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編集部のつぶやき
 いつも稲毛新聞をご愛顧いただき誠にありがとうございます。稲毛新聞は平成8年の創刊から27年が過ぎ来月で第327号を迎えます。これもひとえに読者の皆様のお陰と心より感謝申し上げます。
 さて、様々な出来事のあった令和5年も残り少なくなりました。異常に暑く長かった夏も時が過ぎればいつものように秋を迎え、厳しい冬が訪れようとしています。稲毛新聞も移り行く時と同じように新たな時代に向かい、地域コミュニティにおける情報発信を担う責任を果すべく来たる令和6年を目前に控え新聞紙面とホームページのリニューアルを行います。新しい企画がスタートし、人気のコーナーは更に充実させ読者の皆様により楽しんでいただける内容にしてまいります。次号12月1日発行号にどうぞご期待ください。

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随想 らんまんから150年
鎌ケ谷市・元稲毛小校長 島津幸生
 NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公牧野富太郎(日本植物学の祖、1500種以上の植物の命名者)氏が生まれたのは文久2(1862)年でこの年は生麦事件や松平容保が京都守護職に就任、その後新選組が誕生。各地に小学校が出来るのが明治6(1873)年なので彼はこのとき11才になっている。
 牧野富太郎の名を直接聞いたのは千葉大文理(今の理学部)の学生時代で系統植物学の最初の時間、教授の渡辺清彦先生が「私は牧野富太郎先生の最後の弟子だ」と自己紹介されたのだ。
 明治政府は明治4年に文部省を置き5年に学制を発布した。この年、千葉の印旛県が流山市に印旛官員共立学舎「小学校教員になろうとする人々に教授内容や方法を習得させる場」をスタートさせている。
次の年千葉県が出来学舎は1年で千葉町に移転、次の年明治7年5月千葉師範学校となり戦後新制国立千葉大学教育学部となっていく。同窓生は4万人以上。現在の同窓会事務局長は水野平吾(昭和51年卒)氏。
 ちなみに明治10年に師範第1回卒業生、第3回卒業生の中に日本点字の創設者で幕張小学校の初代校長石川倉次がいる。「らんまん」の舞台の東京大学の創立は明治10年である。
 各地の小学校設立は各村・町の財政規模によりスタート。もちろん校舎も異なった。千葉県小中学校校長会編「校長会50年の回顧と展望」によると千葉市内で最初に出来た学校は明治6年1月18日設立の犢橋小で、らんまんから150年たつ。そう言えば私がお世話になった桜井欽一先生は「鉱物界の牧野富太郎」と言われていた。

□読者プレゼント
 このたび今までに書いた随想を冊子にまとめました(A版30ページ)のでご希望の方に贈呈いたします。(1)氏名(2)年齢(3)郵便番号(4)住所を明記の上、はがきで稲毛新聞社に11月17日(金)までお申込みください。

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千葉一族盛衰記
第六話 平高望と菅原道真の人生の交差
歴史噺家 けやき家こもん
 今回から、平将門(たいらのまさかど)の話しに舞台を移していきましょう。
 前号の家系図をご覧いただくとわかりますが、将門は千葉一族の祖、平高望の孫です。また、将門の次女である春姫は、将門の従弟である平忠頼の正室となり、平忠常(たいらのただつね)という「上総の暴れん坊」を産みました。この平忠常の曾孫(ひまご)が、後に千葉一族となるのです。そんなわけで、平将門は血筋的にも千葉一族の成立になくてはならない人物というわけです。
 そこで今回は、「平将門誕生前夜」である「平高望とその息子たちの時代」の状況を、駆け足で説明します。

平高望とその息子たちの時代
 平高望とその息子たちは、がむしゃらに上総の経営に乗り出しました。
 そのあたりは文献の裏付けがあるわけではないので確たることは言えません。しかし、当時の上総を含む千葉県一帯は、高望たちにとっては「荒ぶる蛮族の地」でしたから、通り一遍のことをしていてはたちまち大反乱に発展しかねません。そんな緊張感ある上総の統治を、彼らは命がけで行ったはずです。
 親子で決死の覚悟で経営にあたった結果、おそらく軌道にのったのでしょう、高望は上総介(かずさのすけ)の任期が過ぎても帰京しようとしませんでした。高望が時間を稼いでいる間に、高望の長男である国香は、ざっくり言えば現在の茨城県にあたる常陸国の源護(みなもとのまもる)の娘を、三男の良将は下総国相馬郡の犬養春枝の娘を妻とするなど、在地の豪族との関係を深めていきました。
 その結果、高望親子は上総以外にも常陸、
下総といった広大な未墾地を開発し、それらの地に、血縁を武器に強力な武士団を形成しました。この地に根を張った武力集団が、後に平将門を「新皇」たらしめる土壌となるのです。
 ここまで平高望について話してきたので、高望の最期についても少しだけ触れておきます。

平高望の最期
  高望は、上総をはじめとする千葉周辺の平定に成功した後、902年(延喜2年)に現在の九州地方である西海道(さいかいどう)の国司に任命され、大宰府に居を構えました。おそらく、朝廷としては上総で力を持ちすぎた高望を恐れての人事だったのではないでしょうか。
 ちなみに当時の大宰府は、軍事・外交を主任務とし、九州地方の内政も担当していた「九州の中心地」です。前任の上総介と比べると、西海道の国司は明らかに格が上ですから、栄達人事ではありました。ただ、この処遇を高望がどう思ったかは、今となっては知る由もありません。
 高望は911年(延喜11年)、この地で亡くなるのですが、高望が大宰府に赴任した翌年の903年(延喜3年)には、昌泰の変により失脚した菅原道真が同地で亡くなっています。

2つの人生の交差点「大宰府」
 菅原道真といえば、中級貴族ながら宇多天皇に寵愛されて公卿にまで栄達した人物です。忠臣であると同時に才人として名高い人物ながら、藤原時平の讒言により政争に負け、大宰府に左遷されてしまったことで有名です。魑魅魍魎が跳梁跋扈する都で栄達すると、こういった政争がつきものなのですね。不遇を嘆き亡くなった後、怨霊として畏れられたり、さらに後には天満天神となり学問の神様として崇められたりし、死後なお数奇な変遷をたどったこの御仁は、平高望と同時代人でした。
 写真は、現在の太宰府天満宮の本殿です。太宰府天満宮の公式サイトによると、この建物の由緒は、905年(延喜5年)、道真公の御墓所に門弟の味酒安行が廟を建てたことが、太宰府天満宮の始まり、とあります。その後、919年(延喜19年)に醍醐天皇の勅命を受け最初の御社殿が造営され、数度に亘って兵火で焼失した後、現在の御本殿は1591年(天正19年)に筑前国主小早川隆景によって造営されたそうです。数回にわたり兵火で焼失したとはいえ、立て直しは都度慎重に再現をはかったことでしょう。
 その意味で、この建物は平安中期の様子を相当程度今に伝えているものと思われます。
 都の中心で栄達しつつ、政争に負け不遇の最期を遂げた菅原道真と、都を厭い荒ぶる上総の地を治め、国司として九州に赴任した平高望。二人は、大宰府で邂逅したのでしょうか?もし会ったとして、二人はどんな言葉を交わし合ったのでしょうか?
 文献にはまったく残っていない「歴史の一場面」に思いをはせつつ、第6話の筆を置きたいと思います。

【著者プロフィール】 昭和46年佐倉市生まれ。郷土史や伝説をわかりやすく、楽しく伝える目的で、落語調で歴史を語る「歴史噺家」として活動。著書に「佐倉市域の歴史と伝説」がある。

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市民ガイド
千葉湊大漁まつり 〜第47回千葉市民産業まつり〜
今年も7つの無料大盤振る舞いを、千葉ポートパーク円形広場にて開催します!
▼大判振る舞い【無料】:外房イセエビの姿焼き60人分・サザエのつぼ焼き100人分・ハマグリの浜焼き100人分・小松菜100人分・濃いニンジン(ジュース)100人分・リンゴといわし煮のセット100人分・月星餅どら100人分※先着順※9時30分から整理券を配布▼ステージイベント(稲毛高校・附属中学校・稲毛国際中等教育学校による吹奏楽演奏、大道芸人パフォーマンス、スペシャルライブ、ちばポートアンバサダーPR、お笑いライブ、チアパフォーマンス、幕張総合高校によるダンスパフォーマンスなど)▼体験ブース(自衛隊制服試着体験・パネル展示・軽自動車被害軽減ブレーキ体験・大型トラック試乗&VR体験・初心者向けスケートボード体験・キックターゲット・バーチャルサイクリング・スピードチャレンジ・フリースローチャレンジ・千葉市消防局消防艇「まつかぜ」放水訓練)
▼会期:2023年11月23日(木・祝)10時〜15時30分 ※荒天中止▼開催場所:千葉ポートパーク(千葉市中央区中央港1/JR京葉線・千葉モノレール千葉みなと駅下車徒歩約12分)※会場には駐車場はありません。公共交通機関をご利用ください▼問合せ:千葉市民産業まつり実行委員会(千葉市役所観光MICE企画課内)Tel043-245-5282(土・日・祝日を除く8時30分〜17時30分)当日の問合せ:千葉ポートタワーTel043-241-0125(9時〜15時30分)

◎千葉県立美術館
【千葉県誕生150周年記念 オランダ文化交流事業】テオ・ヤンセン展
本県とゆかりの深いオランダとの文化交流事業として、オランダ出身の世界的アーティスト テオ・ヤンセンの展覧会を開催。風の力で動く巨大アート作品「ストランドビースト」をはじめ、自筆スケッチや制作に必要な道具類なども公開。12月3日(日)には、一般の方への参加を広く呼びかけた上で、ビーストの隣を歩ける海岸歩行イベントを、千葉みなとで国内で初めて開催。千葉の海を背景に、まるで生き物のように動く「ストランドビースト」の迫力をぜひ間近で御覧ください。
▼会期:現在開催中〜2024年1月21日(日)まで/9時〜16時30分(入場は16時まで)▼休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)/年末年始=12月28日(木)〜1月4日(木)▼入場料:一般1,000円/高校生・大学生500円 ※中学生以下、65歳以上、障害者手帳等をお持ちの方と介護者1人は無料 ※文化の日11月3日(金・祝)は入場無料▼問合せ:千葉県立美術館(千葉市中央区中央港1丁目10番1号)Tel043-242-8311/Fax043-241-7880

◎「健康麻雀倶楽部フレンド」
賭けない、吸わない、飲まない 初心者歓迎!
麻雀は脳トレ効果、認知症予防にもなります。初めての方にも親切丁寧にお教えしますので、この機会に始めてみませんか? 初心者、経験者、年齢問わず、お1人でも、お友達同士でもOK。ぜひお気軽にご参加ください。
▼会期:11月17日(金)13時15分〜16時15分/11月24日(金)9時15分〜12時15分/12月5日(火)9時15分〜12時15分or13時15分〜16時15分/12月19日(火)9時15分〜12時15分or13時15分〜16時15分▼会場:まちスポ稲毛(千葉市稲毛区長沼原町731-17フレスポ稲毛内)▼費用:1,000円(初心者のみ初回に教材費300円別途要)▼申込み&問合せ:Tel090-7245-8474/メール=n.kouichirou0206@gmail.com(野澤)

◎「千夜市夜」古本市も同時開催
ハンドメイドの雑貨やアンティークの家具など、物語がつまった品々が並ぶ「千夜市夜」。絵本に雑誌、写真集、小説、エッセイ、料理本などの古本市も同時開催
▼会期:2023年12月3日(日)10時〜17時▼会場:千葉みなと港湾緑地(JR・千葉モノレール千葉みなと駅から徒歩7分)※入場無料※会場には駐車場はありませんので公共交通機関をご利用ください。

◎千葉駅前大通りではしご酒
「ちば富士見屋台横丁」
千葉市富士見町に並ぶ数々の名店が出店。千葉市の飲食文化を守り、良さを伝え、人々の交流が生まれる新たなスポットを目指して2017年11月から開催を続けている千葉の新たな注目イベント
▼会期:11月17日(金)16時〜22時/11月18日(土)12時〜22時/11月19日(日) 12時〜20時▼会場:千葉駅前大通り

◎ギャラリー古島
大野晶平 作陶展
協賛出品:つまみ細工 平川真理子▼会期:2023年11月10日(金)〜11月15日(水)
クラフトで彩る ありがとうの気持ち
−こんな贈り物さがしてた−
帽子、皮革バッグ、トンボ玉、彫金、張子、土人形、ニット、陶芸干支、陶芸、ボード織、正月飾り、カレンダーなど500点余りを紹介
おかげさまで恒例の「ありがとうの気持ち展」も30回を迎えることができました。当たり前の日常への感謝と共に、明日への希望は小さな「ときめき」だと信じております。これからも心地よい日々の暮らしに「真心」と小さな「ときめき」をお届けできる存在になるよう努めて参ります。
▼会期:2023年11月24日(金)〜12月4日(月)10時30分〜18時30分(最終日のみ17時まで)※会期中無休
▼場所:千葉市中央区春日2-25-11古島籐家具店2階(JR西千葉駅西友側徒歩1分)Tel043-243-3313 
※市民ガイドは10月末時点の情報です

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随筆 結婚三年目の初夏

吉成 庸子さん
 儀ちゃんと結婚して三度目の初夏を迎えていた。
 休日でもほとんど外出の多い彼だが、その日は朝から家に居た。久しぶりの休日だからゆっくり寝ていてくれればいいのに…。
 その朝も儀ちゃんは六時半に起きて朝風呂に入り、七時半に朝御飯だ。まあネ、その当時の朝食はあんパン一個にレモンティーだけだったから簡単だった。でも私はそれじゃあまりに貧相だと思い、ゆで卵をつけ足している。
 食べるのも儀ちゃんはすごく早い。「紅茶おかわりしないの?」といつも聞くのだけれど、儀ちゃんの答えは「いらん」といつもおんなじ。
 さっさと朝食をすませると新聞三紙を抱えて茶の間に入っていった。
 珍しく、今日は庭仕事しないんだなと思い、私は紅茶に儀ちゃんが大切に飲んでいるナポレオンをたらし、ゆっくり紅茶を楽しんでいた。だが、その時、茶の間から大声が聞こえてくる。
「お母さんメガネがないぞ」と言っている。「ハイハイ、すぐに探しますよ」と私は小走りで茶の間に入り、机の上やテレビの脇等探してみるが、メガネは見つからない。
「変ねえ、何処にいったのかしら?お父さんのカバンの中じゃないの?」と私は言った。「カバンの中はとっくに探した。あんたがどこかにかたしたんだろう。早く探せ」とうるさいこと。「ハイハイ、一生懸命探してみますよ」。私がそう答えると、「ハイは一つでいい!」とまた怒る。
 私はもう一度台所を探し、応接間も念のため探してみたが見つからない。
 仕方なく茶の間に戻り「どこにもないよ」と彼に告げた。「全く役立たずな女だな」と儀ちゃんは私をにらみつけた。私はいささかムッとして彼の顔をにらみつけた。
 するとどうだろう。メガネは彼の頭と額の中間にちゃんとかかっているじゃないか。私は「お父さん、メガネはオデコにかかっているじゃない」と教えてあげた。 
 あわてて頭に手をやり、メガネを発見した儀ちゃんは、「ああ、ここにあったのか。気がつかなかったあんたが悪い」なんて言った。私は「早くもボケが来たんじゃないの?」と皮肉を言ってやった。「俺の家系にはボケたのは一人もいない。あんたこそ気を付けろ」だってさ。
 ホント負け惜しみの強い奴だと少しカッカしたけど、逆らうのはやめた。
 結婚してから三年の間に、彼の性格や癖は多少学んだから。一言でも言い返すと十倍になって返ってくる。だから絶対に逆らわない。
 その代わり、儀ちゃんの言葉も聞いちゃいない。次に買いたい洋服とか、「あのお芝居を絶対観に行こう」なんて考えてるだけ。
 そんなわけで、我が家はあまり喧嘩はしなかった。すべて私の忍耐の賜物なんだけど。
 あの当時、私もまだ若かったから、儀ちゃんの帰りの遅い夜など、一人夏の夜空を眺めながら「あーあ、結婚しなけりゃよかったかなあ」なんて、華やかな夜の銀座に想いを馳せた日もあったっけなあ。
 今じゃ、結婚して千葉に住んでホントに良かったと思っている私なんだけどね。

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櫻井俊雄物語(41) 「宗教法人解散請求、法改正に穴!?」
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎

櫻井俊雄氏
 旧統一教会の被害者救済に向けて、旧統一教会の財産の保全のための法改正をめぐる話題が連日報道されている。
 旧統一教会に対する解散命令が確定すれば、裁判所が選任する清算人が旧統一教会の全財産を管理することになり、その資産の中から被害回復に向けて賠償資金が捻出される予定だとされている。
 ところが、それまでの間に資産を現金化して韓国の本部に送金するなどの様々な手段で資産隠しが行われると、せっかく宗教法人に対する解散命令を勝ち取っても、被害の回復が図れなくなるのではないかと俊雄は危惧している。
 解散請求するだけではなく、資産散逸防止策を講じる必要があり、そのための法整備が求められているはずだ。立憲民主党と日本維新の会は積極的に法を改正して資産凍結を図るべきだと主張し、与党は現行法の範囲で対応できると主張している。
与野党に温度差があるものの、いずれにせよ今の国会で論戦が繰り広げられるはずだ。もし解散総選挙となった場合、主要な争点の一つになるほどの重要課題だと俊雄は見ている。
 しかし俊雄は、与野党ともに法改正の重大な論点を見落としているのではないかと指摘している。それは、許認可を申請する場合の「欠格事由」だという。色々な許認可には、一定の条件に該当すると許認可の申請ができなかったり、取得していても取消しになったりするが、宗教法人法には欠格事由の定めがないというから驚きだ。
 運転免許がわかりやすい。累積点数がたまれば免許が停止になったり取消されたりするのは誰でも知っている。建設業や運送業、パチンコ店などの風俗営業をはじめ、あらゆる業種の許認可に欠格事由が定められている。一定の犯罪により有罪となった者や過去に何かやらかしたものが役員にいるとダメだというが、欠格事由該当者が別法人に転職しても許認可が下りない厳しさだと俊雄は言う。この厳しさが宗教法人法にはないと俊雄は指摘する。
 旧統一教会が解散しても旧統一教会関係者が新たな宗教法人設立の申請を行った場合、少なくとも法律上は文部科学省に設立の認可申請を拒否する条文がなく、設立認可手続きに瑕疵がなければ認可するしかない仕組みだけは変えなければならないと俊雄は深刻な思いでいる。同一事案の再発を防ぐ狙いがあるのなら、やるべきだという。新たな申請が出されてから慌てても遅きに失することになりかねない。
 一方で、宗教法人の解散請求自体に、信教の自由を害するとの理由で反対意見が述べられる場合があるが、宗教法人が解散されても特定の宗教が禁止されるわけではないのだから、信教の自由が侵されるわけではないのは明白だと俊雄は憤る。相当程度の多数の被害が確認されている以上、国がその回復に寄与するのは当然の役目ではないかという。
「自分で献金したのだから返してほしければ自分で訴えでも起こせばいい。国を巻き込むな」との主張がいまだにあるのは暴論にすぎて唖然とするし、極めて残念だと俊雄は悲嘆にくれる。
 旧統一教会の教義をとやかく言っているのではなく、献金のあり方が問われているだけだということを忘れてはならない。
信者が入信を続けることについて、とやかく言っているわけではない。それこそ信教の自由が守られている証だと俊雄は思っている。

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