130,000部発行
2021年5月7日
通巻第296号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 節子  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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エッセイ もう新型と言わせない
ウイルスコロナ&変異株コロナマークU
「痴呆爺のクオーターライフ」 河邊 伊知郎
秘密の調整
 アメリカが大統領選挙の運動まっただ中、2020年6月16日にハワイのヒッカム空軍基地でアメリカのポンペイオ国務長官と、中国外交を統括する楊潔?共産党政治局員とが密かに会って話し合いが行われた。
 以後、新型コロナの発生に関するお互いの非難は、双方が秘密とすることで合意したとされている。以後双方は非難の応酬が無くなった。米中間の緊張が高まる中、両者の会談の秘密は厳しく管理されている。関係者によれば、中国側がこの会談を要請したそうだ。
 以上、1月号から5回に渡り連載してきた「新型コロナの正体見たり」はENDとするつもりであったが、話題のないメディアが煽りに煽って引っ張って、もう少し真実を明かさなければならなかった。痴呆爺のコラムの読者諸君が信じようと信じまいと、それは一向に構わない。概ね四分の一、クオーターが信じてくれればそれでよいし、批判は一向に構わない。
 WHOも当初の飛沫感染説を訂正して空気感染としたり、パンデミックは起こらない、を後に訂正して、パンデミックになったと宣言したりして迷走している。空気中に無数に浮遊しているウイルスの、感染予防にならないマスクでも、飛沫で他人に迷惑をかけないエチケットにはなる。
 そして、マスクをしないでいたら白い目で見られたり、入場規制をされたり、それが無いだけでもマスクの効果はある。なので爺もポケットにはマスクを忍ばせて適時用いている。もちろんK型コロナで獲得した免疫も、黙って体内に忍ばせて過ごしている。
 おっと、昨今新型ウイルスワクチンが出来たと各国が我も我もと奪い合いだが、そのワクチンはコロナウイルスの遺伝子を改変したものだ。遺伝子操作したワクチンの副反応なんぞは、10年20年たたないと安全性がわからない。吾輩はまっぴらゴメン被る、孫にも。
もう新型と言わせない
ウイルスコロナ&変異株コロナマークU
 新型コロナ新規感染第二波、第三派と相変わらずメディアが騒いでいる。本当のウイルス専門家は、当たり前の事例だと切り捨てる。さらに解明された日本人の免疫力
変異株は東京大学が、野生ウイルとは異なる性質を持っていると研究発表した。では人工ウイルスなのか?
 そして、ドイツの新型コロナ対策会議、会議録が流出、その後削除された。日本の会議録も削除されたようだ。何のために?
 RNAウイルスは温度と湿度が下がれば安定化し、そして人間様の免疫力も冬になると落ちてくる。スマホに付着すれば2週間は感染力が維持されるという。
 ピークは2月いっぱいで、桜のころには収まると言い切る。冬にインフルエンザやコロナ風邪がはやる理屈だ。
 勝負の3週間なんて言っているアホなやつらは何の根拠も持っていない。ではなぜPCR検査で新規感染者が増えた、増えたと大騒ぎになるのか?本当の専門家に解説してもらった。
次号へ続く。

稲毛新聞社代表、佐藤正成氏の訃報を受けて
 「オオバンがラップダンスの桜川、散りし桜花の先は太洋」
 コロナのバカ野郎、この爺に長い原稿を書かせやがって。
 佐藤社主が癌を告白して6か月、跳んで火に入ったコオロギが、依頼を受けて書き始めた投稿エッセイ、秘密が多すぎて終わらないコロナも最終章を届けて、いよいよ社主を喜ばせる台湾問題の大筋原稿を4月12日メールしたところ、返信されてきた内容は、4月8日に逝去されて、昨日家族葬が終わったという知らせだった。
 台湾人としての初の中華民国総統になった李登輝さんとの2ショットの額が飾られている応接間で、思い出を語ってもらう時も失ってしまった。
 翌日、飛んで遺骨と対面した。小さな写真は先に逝った息子さん、大きな写真は笑顔でなく真実一路の鋭い眼力の遺影だ。
 そばに一本の横笛が置かれていた。秋田では代々笛吹の家系だそうだ。オオバンを踊らせていたのも、多分この笛を吹いていた佐藤社長だろう。
 痴呆爺はもう少し生きる、あと25年待っていてほしい。それまでゆっくりと体を癒していてください。

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随想 鹿島紀行の未知部分
鎌ケ谷市・元稲毛小校長 島津幸生
 テレビでプレバトと言う番組がある。与えられた題目に対し芸人が俳句に挑戦するものだ。魅力のひとつに俳人の夏井いつきさんの歯に衣を着せない評がある。
 俳句、俳人と言えばやはり松尾芭蕉だろう。芭蕉は伊賀(三重県)上野に松尾与左衛門の二男として生まれ19歳で藤堂藩侍大将藤堂良忠に仕えたが彼がなくなり29歳で江戸に行き39歳で深川に住むようになる。42歳で野ざらし紀行の旅へ、その後有名な「おくのほそ道」の旅にいたるまで計5回旅をしている。
 芭蕉の旅であまり知られていないが鹿島(茨城県)詣と言う紀行がある。近所に住んでいた曽良と宗波が同行し仏頂和尚(芭蕉はこの人を師として尊敬していた)をたずねたのである。
 小学館版学習まんが少年少女人物日本の歴史19松尾芭蕉にはこの鹿島紀行は載っていない。芭蕉が鹿島に行ったのは貞享4年(1687年)8月14日のことでこの年悪法「生類憐みの令」が出されている。
 深川より船便で千葉の行徳(浦安市)より北総台地を横断、八幡(市川)鎌ケ谷をへて夕方布佐(我孫子市)に着き夜舟で鹿島に向かっている。
 次の15日鹿島神宮を詣で仏頂和尚を訪ねて一泊、残念ながらその日雨に降られてしまい次の句を詠んでいる。「寺に寝てまことがほなる月見かな」「月はやし梢は雨を待ちながら」(吉川弘文館人物業書松尾芭蕉)それから潮来(茨城)の医師本間自準俳号松江方に立ち寄り、とまでははっきりしているのだがこの後どのようにして江戸に帰ったのかの記録はない。が芭蕉は潮来から神崎(千葉)に渡ったと思われる。神崎に芭蕉の句碑があるからだ。当時この地は水運でにぎわっており俳句を楽しむ余裕のある人がいたからである。
 ちなみに句碑は神宮寺入口にはいった所の左にあり高さ113p横67p余の石碑で寛政4年(1792年)に作られており「刈可けし田鶴能鶴やさとの秋」とある。碑は芭蕉が元禄7年(1694年)51歳で死去なので記念碑か?
 ここで1泊し次の朝、成田、佐倉、佐倉からは佐倉往還と呼ばれる道があり黒砂(千葉)へ繋がるのだ。なお近くの検見川は船着河口(花見川)があり舟で行徳にもどったと言うのが私の推理だ。この考えにいたったのは、出典の書籍名を忘れてしまったのだが黒砂を詠んだと思われる「ほととぎす鳴くや黒戸の浜ひさし」と言う句を30年前に見つけたからだ。
 芭蕉はほととぎすの句を10以上残しているのだが芭蕉句集(新潮社日本古典集成)の中に探すことは残念ながら出来ていない。俳句づくりもおもしろい。

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市民ガイド
◎千葉県立美術館
コレクション展第1期
▼期間・5月23日(日)まで開催中。内容★名品1-技法の趣・浅井忠の「藁屋根」高村光太郎の「手」石井林響の「木華開耶姫」第1・第2展示室★浜口陽三-闇と色彩の戯れ-ビロードのような闇と淡い色彩が織りなす浜口の版画芸術を紹介。第3展示室★働くとき、休むとき-美術の中のさまざまな日常-さまざまな人々の日常の中の働く姿と休む姿を捉えた作品。第8展示室
コレクション展第2期
▼期間・5月29日(土)〜7月4日(日)内容★名品2-技法の趣2-浅井忠の「フォンテンブローの夕景」やミレーの「垣根に沿って草を食む羊」日本画では東山魁夷の「春雪」ガラス工芸の藤田喬平の「飾」など各分野で優れた業績を残した作家の作品。第8展示室★香取秀真-近代金工と古典-千葉県印旛郡に生まれた香取秀真は古典的で格調高い金工作品で評価を受け文化勲章をうけました。代表的作品のほか梵鐘調査資料などを展示。第3展示室★作家たちの青春と外国‐若き作家たちが外国で得たもの-明治・大正・昭和の一時期を外国で過ごした作家たちは、そこで如何にして過ごし、何を得たのか。また帰国後その体験をどのように政策に活かしたのか。各作家が外国で政策した作品を軸にしてその当時の暮らしぶりやエピソードを交えて紹介。
第1・2展示室▼入場料・一般300円(240円)高校・大学生150円(120円)( )内は20名以上の団体料金。中学生以下・65才以上の方・障害者手帳をお持ちの方と介護者1名は無料※6月15日(県民の日)はどなた様も無料
▼問い合わせ・Tel043-242-8311 FAX043-241-7880

◎千葉市美術館
市美術館企画展 大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師
絵画、陶彫、漫画、絵本、イラストなどのジャンルを縦横無尽に横断しながら独創的な世界を展開したタイガー立石(立石紘一、立石大河亞1941-1998)。時代や社会を象徴する人物やイメージなどを多彩に引用して描かれたその作品は、和製ポップ・アートの先駆けとして注目を集めました。1965年からはナンセンスな漫画も描きはじめ、子どもたちの間で流行した「ニャロメ」という言葉は赤塚不二夫と交流があった彼の造語でした。その後イタリアへ渡り、1985年からは千葉市と市原市を拠点に活動し、絵本や陶彫作品も制作しました。本展では、日常があべこべになるような立石の不思議で魅力的な世界を、約200点の作品・資料からひもときます。
▼現在開催中〜7月4日(日)まで▼時間10時〜18時(金・土は20時まで)▼休室日:5月6日(木)・24日(月)、6月7日(月)▼会場:市美術館8、7階展示室▼料金一般1,200円、大学生700円、高校生以下無料▼問い合わせ:市美術館▼電話:043-221-2311

◎背骨コンディショニング 腰痛解決講座
稲毛新聞4月号「今月の人」をご覧になった方から多くの問合せをいただいたので千葉で講座を開催します。▼期日:5月23日 (日) 13:30〜16:30▼会場:千葉市中央区新千葉2-1-8トーヨーテクノビル2階(ツヅキ整骨院)※開催会場へのお問合わせはご遠慮ください▼定員3名▼申込締切日5月14日▼受講料5,500円税込▼主担当講師:高梨嘉代▼参加条件:骨折、外傷、妊娠、あるいはその疑いや可能性のある場合はご遠慮ください▼受講特典:ベーシックブックと仙骨枕を贈呈 (すでに本や仙骨枕をお持ちの方も特典や受講料に変更なし)▼持ち物:受講料・筆記用具・フェイスタオル・動きやすい服装・ストレッチ(ヨガ)マットまたはバスタオル▼申込み:背骨コンディショニングHPからhttps://www.sebone-c.org▼キャンセル料:受講日14日前から料金の20%

◎ギャラリー古島
「アジアの布コレクション展」
5月14日(金)〜5月16日(日)
「第7回 墨の樹 書展」
5月22日(土)〜5月25日(火)
☆ギャラリー古島・中央区春日2-25-11・2F(JR西千葉駅西友側徒歩1分)Tel043-243-3313 FAX 043-241-3041

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今月の人
なのはな整骨院
株式会社アテンド 代表取締役 金 英泰さん (43歳)稲毛区在住
異業種とのコラボで新たな道を切り開く
 稲毛駅東口から徒歩1分、「なのはな整骨院」を運営するのは株式会社アテンドの代表取締役、金英泰さん。
 子どものころからスポーツ好きだった金さんは、小学3年生から学生時代を通してサッカーに打ち込んでいた。サッカー中の怪我がきっかけで人体や治療に興味を持ち、暁星国際高等学校卒業後は柔道整復師・鍼灸専門学校へ。地元のサッカーチーム「FC千葉なのはな」に所属していた当時の縁が現在の「なのはな整骨院」開業につながっているという。
 新型コロナウイルス感染症の影響で経営状況が厳しくなっている整骨院も多いようだが、なのはな整骨院でも昨年から来院する患者が減っているとのこと。そこで金さんは自宅療養中の方や歩行が困難な方のために、訪問リハビリ等の往診を開始。
その後、訪問施術の需要は増え続け、今では全体の4割近くまで伸びた。また、デイサービス・介護施設・レストラン・歯科医など他の業種とコラボした施術も好評で、様々な企業と関わり共に課題に取り組んだ結果、新たな道が開けたと語る。「運動・食事・歯の治療といった本来、別々のサービスと私たちの施術を組み合わせることで、お役に立てる場が増えてきました。企業さんの取り組みのなかでの課題に、弊社がどのように力になれるのかと考えて生まれたサービスです。患者さんからも企業さんからも喜んでいただいています」。
 なのはな整骨院で提供される施術はすべて有資格者スタッフによるもので、その効果だけではなく親切丁寧な対応も患者さんから定評がある。「スタッフの質に自信があります。礼儀正しく人柄もよく、朝礼で言ったことも素直に実行してくれますし、どこへ出しても恥ずかしくない人材ばかりです」と金さん。そんなスタッフが安心していつまでも働けるようにと、業務の効率化や労働時間の短縮化、有給消化の促進など労働環境の整備にも力を入れてきたという。
 金さんが目指すのは人に寄り添う会社。「困っている人に対してどうサポートできるのかを常に考えて行動してきました。それを喜んでもらえたからこそ今の自分があります。これからも人とのつながりを大切にしながら、得意分野を生かしお手伝いできることを追求していきます」◇なのはな整骨院◇稲毛区小仲台6-2-8◇043-239-7092 【取材 真田はる代】

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随筆 外れ女房と呼ばれてたけど

吉成 庸子さん
 久し振りに東京へ行った。皇居前から紀尾井町のホテルニューオータニへ…。
 五時過ぎていたけど、まだあたりは明るく、木々の緑が目にまぶしい。コロナが始まってしまってから、東京は出来るだけさけていた。
 でも、東京生まれ、東京育ちのせいか東京にくるとホッとするのは長い間の東京暮らしがまだ抜けきっていないのかもしれない。
 コロナになってから、会合もないし、店も九時までで閉店しなければならない。時間はあるが身体も心もなんだかおちつかない日々だ。こんな時は書くか読むかだと思いたいのだが、書く方は今いち身が入らない。すぐに書けるからとの思いがあるので後回しにしてしまうのだ。たいした文章書けるわけじゃないのに、本当に私の悪いくせだ。
 書くことより好きなのが読むことだ。子供の時から私は本の虫だった。暇さえあれば本を読んだ。今少し時間があるので、読書で過ごそうと四街道の本屋さんをタクシーで回った。だって、本屋さんて閉店した店が多いのだもの。何とか三店あった。ブックオフも入れてだけれど。本屋さんが減っていくのは悲しいなとつくづく感じた一日だった。
 儀ちゃんと結婚した時、経済書しか読まない彼にビックリした私。「お父さん、ベストセラー位読んだ方がいいわよ」とすすめた。「甘っちょろい本なんか読めるか!」と言うので「そんな気持ちだから、お父さんは情緒欠陥人間なんだね」と思わず言った私に「じゃ、お母さんが読んで聞かせてくれ」と言う。「仕方ない、じゃ夕飯の後一時間読み聞かせの時間にしましょ」これがきっかけで、私は彼に本を読んであげる事となった。
 一週間位は静かに聞いていたが、その後はいねむりしている時間が多くなった。ミステリー小説になったら「犯人は誰だ」とすぐに聞く。「まだわからないわよ」答えた私に「まだるこい、後から読んでくれ」と指図する。せっかち人間だから結末を早く知りたいのだろう。それじゃあ本を読む楽しさは全然ないのに…と私は人間色々いるものだとつくづく儀ちゃんの顔を眺めたものだ。
 多分、儀ちゃんは私の書いた本は、一冊も読んでないだろう。でも時々「俺の悪口は書くなよ」と言っていた。「ウン書かないよ」と答えたものの、儀ちゃんは私のエッセイには度々登場している。
 全部本当の話でウソは書いていないけど『儀ちゃんモノ』と呼ばれ本にもなったし、舞台にもなった。今でも『儀ちゃんモノ』注文が一番多い。これって「外れ女房」と儀ちゃんに呼ばれていた私の密かな抵抗なのかな?優しさなのかなあ。

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櫻井俊雄物語(11) 幕張の海にかけた情熱 幕張メッセとマリンスタジアム
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎

櫻井俊雄氏
 選挙が終わった。千葉に新しい知事と市長が誕生した。新知事は選挙戦でマリンスタジアムの建て替えに言及し、新市長も議論を深めたいとこれに応じた。平成11年に当時の松井旭市長が「ロッテが優勝したらマリンをドーム化する」と公言したときは大いに盛り上がったが、そのとき以来の期待感が沸き上がっている。マリンスタジアムでの最初のプロ野球の試合は、平成2年3月24日に開場したときのこけら落としで、オープン戦の「巨人ーロッテ」、巨人の主催試合だった。初の公式戦は平成3年5月25日の「ヤクルトー中日」でマリンスタジアムでの公式戦初安打は古田敦也が記録している。同年7月31日には移転前のロッテオリオンズの公式戦「ロッテー西武」が行われた。その年の秋にロッテが千葉に本拠地を移転することが決まり、マリンスタジアムは翌年から「千葉ロッテマリーンズ」の本拠地となった。来年春でロッテの千葉移転30年目となるが、この時期の建て替え提案について、ファンの中ではマリンスタジアムの強い海風が売りだとしてドーム化に難色を示す向きもあるものの、マスコミが取り上げたこともあり、市民の間では総じて賛成する人の方が多いようだ。
 俊雄は、実はマリンスタジアムにも深くかかわっている。そもそもマリンスタジアムより前、幕張メッセ誘致のときからかかわっている。メッセの誘致にとどまらず、建築や内装について、大手ゼネコンと連携して尽力した俊雄の会社「展装」の功績は大きかったという。幕張メッセは俊雄が作ったという人がいるくらいだ。その縁もあって、自然にマリンスタジアムの建設やロッテの千葉誘致にも携わっていく。斬新なデザインである一方、周囲の景色・雰囲気と調和が図られる建物や色彩になることを第一に重要視したという。それは、メッセやマリンスタジアムに対する共通した思いであり、コンセプトであったという。当時の観光協会がマリンスタジアムに出店した際の施工を、展装が任された。新しい施設の、多くの来客を見込む店舗の設計施工の責任は重い。だが、俊雄はそれをやり抜いた。
 俊雄の千葉ロッテマリーンズへの思いは深い。「初芝清は巨人へは行かないから、ロッテでどうだろう」と、知人であった当時の有藤通世監督に直言したことがある。だから、初芝がその後ロッテの中心選手に育っていったことがとても感慨深いという。「スカウトの気分って、こんなものなんだろうか」と語る。有藤の息女を、政治家に転身する前の森田健作に紹介したことがあるともいう。それが縁で有藤の息女は森田と共演することになったというから、人の縁とはわからないものだ。その森田がのちに千葉県知事になるとはまったく思いもしなかった。そして森田が退任し、後任の知事に選出された熊谷俊人がマリンスタジアムの建て替えを提案したことにも、俊雄は奇縁を感じている。マリンスタジアムの土地は県、球場は市と、所有者が違う問題も両トップの交代で円滑に処理が進むのではないかと俊雄は期待している。
 原爆ドームのそばにあったかつての広島市民球場はとても狭い球場だった。跡地に行くと、「こんな狭い土地に、本当にプロ野球の野球場があったのか」と誰もが驚くはずだ。ところが、広島駅近くの現在地に移転新築してイメージは一新された。単なる野球場から脱皮して、予想もつかないほどの総合スポーツ施設とも、総合娯楽産業ともいえるような様相を呈し、駅からすぐ近くであることが絶好の集客要因につながった。
 熊谷は京葉線の幕張新駅近くにマリンスタジアムを移転させる構想を持っている。広島の先例に学んだとしたら賢明だ。俊雄はこの方針は大事だと考えている。実現することを大いに期待するし、尽力したいと思っている。

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