聞いたらどう思うだろうか。「飲食店や市民生活には厳しい予防措置や休業を要請しているのに、保健所にシステムがないのでは示しがつかない」と訊くと、「休業要請は保健所がやっているわけではない」との回答があったというから驚きだ。
 自前の保健所を持っているのは千葉市のほかには船橋市と柏市。船橋市保健所は「消毒薬を設置している」、柏市保健所は「検討委員会で協議した結果、玄関口には消毒薬を設置し、ハンディ―タイプの体温計を用意している」とのことであり、その他の千葉県所管の全保健所も消毒薬の設置は済ませているという。それが普通だ。
 千葉市保健所は10月末になって、「ご指摘があったので玄関口に消毒薬を設置する」としているが、新規感染が急速に減ってきた今になって設置とは絶対におかしいとだれもが思うはずで、感染防止の総本山であるべき保健所の在り方としては考えられない。
 保健所の全職員が全霊を込めてコロナ対策に取り組んできたであろうに、その努力を無にしかねない幹部の縦割り意識だと、俊雄は強く感じている。もちろん、このこと一つで保健所への信頼が揺らぐことはないが、お役所の縦割り意識がここまでかと俊雄は落胆している。

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