155,000部発行
2007年2月8日
通巻第125号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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星霜録
 柳沢厚労相の「女性は産む機械」の失言をめぐり、国会は荒れている。マスコミも面白がって煽り立てるから余計におかしくなる。女性を機械に喩えた表現は確かに好ましくないが、だからと言って審議拒否までしていいものか▼大騒ぎになる背景には「男女共同参画社会基本法」があるせいかも知れない。同法が施行されてから、看護婦、婦人警官、スチューワーデス等の言葉は差別用語とされた。ジェンダーフリー思想が広まり、女性を機械にたとえるなんて、とんでもないと言いたいのだろう▼柳沢厚労相は思わぬ失言で袋叩きにされているが、これはいじめ≠ナある。すみません≠ニ謝っても、このいじめを党利党略に利用するのは次元が低すぎる▼国会議事堂は国の家≠ナある。一般家庭において言葉遣いが悪いと喧嘩していたら一体家庭はどうなるか。家庭内暴力、親子の殺し合いに発展する。言葉遣いでいじめてもいい。このような風潮が蔓延しているのが現代社会である▼政治家の言動が子どもの教育にどんな影響をもたらすか、深く考えたことがあるだろうか。気に入らない言葉を言われたら「徹底的にいじめて喧嘩してもいい」と、知らず知らずのうちに教育されているのだ▼人間はお互いに支え合い助け合って生きる動物であるならば、為政者自ら寛大な心を持ち、その手本を示して欲しい。言葉尻をとらえいじめる≠フはみっともない。教育改革をいう前に、政治家の心を改革をしてもらいたい。(S)

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稲毛新聞報道10周年企画 【事件の裏側・連載シリーズ5】
「下山事件」の取材記者の裏話(3)
 下山事件(しもやまじけん)とは、第二次世界大戦敗戦後の連合軍による占領中の1949年(昭和24年)7月5日、時の日本国有鉄道(国鉄)初代総裁・下山定則(しもやま さだのり)氏が、出勤途中に公用車を待たせたまま三越日本橋本店に入り、そのまま失踪、15時間後の7月6日午前零時過ぎに常磐線・北千住駅―綾瀬駅間で轢死体となって発見された事件。事件の真相が不明のまま多くの憶測を呼び、「戦後史最大の謎」と呼ばれる。また、同事件から立て続けに発生した三鷹事件、松川事件と合わせて国鉄の戦後三大ミステリーとも呼ばれる。【フリー百科事典『ウィキペディア』】

バラバラで発見された無惨な下山総裁の遺体
北海道から九州まで日本全国の鉄道を統轄する国鉄総裁・下山定則氏が怪死?した大事件。戦後の混乱期に起きた事件とはいえ、歴史的事件だったが死因≠ヘナゾのまま風化≠オてしまった。
 この稿は事件そのものの、今まで知られなかった事実=A隠された、いくつかの事実≠ノついて最後にふれる。まず前月号に続いて、凄惨な現場の状況から再現しよう。
 脳ミソがなくなった皿≠フような頭蓋骨、腸が雨で洗い流された腹部らしきものの一部。遺体はこれ以上、筆にできないような、凄惨なバラバラになっていた。「下山総裁にまず間違いない」と彼が確信を持ったのは顔らしきもの≠フ発見だった。K記者は下山総裁に何回か会っていた。下山総裁の顔の特徴は、目尻が垂れ下がった、笑うと優しい顔になることだった。その顔(顔だったものと言ってもいい)を発見したのである。その顔の3分の1は失われていたが、目尻は下山総裁そのものを示していた。「よし、間違いない」。K記者は綾瀬駅に向かって駆け出した。
 ここで彼はもうひとつ大きな発見をするのである。雨に打たれてしわくちゃ≠ノなっていたが、背広の上衣があった。拾い上げて胸のポケットを探ると名刺が出てきた。名刺には「国鉄総裁・下山定則」を書かれていた。「遂にやったぞ!」。
国鉄綾瀬駅の駅長室に飛び込み、鉄道電話で有楽町駅に「今や遅し」と待機していた仲間の記者に、見てきた現場の状況を伝えるK記者の声は、興奮に震えていた。テレビなどなかった頃の話である。事件の速報はラジオと新聞社が発行する号外に限られていた。
新米記者≠フ第1報後、警視庁記者クラブの事件記者たちが、さらに詳報を速報した。予想すらできなかった大事件≠伝える号外の鈴の音≠ェ早朝の町にこだました。事件はK記者の新聞社の圧倒的勝利≠セった。警視庁のH警部と、社会部のSデスク(副部長)の信頼関係で結ばれた結果の、あまり例のない見事な特ダネ≠セった。あの文字通りバラバラ≠ノなった下山総裁の遺体。それから何年にもわたって続けられたのが、朝日新聞と毎日新聞で展開された、下山総裁の自殺説・他殺説である。
 その真相は歴史の彼方≠ノ消え去ってしまったが、これから書くことは、当時も報道されなかったし、他殺説・自殺説に直接関与しない、本当の意味の秘められた話≠フいくつかを紹介することである。
 アメリカの総司令部が、国鉄に対して4万人余という、大量従業員の首切り≠押し付けてきたのは、国鉄経営の合理化という理由を表面にしていたが、真の狙いは戦後日本の労働界の主力として、常に労働運動をリードしてきた国鉄労働組合の弱体化を狙ったものだった。それだけに、GHQと国鉄労組の間に立った下山総裁の悩みは、余人には知られないほど深かったと言っていい。
 下山総裁は戦時中、国鉄職員とともに戦地に行くという苦労もしている。ビルマ戦線の鉄道を整備するため、国鉄職員を率いて仕事をした経験を持っている。その下山総裁が、GHQの指令とはいえ、多くの部下を首切る≠アとが、いかに辛かったかは、想像するに余りある。
 下山総裁の、他人には想像もできない内面の悩み、誠実な人柄だっただけに、その奇怪な死を遂げる前の、今までに明らかにされてこなかった事実のいくつかを紹介しよう。
 下山総裁の死が自殺だったか他殺だったかに直接ふれるものではない。下山総裁の死をめぐってはなぜ?≠ェ、あまりにも多かった。それを1つ1つ取り上げて、稲毛新聞の読者の判断≠フ材料にするのも、今ではあまり意味がない。
 まず第1は、国鉄をこよなく愛し、国鉄とともに一生を歩んできた下山総裁が、なぜその愛する鉄路を自らの血≠ナ汚したかである。
 次号では、そのなぜ?≠1つ1つ紹介して、この戦後最大の事件の締めくくりとしたい。(つづく)

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学校物語 107 千葉市立土気中学校
吹奏楽部が全国大会で最優秀賞を受賞
緑区土気町にある「千葉市立土気中学校」は、昭和22年に「山武郡土気町立土気中学校」として開校。昭和44年に土気町が千葉市と合併し、現在の校名に変更した。来年度には創立60周年を迎える。教育目標に「確かな学力を身につけ、豊かな人間性を育む」を掲げ、「自主的に学習にとりくむ生徒」「豊かな心を持ち、礼儀正しい生徒」「健康で活力にあふれ、進んで働く生徒」を目指している。全校生徒210人が勉学とスポーツに励んでいる。
 学区が広いため、3分の1の生徒が自転車通学をしている。同校は今年度、千葉市環境学習モデル校の指定を受け、昨年の秋には、環境省・環境カウンセラーを講師に招き、地球規模の環境保全に関する講演会を開催した。
 また、同校の周辺は緑が多く自然環境に恵まれている地域だが、昨年の夏休みには川の水質の調査研究にも取組むなど、自然環境を守ることの大切さを学習している。昨年9月に開催した「千葉市中学校総合体育大会・駅伝の部」では同校の女子チームが優勝を果たした。また、同校の吹奏楽部は20数年前から全国大会などで活躍をしている伝統のある部で、今年度も「こども音楽コンクール東日本大会」管楽合奏の部で最優秀賞受賞、「日本管楽合奏コンテスト全国大会」で最優秀賞受賞、「千葉県吹奏楽コンテスト」で金賞を受賞するなど優秀な成績を収めており、今年2月には「千葉県教育奨励賞」を受賞。吹奏楽部の部員は約50人で、その多くは女子生徒。今後も活躍が期待されている。同校の学区は歴史のある地域で、家族4代にわたって通学をしている家庭も多く、保護者の人たちも地域の人たちも同校には愛着を持ち、学校の行事などに協力をする他、様々な形で子どもたちを見守る姿勢を取り続けている。さらに、土気地域の学校の校長・教頭、幼稚園園長、会長、育成委員会などで組織する広域の「土気地域教育機関連絡協議会」が結成されており、教育に関する情報交換や研修会、マラソン大会などを行い、地域全体で子どもたちを育てる取組みを実践している。【浦野】

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市民ガイド
千葉県立美術館
−悠久のロマンを現代に−
 篠崎輝夫・回顧展
本展は篠崎輝夫の重厚で詩情あふれる作品の中でも代表作約100点や水彩画、デッサンなどを紹介する本格的な回顧展▼会期・3月4日(日)迄▼時間・9:00〜16:30*休館日・月曜日(但し祝日の場合開館し翌日休館)▼入館料・一般500円(400円)高・大生250円(200円)カッコ内は団体料金*中学生以下、65歳以上、障害者手帳持参の方、介助者無料▼問い合せ・C242-8311千葉県美術館★関連行事「シルクロードと民族音楽・馬頭琴の調べ」(無料)2月11日(日)11時〜13時30分(講堂)

◎千葉県立美術館の3月の展覧会及びイベント
▼アート・コレクション
「浅井忠・フォンタネージとバルビゾン派」
3月10日(土)〜3月31日(土)
千葉県ゆかりの近代日本洋画の先駆者、浅井忠とその師であるフォンタネージとバルビゾン派の作家たちの作品を紹介します
「富取風堂」
3月10日(土)〜4月15日(日)
身近な周辺の自然や花鳥を描いた日本画家、富取風堂(1892〜1983)の作品を紹介します。
「新収蔵作品展」
3月10日(土)〜5月6日(日)
平成18年度に収蔵した日本画、洋画、書の作品を紹介します。
「書の美」
3月10日(土)〜5月20日(日)
戦後房総書壇の発展とともに歩んできた代表的な作家の作品を中心に、優美な書の表現を紹介します。

休 館  日: 月曜日(ただし、月曜日が祝日・振替休日にに当たる場合は開館し、翌日休館)
開 館 時 間: 午前9:00〜16:30
入場料金: 一般¥300 高・大学生¥150 中学生以下・65歳以上無料
住   所: 千葉県千葉市中央区中央港1-10-1
電   話: 043-242-8311 ファックス:043-241-7880
最 寄 り 駅: JR京葉線・千葉都市モノレール「千葉みなと駅」から徒歩8分
http://www.chiba-muse.or.jp/ART/

建国記念日県民の集い
2月11日(日)午後1時〜4時▼千葉県教育会館大ホール▼「美しい国・日本創造」▼講師・篠沢秀夫氏他▼入場料千円。稲毛新聞読者先着20名無料▼問いC241-6104(金子一之)

「I am 日本人」上映会
☆出演・森本クリスティーナ、森田健作、藤岡弘。ほか▼主催・千葉建国塾▼日時・3月19日(月)午後1時〜▼場所・ぱるるプラザ千葉ホール3F(JR千葉駅前)▼料金・大人1,000円、中学生以下500円▼予約・C256-8361、FAX256-8844(担当木村)

中高年女性の無料医療相談
女性の尿もれ・骨盤臓器脱・尿失禁・骨盤臓器脱は、命に関らない、QOL疾患ですが、日常生活で障害になるような症状が出るうえ、中高年女性では罹患率の高い疾患です。いろいろな悩み相談を受付▼亀田メディカルセンター(千葉県鴨川市)▼相談窓口開設日時・2月21日(水)、28日(水)、3月9日(金)の14:00〜16:00▼相談電話C0470-99-2359 *「電話相談へ」と告げて下さい。▼相談対応者・清水幸子医師(産婦人科)。

ギャラリー古島
▼2月9日(金)〜19日(月)「幻想のペルシャ クム・シルクとキリム展」*15日(木)休廊▼3月2日(金)〜3月7日(水)「太田武彦 作陶展」▼問い合わせC243-3313ギャラリー古島(JR西千葉駅徒歩1分)

こみなと稲毛ギャラリー
▼2月11日(日)まで「小湊鉄道フォトコンテスト入賞作品展」▼問い合せ・会場申込・C252-4713こみなと稲毛ビル5階(JR稲毛駅徒歩1分)

千葉市民ギャラリー
第5回いちょうの会油彩画展▼日時・3月6日(火)〜11日(日)9時〜17時*賛助出品・武内和夫、武内實▼問い合わせ・C293-0136(渡辺)

知らないと損する年金の話
国会では年金改革法が成立しました。そこで今回の年金講演会では豊富な具体例で分かりやすく年金のしくみを紹介します▼日時・2月13日(火)場所・船橋商工会議所3階301号室(Tel047-432-0211)▼講師・社会保険労務士 曽我 浩▼ 内容・10:00〜11:30「知らないと損する年金の話」11:30〜12:00「年金無料相談」▼問い合わせ・曽我社会保険労務士事務所・花見川区幕張本郷1-11-3ワコービル2F(C275-1757)

支えあう会「α」講演会
支えあう会「α」は、がん患者と周りの人々によるグループです。▼日時・3月3日(土)13時〜16時30分▼場所・千葉市ハーモニープラザ 障害者福祉センター多目的ホール▼テーマ・「私達の選んだ医療〜患者と医師それぞれの視点から〜」▼内容・第一部講演:柳原和子(ノンフィクション作家)工藤正俊(近畿大学医学部教授)第2部対談:柳原和子・工藤正俊・篠田恵一▼資料代1,000円▼問い合わせ・C090-9317-8488(支えあう会「α」事務局)

花光ランチタイムコンサート
▼日時・2月16日(金)12時お食事12時半開演★2,500円(お食事お茶つき)▼演奏・テノール秋山健治、ピアノ新里恵美、トランペット酒井清志♪曲目・オーソレミーオ、マレキアーレ他▼問い合せ・C271-0002(花光・JR新検見川駅より「さつきが丘団地」行きバスで「畑町西」下車)

ミニテニスをはじめませんか
▼ミニテニスは普通のテニスより大きなボールでプレイする運動量が少ない年配の方にも楽しくできるスポーツです。興味がある方、ぜひ見学にいらして下さい。▼実施日・(1)毎週日曜日12時30分より宮野木小(2)毎週月曜日18時より轟町小▼問い合わせC250-6858(畠山)

カルチャーセンター稲毛 生徒・教室利用者も募集!
会議・研修会にもどうぞ。ステンドグラス、マミフラワーデザイン、トールペイント、英会話、油絵、書道、ろう造花、手書き染め等。問合せはC244・3989【無料建築相談会】初めての家づくりプランニングから業者選び、資金計画まで▼日時・2月24日(土)午後1時〜3時▼問い合せ・アイム設計C244・3989

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今月の人 千葉で音楽を広めて活躍
ピアニスト・国立音楽大学講師 榎本 潤さん 38歳
ピアニストの榎本潤さんは、3歳の時に東京から千葉市の稲毛に越して来て以来、稲毛で暮らしている。3歳からピアノを習い始め、県立千葉東高等学校の音楽部で活動し、国立音楽大学ピアノ専攻科を経て同大学院を卒業。大学ではピアノとチェンバロを専攻。大学在学中から演奏会に出演し、1988年、東京イイノホールで開催された「フレッシュ・コンサート」でモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏してピアニストとしてデビュー。1994年からピアノ・ソロリサイタル開始。1996年に開催された北九州芸術祭で優秀伴奏賞と全日空賞を受賞。これまでに、NHK交響楽団や東京フィルハーモニー交響楽団などのオーケストラと共演している。さらに、全国各地で、ヴァイオリン奏者の川井郁子さんやフルート奏者の山形由美さんやテノール歌手の錦織健さんなどの著名アーティストとの共演を重ねている他、海外からの来日アーティストとの共演も行うなど、デビュー以来、大活躍をしている。また、チェンバロ奏者としてもソロ・リサイタルやオーケストラとの共演、来日する海外の著名アンサンブルとの共演を果たしている。榎本さんは、大学院卒業後の5年間、母校の千葉東高等学校音楽部の混声合唱団の指揮者として指導に当たり、「全日本合唱コンクール全国大会」に出場して1位に輝くという実績を残した。現在は、同音楽部の卒業生が結成した「合唱団からたち」の指導や県内3つの女声合唱団の指導に当たっている他、宮崎県の合唱団の指導も行っている。1年に100回前後のコンサートを開催するという榎本さんは「音楽は世界共通の文化。音楽を通して平和や人間の優しい心など、大切なことを表現している。私はピアノと作品からエネルギーをもらっているし、宮崎では子どもたちからエネルギーをもらう。子どもたちはピアノや歌ができれば何でもできるのだから、さまざまな事に挑戦して可能性を広げて欲しいと思う。音楽を続ける子どもたちが増えて欲しい。今後は、地元のアーティストとして千葉での音楽活動に力を入れたい」と情熱的に語った。 【取材・浦野美智子】

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花の道  川島 正仁
第3部 運命を神に委ねて(2)
 ホテルはチャツプルテペック公園内にある最近できたばかりのプレシデンテホテルであった。ここに1室をもらい、丸3カ月ツアーのコーディネーションを行った。私が思っていたように、ローカル側は息の掛かった土産店と提携していた。私はそれに大使館にいた時使ったR店を加え、ツアーグループごとに代わる代わる使うことにした。それを知ったローカルエージェンシーのガイドたちは反発した。R店はコミッションを出さないというのである。私は社長に説明し、双方の取り分を決めた。ガイド連中は生活がかかっているので必死だ。私も日本でガイド業をやっていたので彼らの気持ちはよくわかった。ツアーの方は思っていたトラブルもなく、何にもましてコカコーラの上司の人たちは、アカプルコのパラセーリングもエンジョイして、ツアーは大成功に終わった。コミッションの分配も双方まあまあ満足のいくものだった。
 そういう私のコーディネーションを観察してきたメキシコ観光の鈴木さんが帰国後、ぜひ自分のところで働いてほしいと言ってきた。私も即答は避け、後日連絡するということで別れた。旅行社の方も仕事がうまくいき、コミッションもまずまず入ったので満足していた。休む暇もなく仕事は次々に入った。困難なツアーばかりである。しかし南回りヨーロッパ10日間のツアーには閉口した。ヨーロッパに行くのにインド経由で入るのである。行きに36時間、帰りにまたまた36時間、トラブルが生じればそれどころではなくなる。お客さんは眠っていけるが、添乗員はそうはいかない。私が機内でグウグウいびきでもかいていたら、それでクビがとんでしまう。添乗員がのんびりできるくらいのツアーのほうが実際はいいのだが、添乗員はとにかく動き回っていないといけないらしい。そうしないと後日クレームのもとになる。「あの添乗員は何もしなかった」と帰国してからオフィスに言いつけるのである。そういう人達にまで気を使うと、とても神経が持たない。私は心身ともに疲れた。
 妻は岡崎市にある実家に帰っていたので、添乗の合間を利用して帰国すると車で岡崎に向かった。半分位来たろうか。無性に眠いと思った瞬間ボンと異常な衝撃を受けた。ガードレールにぶつかったのだ。しかし運よくカーブにそって車は左に流れていった。私はハンドルをグッと握り締めてバランスを保った。その瞬間に「助かった」と思った。まだ神様は見捨てていない。私は人の運命は神が握っていると考えている。その存在は非常に説明しがたいが、まさしくそういうものが存在しているのだ。このように割り切ってしまうと気持ちに余裕が持てるのだ。神はまだ私を必要としている。(第3部終了)

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