発行日/2022年8月5日  発行責任者/佐藤 節子  発行部数/116,500部  年間郵送購読料/3,000円
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編集部のつぶやき
 先月の「編集部のつぶやき」は車を運転しているときにイライラするのは更年期なのか…という話でしたが、私の場合、イライラではなく、涼しい部屋にいても急に暑くなったり、息苦しくなったり、何かあったわけでもないのに突然、気分が落ち込んだりします。調べてみたところ、これらもどうやら更年期の症状の一種だとか。
 人によって症状は違うようですね。そういえば、私の母は過去にとてもイライラした時期があったと聞いています。そのころ、父には「私のイライラは更年期の症状だから、お父さんに当たってしまったらごめんね」と伝えていたそうです。そして、ある程度の年齢を過ぎたら自然におさまったと言っていました。
家族や職場の人には、前もって更年期であることや症状を伝えておいて、理解を得ることも大切かもしれません。
 私の症状について、先日、稲毛駅近くの婦人科で相談したところ、漢方薬を処方されました。まだ効果はわかりませんが、不快な症状もいつかは落ち着くのだとわかれば、悩む必要はないのだと思えるようになり、少し気持ちが晴れました。やはり「病は気から」ですかね。(真)

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随想 懐かしのメロディー
鎌ケ谷市・元稲毛小校長 島津幸生
 戦後の最初の歌と言えば並木路子の「リンゴの歌」がある。昭和24年頃か、70年以前になるが東京下町の小学校でだが校庭で巡回映画があり見に行ったものだ。大きな幕に美空ひばりの映画から「越後獅子の唄」「悲しき口笛」「私は街の子」が流れた。
 中学時代は橋幸夫の「潮来笠」村田英雄の「人生劇場」「王将」三橋美智也「哀愁列車」「おんな船頭唄」「おさげと花と地蔵さんと」。高校時代の音楽祭で「古城」を唄ったクラスがあり良い歌だなーと思ったものだ。その後舟木一夫の「高校三年生」が出て私たち年代の青春の思い出の曲となる。
 これらの歌をだれが作詞し作曲したかなどあまり考えなかったがNHK朝の連続ドラマ「エール」で古関裕而氏を知ることになる。彼は軍歌・戦時歌謡・戦後と昭和史を音楽で彩っている名作曲家である。私が彼の曲で好きだったのは「暁に祈る」で、歌詞は、(1)あああの顔であの声で手柄たのむと妻や子がちぎれるほどに振った旗遠い雲間にまた浮かぶ(2)ああ堂々の輸送船、さらば祖国よ栄えあれ遥かに拝む宮城の空に誓ったこの決意(3)、(4)、(5)、ああ傷ついたこの馬と飲まず喰わずの日も三日捧げた生命これまでと月の光で走り書き。
 愛馬思想を目的に募集された曲だそうだが家族との別れ、出征する兵士を見送る家族のためのようになりヒットしたと言われている。作曲者自身自分として快心の作と述べている。(古関裕而自伝鐘よ鳴り響けより)
 若い血潮の予科練のと言う予科練の歌が「若鷲の歌」と言うタイトルとは知らなかった。まさか7つボタンの優秀な予科練生が、国、親、兄弟を思い特別攻撃隊として敵艦につっこむ運命になるとは残酷な時代だ。
 JR福島駅を出ると彼がピアノを弾いている像がある。裕而はペンネーム、本名は勇治。平成元年死去。 彼の作曲数は5千曲に及ぶと言われているが千葉県に関して言えば、市川市歌、野田市歌、そして夷隅郡大多喜小学校、県立国府台高等学校、県立白井高等学校の校歌がある。校歌も年を経ると懐かしの曲となる。人により生きた場所、時代により異なるがそれぞれに人生のおもい出を甦らせてくれるのが懐かしのメロディーである。

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短編小説 モノレールストーリー
幸せもとめて 作・吉成 庸子
 由香は25才。千葉の千城台のアパートで婚約者と暮らしている。故里は遠い山形。両親と祖母と弟と一家で仲良く暮らしていたが、祖母が亡くなり、追いかける様に母も病死してしまった。
 父は母の死後、酒びたりになってしまい、酒場の女の人と、親しくなりほとんど家に帰らなくなってしまった。丁度短大を卒業した時だったので、一つしか違わない弟に「東京に行って働きたい」と相談すると、弟は「そうしなよ。もう父ちゃんはいないものと思うことにする。
実は俺は農学校で同級だった光枝さんと結婚することに決めた。そして我が家の田畑をしっかり守っていく」と、力強く宣言した。「そう、じゃ私、安心して東京へ行くね」。そして由香は学校の恩師の紹介で、東京の下町にある製紙会社で事務として働き始めた。
 会社には男子寮・女子寮と住み込みでも働ける様になっていた。事務職は由香一人で後は殆ど工場勤務の人達だったが。勤めだして半年も過ぎないうち、由香に恋人が出来た。
 会社の取引先の人で千葉県人。五才年上だったが優しい人なので、由香はプロポーズをすぐ承諾し、彼のすすめにより会社を退社、彼の住む千葉へ越したのだった。
 彼は結婚してみるとかなり我ままで、「働きに出るな」と由香に命令した。マンションは結婚と同時に彼弘章の両親が買ってくれたものだ。父親が製材会社を経営しているとかで、お金はあるらしい。
 結婚してみると弘章は人が変わった様に由香を束縛しだした。そして気に入らない事があると暴力を振るい始めた。そんな由香の唯一の楽しみは千葉で初めて見たモノレールに乗る事だった。
 モノレールに乗って窓の外をのぞくといろんな物が目に入ってくる。空を眺めれば青い空と白い雲が仰ぎみれるし、下をのぞくと動物公園の近くでは馬まで見える。
 二、三時間使って、由香はモノレールに乗り続けた。結局彼に知れてしまい「男が出来たのだろう」とひどい暴力を受けた。逃げ出したものの、行く当てもない。鼻血のこびりついた、はれ上がった顔のままモノレールに乗った。
 二駅位走った時だろうか? 三十才位の背の高い男性が「どうなさいました?僕がお役に立てる事があったら是非。僕の家は割りと近くです。家で良かったらキズの手当をしましょう」と言った。まるで、あやつられる様に、由香は彼の後をついて行った。
 彼の家は千城台駅近くのアパートだった。ガランとした部屋は何もなかったがきちんと片付けられ、清潔な感じがした。彼はぬれたタオルで由香のキズをやさしくぬぐい氷でひやしてくれた。
「僕は北原和人。サラリーマンです。五年間暮らした女房と別れ、このアパートに越して来たのです。これまでも何度か貴方をモノレールで見かけていました。いつもは楽し気に窓の外を眺めている貴女を好ましく見ていたのですが今日はビックリしました。一体何が起こったのですか?」と聞く。
 由香はワッと声をあげて泣きだしてしまった。そしてそして夫がDVで何かにつけ疑われ、今日も暴力がおさまらないので家から逃げ出しポケットに入っていた小銭でモノレールに逃げ込んだと話した。「かわいそうに」そう言ってから、「こんな所で良かったらここに居て下さい」と優しく言った。由香の胸の中いっぱいにここ何年も味わったことのない温かいものが生まれて、祖母や両親達と暮らしていた頃の様な気持ちが生まれてきた。
 由香の夫は探し回った末すぐに由香を見つけ「やっぱり男がいたんだな」となじった上、さんざんなぐった。丁度北原が帰宅して、由香を助けたが由香は失神していて病院へ運ばれた。近所の人の通報で弘章は警察につかまった。夫婦同士の事と主張する彼に警察は冷静に対応してくれた。
 由香の腕は折られ、
頭にも大きなキズがあり、肋骨も3本も折れていたのだ。夫には結婚歴があり、前妻もDVのため別れていったのだそうだ。彼の両親が由香との結婚をすぐ許したのも理解出来た。
 同じマンションの人の証言もあり、由香の離婚は成立し三ヶ月の病院生活を経て、
北原の家に身を寄せている。「僕は妻に男を作られて、家を出された意気地ない男なんだ。こんな男でよければ、是非結婚して欲しい」。北原がプロポーズしたのは、退院の夜だった。そして二人は来春結婚する事となったのだ。
 北原は「僕もモノレール大好きなのさ。二人で思い切り乗ろうよ。来年の春はモノレールの上から、お花見をしよう」と優しく言う。神様が私に本当の幸せをくれたのね。ありがとう、と心の中でそっとつぶやく由香だった。春はもうすぐだ。

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市民ガイド
◎第63回日本人間ドック学会学術大会市民公開講座(You Tube Live配信)「親子で考えるがん予防ワクチン」
子宮頸がんは早期発見・早期治療により予後改善を望めるがんであり、HPVワクチンは発症予防を図ります。今回の市民公開講座では、子宮頸がんのリスクやHPVワクチンについて正しい情報を発信し、接種対象者や接種を見守る親御さんをはじめ市民のみなさんに考えてもらうきっかけを提供します。
▼開催方法(1)学会現地会場からYou Tube Liveにて配信▼期日:2022年9月3日(土)14:00〜15:30▼開催方法(2)アーカイブ配信▼期日:2022年9月12日(月)〜2022年9月30日(金)▼参加費:無料▼講座内容【講演1】制度について「がん予防の日本の現状」/講師:林伸彦院長(FMF胎児クリニック東京ベイ幕張)【講演2】メディカルについて「みんなで知ろう!HPVワクチン」/講師:大塚聡代先生(千葉大学医学部附属病院 婦人科・周産期母性科)【トークセッション】※質疑応答あり/林伸彦院長(講演1講師)・大塚聡代先生(講演2講師)・大和田葉月(市内学生)・小亀さおり(親世代市民)※視聴はQRコードもしくはhttps://www.dock63.jp/public.htmlから

◎千葉市美術館
つくりかけラボ08 堀由樹子 えのぐの森
つくりかけラボは、「五感でたのしむ」「素材にふれる」「コミュニケーションがはじまる」いずれかのテーマに沿った公開制作やワークショップを通して空間を作り上げていく、参加・体験型のアーティストプロジェクト。いつでも誰でも、空間が変化し続けるクリエイティブな「つくりかけ」を楽しみ、アートに関わることができる表現の場です。今回は、千葉市で育ち、現在も市内にアトリエを構える画家の堀由樹子さんをお迎えします。
▼会期:現在開催中〜2022年10月2日(日)
※休館日・休室日:8月1日(月)/9月5日(月)▼観覧料:無料▼主催:千葉市美術館▼会場:千葉市美術館4階子どもアトリエ▼問合せ:Tel043-221-2311

◎千葉みなと『さんばしまつり』
縁日屋台やキッチンカーの出店、ビアフェスをはじめ、バスケのフリースローや小型モビリティ等の体験イベントに、ダンス・ライブなどパフォーマーによるステージや、夜ならではの特別イベントも予定されています。
▼開催日時:令和4年9月4日(日)13:00〜21:00(荒天等により順延の場合、令和4年10月30日)▼場所:千葉みなと「さんばしひろば」(ケーズハーバー前)▼主催:千葉市みなと活性化協議会(事務局:千葉市都市局都市部交通政策課)※詳しくは公式WEBページhttps://chibaminato.jp/sanbashimatsuriへ。または「さんばしまつり」で検索。

◎千葉県文化会館
「バックステージ探検ツアー」
舞台の裏側の見学や、照明・音響の機材操作を体験▼開催日:2022年8月19日(金)(1)10:30〜11:30(2)13:30〜14:30▼会場:大ホール▼入場料:無料▼定員:各回10名程度▼申込み:会館事務室まで直接か、電話043-222-0201、FAX043-227-0763、メールchiba@cbs.or.jpへ。申込の際は(1)保護者氏名(ふりがな)(2)年齢(3)住所(4)電話番号(5)希望時間(6)お子様の氏名(ふりがな)(7)お子様の年齢を記入▼締切:8月12日(金)※小学生参加は保護者同伴必要。※未就学児は参加不可。

◎ギャラリー古島
「佐野猛・曜子 ガラス展」
▼期日:7月25日(月)〜9月1日(木)※休廊9月8日(木)※夏季休廊:9月2日(金)〜9月12日(月)▼場所:千葉市中央区春日2-25-11古島籐家具店2階(JR西千葉駅西友側徒歩1分)Tel043-243-3313
※市民ガイドの掲載内容は2022年7月末時点での情報です。コロナ感染拡大の影響により変更になる場合もございますので、お出かけ前にご確認ください。

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今月の人
公益財団法人日本手芸普及協会 パッチワーク指導員 
こっとん来夢主宰
中村 直美さん (75)千葉市中央区在住
パッチワーク教室を30年「通ってくれる方がいる限り続けたい」
 千葉市内でパッチワーク教室を営む中村直美さんは、指導員として今年30周年の節目を迎えた。今年6月には教室展とリーダーグループの作品展、中村さん個人の30周年記念展示会を合同開催。千葉市美術館内の会場に並べられた多くの大作は来場者を魅了した。
 洋裁学校で習得した技術を生かし「こっとん来夢」を開業したのは1985年。当初は自身がデザイン・制作した綿製の洋服や小物を販売していた。その後、パッチワーク指導員の資格を取得し教室を始めたのが30年前で、公民館での講座や毎年の展示会開催など地道な活動を続けてきた中村さん。生徒数は多いときで100人を超えていたころもあったと振り返った。
 教室内に展示された大きなキルトは見事な色合いで、グラデーションの繊細さやパーツの小ささに驚かされた。中村さんによると、パッチワーク制作は根気が必要で作品によっては何カ月も費やすのだとか。「模様には何千種類ものパターンがあり、その中から初心者はまずパターン通りに製図を学んで制作します。そして次のステップでは自分でデザインできるようになります。同じ模様でも人によって配色が違うので、作品には個性が出るところが魅力。8割が配色、2割が技術と言われていますから、裁縫が得意でない方でも大丈夫ですよ」と笑顔。
「こっとん来夢」では、講師免状取得コース、好きなものを制作する自由コース、パーツから手づくりする本格的な吊るし雛コースがあり、初心者から講師を目指す方まで自分に合ったコースを選択できる。現在、教室には50代から80代の約40名が在籍し、千葉市内だけでなく近隣の市や遠方では館山市から通っている生徒さんも。
 常に新しいことを学び取り入れている中村さんの下には、講師免状取得後も引き続き通う方が多いという。一緒にお茶を飲んだり、おしゃべりしたりと長年楽しい時間を積み重ね、生徒さんたちにとって教室は自宅以外のもう一つの居場所になっているのだろう。写真の背景に飾られているのはフレンドシップキルト。それぞれが作った名前入りのキルトをつなぎ合わせたもので、ここで育まれた絆が感じられる作品だ。
 中村さんの原動力となっているのは、ともに活動してきた生徒さんたちの存在と、編み物が好きだった祖母の思い出。家に人が集まり楽しく編み物をしている光景が今でも心に残っているという。「私のライフワークはご高齢の方にパッチワークを楽しんでもらうこと。通ってくださる方がいる限りこの教室を続けていきたい」と話した。 
◇こっとん来夢◇千葉市中央区新田町27-8◇Tel043-243-3050

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随筆 鴨川シーワールドの思い出

吉成 庸子さん
 梅雨の合間のよく晴れた午後だった。下の弟が「孫を連れて鴨川シーワールドへ行って来たよ」と、おみやげを持って女房と二人でやって来た。私には二人の弟がいるが上の弟も下の弟も儀ちゃんが大好きで、儀ちゃんの言い付けはよく守っていた。
 末っ子の儀ちゃんは、いばれる弟が二人出来たのが嬉しかったらしい。だが弟の女房達から、「お兄様、お兄様」と呼ばれるのにはどうも照れくさかったらしい。その上私の妹も「お兄様」を連発。「あれだけは止めさせてくれ」とよく私に訴えていた。「いいじゃないの。若い妹が三人も出来てさ。お兄様と慕われて、けっこういい気分でしょー」と私は取り合わなかったものだ。
 鴨川シーワールドかあ…と私は儀ちゃんと二人で行った事のあるシーワールドを思い出していた。儀ちゃんと結婚した年のお正月、銀行の秘書の方々が、新婚旅行も無く何処にも行かない私に同情して「お正月位は旅館でゆっくりお過ごしください」と、鴨川の旅館を予約してくれた。
 当日夕方宿に着き食事をし風呂に入ったまでは良かったが二つ並んで敷かれた布団を前にして、「俺は書類を持って来ている。あんたは気にせず寝てくれ」と言う。私は先に寝てしまったが…。
 翌朝少し可哀想になったのか、「シーワールドという所が面白いそうだ。連れて行ってやろう」と言い出す。寒い日だったので、私は襟巻をしっかり巻き毛皮のコートを着る。儀ちゃんはブレザー姿でコートも身に付けていない。「寒くないの?」と聞いたら「寒くなんかない」という返事。「シャチやイルカのショーはとっても面白かった」。でも、やっぱり寒かったのだろう。「もう、帰ろう」と儀ちゃんは言い出す。
 タクシーがつかまらなかったので、歩いて宿へ帰った。「お風呂にゆっくりつかった方がいいわよ」と儀ちゃんにすすめ風呂上りに熱かんを用意して飲ませた。
 儀ちゃんが眠ってしまったので、昼食は抜き、その後夕食時間になり、おかずいっぱいの夕食が運ばれて来たが、儀ちゃんの食欲無し。額に手を当ててみたら熱がある感じ。風邪を引いたのだろう。熱はぐんぐん上がっていく。風邪薬をもらって飲ませたものの、私は一晩中彼の額を冷やし続けたのだった。
 幸いにも翌朝熱は下がったが私はグッタリしてしまったっけ。とんだ新婚旅行だった。でも考えてみれば儀ちゃんは年齢差のある私に合わせて、無理して薄着で少しでも若く見せたかったのだろう。そして、少しでも私を楽しませてやろうとシーワールドの事を調べて私を喜ばせてやろうと真剣に考えてくれたのかもしれない。
 だけど、とんだ新婚旅行だったと、今思い出してもなんだかおかしくなってしまう。

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櫻井俊雄物語(26) 「どこに消えた? コロナの脅威」
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎

櫻井俊雄氏
 近くで咳込む人に、バイキンマンをにらみつけるようにしていた。マスクをしていない人がいると、重罪人のように非難していた。最も危ない場所だと、パチンコ店や麻雀店を目の仇のようにしていた。たくさんの自粛警察がうまれ、
行き過ぎた活動に突き進んでいた。
 全国民がマスク着用と消毒に明け暮れ、県外への外出は自粛、飲食店も休業、経済は停滞し、持続化給付金が何回も給付された。そして、マスク不足が顕著なのは政府が後手後手だからだと、政府を強烈に批判していた。毎日の感染者数の増減に注目が集まり、第何波がやってきたと、国民の意識はコロナ一色になっていたはずだ。私たちの生活のすべてがコロナに振り回され、目の前にいる親の死に目にも会わせてもらえずじまいだったことすらあった。
 ところが、コロナが下火になったころ、ロシアがウクライナに侵攻したことで、私たちの関心は国際情勢に移り、それが安全保障や憲法改正問題に発展し、それが争点の一つになった参院選の最中に安倍元総理が銃撃で亡くなる事件まで発生し、世間の目は要人警備のあり方から宗教団体との関係を持つ政治家の非難へと、目まぐるしく移っていった。いつの間にか、コロナのことはすっかり忘れられてしまったようだ。慣れてしまったのかもしれない。
 私たちの関心が薄れた隙に、進化したコロナが襲ってきたと、俊雄は警鐘を鳴らしている。コロナも生きるのに必死だ。人間に絶滅させられまいと、
次々と姿を変えている。
 第7波がやってきた。コロナの何とか型といわれても、もう区別も理解もできない。私たちには、とにかくコロナがぶり返したという認識しかないのが正直なところだ。 ただ、各都道府県で、新規感染者数の過去最高を更新している。東京では1日に4万人の新規感染者が出ている。重傷者・死者も出ているが、人々の生活には影響は出ているようには思えない。大変なのは医療機関だけではないか。それでも報道を見る限り、かつてほどの切迫感は伝わってこない。俊雄の医療関係の知人によれば、医療の現場の緊張感は高まっているという。発熱外来の新規患者受け入れを制限せざるを得なくなっているというし、一般外来の受付を取りやめて対応しているから、通常医療に明確にしわ寄せが行っているという。
 結局、私たち自身の慣れ、警戒感のゆるみは、医療機関のひっ迫となって、私たち自身の安全確保に跳ね返ってくると俊雄は感じている。それでも、人々は活動しなければならないが、得体のしれない恐怖感は消滅したほうがいいものの、警戒態勢は万全にすべきだと言う。経口薬や特効薬が普及すればどんなコロナも普通の風邪のような扱いになるかもしれないが、それまでは緊張感をもって対応していくしかないと俊雄は話している。このまま事態の悪化に歯止めがかからなかった場合、全国的に厳しい行動制限が再び発動されかねず、それだけは何としても避けなければならない。医療にも関係している俊雄に、気の休まるときが来るのはいつになるのだろうか。

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