130,000部発行
2020年8月7日
通巻第287号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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想い出の人
 国会タイムスを発行していた五味武氏は福島県会津地方の出身で政界ウオッチャーとして活躍した。元総理の福田赳夫氏と親交があり、「グローバルレインボーシップ」を組織し、政府の支援を得ながら世界各地の貧しい国々に経済援助活動をしていた▼五味氏は国会タイムスを発行する傍ら、国政オンブズマン委員会を立ち上げ2000年6月に会報「GOA」創刊号を発行した。機関誌の冒頭に「一筆啓上!世の不条理、悪徳、弱い者いじめ、税の無駄遣い、国民に代わって告発申し上げる!」と記述している▼五味氏は稲毛新聞のコムスン事件を取り上げたのがきっかけで、小生を気に入り、国政オンブズマンの仲間になって欲しいと依頼された。国政オンブズマンには佐藤道夫国会議員、評論家の細川隆一郎氏、上田哲氏、栗本真一郎氏など錚々たるメンバーがいた▼その後、小生は会報「GOA」に農協問題、記者クラブ制度の矛盾点などを取材し投稿させていただいた。2000年秋に稲毛新聞で取り上げた「医療を金で食い物にするコムスンの横暴」の記事に対してJLNAブロンズ大賞優秀賞を受賞することになった▼ブロンズ像は池田満寿夫氏の作品で五味武氏が製作を依頼したもので、受賞祝賀会はコムスン記事の取材源になった寒竹郁夫氏に実行委員長を引き受けていただき、ホテルグリーンタワー幕張で盛大に開催した。五味武氏のほか、池田満寿夫の代理でバイオリスト佐藤陽子さんも出席していただいた。   (正)

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主張 経済学者とエコノミスト及び産経は国民の敵
稲毛新聞論説委員 入野守雄
 令和2年6月28日、産経新聞は財政出動どこまでを掲載。「難しいのは財源をどうするか。非常事態だからお金を発行すればいいが、逆にインフレや財政破綻を招くので、財政出動は可能なのか?」と問題提起し三人の人物を登場させている。一人目が小黒一正法大教授で都立国立高卒の筆者の後輩、京大理学部卒、一橋大大学院経済学研究科博士課程修了。平成9年財務省入省。平成27年4月現職。消費税100%を主張する極左である。
 小黒教授は「今年の国家予算は1次、2次補正を含め160兆円に拡大し、補正予算は国債発行で賄うため、日銀が国債の買い入れ枠年間80兆円を撤廃したので国債発行は可能」と述べながら、「国債発行残高がGDPの2・4倍になり、先進国で最悪の状況」と決めつける。
 30年前の日本のGDPは約500兆円で米国と拮抗していた。しかし日本のGDPは公共投資を減らし、増税で成長せず。米国のGDPは投資と減税で2000兆円に成長した。
 二人目が大和総研チーフエコノミストの熊谷亮丸。東大大学院法学部卒。米ハーバード大経営大学院上級マネジメントプログラム修了。みずほ銀行、メリルリンチ日本証券を経て現職。「お金はいくらまで刷れるのか。円や国債の信認がなくなればハイパーインフレを招く。
 今年のGDPのマイナスは87兆円で補正予算は57兆円だが、財政規律維持で増税せよ」と主張する。デフレ下の増税は必要なく減税こそ正道なのだ。
 三人目が伊藤隆俊コロンビア大教授。一橋大経済学部卒。IMF上級審議役、財務省副財務官、東大公共政策大学院院長を経て現職。「国債を積み上げ財政赤字を増やせば、将来世代に返済負担が行くから」と増税至上主義論者である。
 経済とは経世済民、国民を豊かにすることで円を発行し国債が発行できるのは国民を豊かにするためで、政府の赤字は国民の黒字である。全てのマスコミは貧困化政策に賛同する国民の敵である。30年も増税を続けたのでデフレとなり、米国を始め世界各国がGDPを伸ばしたのに日本だけGDPが伸びない。
 経済は自然現象ではなく社会現象である。平成元年4月消費税3%を竹下登首相が作り、同年12月、日経平均株価3万9千円が2万円に暴落。平成14年に小泉政権は7700円に大暴落させ、3千9百万円が770万円。現在2万2千円台で2千2百万円と回復したが、それでも1千7百万円の損害である。
 米株はこの間2千8百ドルが2万6千ドルで、2千8百万円が2億6千万円。インフレで半値になったドル安を勘案しても1億3千万円である。
 事実を発言しないマスコミや経済学者、愚かな政治家や国民が闊歩している。30年間で半値になったドル安は年間2〜3%のインフレで米国経済は成長した。日本は増税でデフレになり円高となり、30年間に1京円(1万兆円)の損害を被り、国民1人当たり1億円になる。加害者は敵国条項のある国連のIMFや大学教授とマスコミである。もし増税せずアメリカ並みの真面な経済政策を政治家が実施していたら、日本のGDPはアメリカを抜いていて、世界一の経済大国になっていた。30年間日本国民に1京円の損害を与えた大学教授、マスコミ、政治家は国賊である。バカほど怖いものはない。

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短編小説 モノレールストーリー
心みだれて 作・吉成 庸子
 梅雨晴れの空は青く澄んでいる。波子は弘と一ヶ月振りに会えた嬉しさを胸の中にそっと納めて、我が家へ帰るために足を早めた。波子は三人の子供の母だ。
 中学生の長男と長女が居て、末っ子の男の子はまだ小学四年生なのだ。波子の夫は、小さな不動産屋をしている。稼ぎは現在はいい方だと思うが酒が入ると手がつけられない。人が変わってしまい波子をなぐったり、けったりした。
 彼の暴力は不思議なことに子供達には全く向かわなかった。波子とは見合い結婚だ。彼が酒乱だとわかったのはずっと後で、すでに三人の子供が生まれていた。
 自分さえ我慢すればいいんだと波子は必死で耐えている。でも最近では、殺されるんじゃないかと思う時もあった。
 子供達にも父の酒乱ぶりは知られてきた。上の二人は父が暴れだすと夢中で母をかばった。
 波子は何度か子供達を連れて家を出てしまおうと思った。だが子供達には良い父なのだからこの子達を父無し子にはすべきではないと思うのだった。波子は母を知らない。物心ついた時には父と二人っきりだった。父は、母は死んだと話してくれた。父の手で育てられた波子が本当の事を聞かされたのは小学校四年生の時だ。
 近所の小母さんが「あんたのお母さんは若い男を作って家を出て行ったのさ。子供を捨てる女なんて鬼だよ。あんたお父さんに感謝しないとバチがあたるよ」と教えたのだ。父に聞いてみようと思ったが、何故かきいてはならないと考え黙っている。でもその分波子の心の中で父への愛情は強くなっていった。短大を卒業してすぐ父から「お前に好意を持っている男がいる。結婚しなさい。波子より十才くらい年上だが真面目な男だから」とすすめられる。あってみると優しそうな人なので父の言葉に従い結婚した。すぐに子供が出来て、父は孫が出来たと大喜び。子育てに夢中で過ごしているうちに波子は三人の子の母になっていた。同居している父は「波子、俺はもういつ死んでも思い残す事はないよ。 孫ってのは可愛いもんだなあ、俺はいつ死んでもいいよ」と言っていたがその言葉通りそれから二ヶ月後に天国へ旅立ってしまった。それが波子の不幸の始まりになってしまった。
 目の上のコブであった父の存在がなくなったのと、仕事で大損したのが原因なのか、夫は大酒を飲むようになってしまい、酔っては波子に暴力をふるうようになってしまった。それは日増しにひどくなっていく。たった一人残っていた部下の弘が波子に同情し、相談にのってくれた。波子より十五才も年下なのに、いつしか二人の間に愛情がめばえていった。彼は波子の夫の許を去り、工事現場で働きだした。真面目さを認められ現在はゼネコンで働いている。波子に彼は真剣にプロポーズしている。恋愛経験もない波子にとっても彼は初めて好きになった人。彼女の心は千々に乱れて、出来ることなら弘と一緒にいたいと思うのだった。だけど私は三人の子供を捨てるわけにはいかない。けど、弘を思うと会いたくてたまらない。自分の気持ちをもてあます波子だった。
 中学生になる長男も長女も波子の気持ちがいくらかわかるのか、父に対して「パパ、ママを大切にしてよ」と時折父に説教している。特に長女は「ママ、うんとおしゃれして、お芝居でも観にいくといいよ。パパはホントひどいと思うよ。でもお仕事がうまくいかないからママにあたってるんだよ。 今に必ず昔のパパになるから、それまでママ我慢して。お願い」なんて言う。そんな時末っ子の二郎が「ママ、モノレールに乗ろうよォ」とせがんだ。久しぶりに乗ったモノレールの窓越しに広がる空のむこうに珍しく七色の虹が見えた。
 何故か波子には虹のかなたから、一度も会った事のない母が「波子、私と同じあやまちをするんじゃないよ」と叫んでいるように思えた。
 「ママ、今夜のおかずハンバーグがいい」と二郎が言った。「わかった」波子は二郎を強く引き寄せた。絶対に離しはしないと心に決めて。

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市民ガイド
美しい街づくり活動
公園、通路、広場、そのほかの公共の場所でボランティア清掃活動を行う団体・個人を対象に年間を通して、ごみ袋や軍手などを提供しています。私たちの住む町を私たちの手できれいにし、ポイ捨てしにくい環境をつくりましょう。申し込み方法など詳しくは稲毛区地域振興課くらし安心室Tel043-284-6106 FAX043-284-6189
消防音楽隊けやきコンサート
▼日時・8月26日(水)11時〜12時▼会場・生涯学習センター▼定員・先着100人▼申込方法8月3日9時からEメール(1通1家族)で必要事項のほか参加人数を明記して消防局総務課shobo.event@city.chiba.lg.jpへ電話043-202-1664、FAX043-202-19614も可
里親を募集しています
親の病気や死別、離婚など色々な理由で家庭での生活ができない子どもたちがいます。里親制度は、このような子どもたちを家族の一員として迎え入れ、家庭の中で育てていく、子どものための制度です。詳しくはお問合せ下さい。▼問い合わせ・児童相談所Tel043-277-8880 FAX043-278-4371
シニアから始めるボランティア相談会
▼日時・8月31日14時〜16時30分▼幕張公民館▼ボランティア団体の紹介と相談会*定員先着30人▼問合せ・8月3日から電話256-4510、FAX256-4507生涯現役応援センター

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今月の人
Cafe369(カフェみろく) オーナー 伊庭 潤子さん
 地球環境や動物にやさしいビーガン食を広めたい
 オーガニック食材にこだわる割烹「駿河」(中央区新町)の女将として活躍中の伊庭潤子さん。「駿河」の料理を気軽に楽しんでもらおうと、近隣角地に先月開店した、コロナ対策万全のオープンテラス式居酒屋「角屋バル」も人気だが、昨年、伊庭さんがプロデュースした本格的ビーガン食の店「cafe369(カフェみろく)」も注目を浴びている。 ビーガンとは肉、魚、卵、乳製品など動物性食品を一切口にしない人のことで、健康のためだけではなく地球環境問題に対して様々な角度から貢献することを目的としている。
 伊庭さんは小学6年生のとき、仕事で赴任する父親と共にアメリカに渡り4年間暮らした経験を持つ。「当時、友達から日本について聞かれても、日本の文化や魅力を何も知らなかったのでとても恥ずかしい思いをしました」と振り返った。
 帰国後は京都の同志社国際高校から同志社大学へ。華道や茶道を習い、神社仏閣を巡るなど日本文化を学ぶと「この国には誇れるものがたくさんある」と実感したという。
 卒業後は三井物産(株)に入社し貿易関連の業務に就く。その後、母親に代わり女将として「駿河」を引き継いだ伊庭さんは、外国人観光客へのおもてなしとして、生け花や茶道、太巻き寿司づくりなど体験コースを提供し日本文化を発信。また、「駿河」は千葉市の日本料理店で唯一ハラール認証を取得した店としても知られるようになった。伊庭さんが食の大切さに気付いたのは20年前、母親の乳がんがきっかけだった。「塩の禁止や脂質・タンパク質を制限するゲルソン療法を実践したところ1年で完治し、やはり食事が大切だと確信しました」。そして自身の低体温症や代謝量低下には、ハーブデトックスやビーガン食で体質改善に成功したことが「cafe369」の開業につながった。 「店名は、とりこぼしなくみなさんが健康になれますようにと弥勒菩薩から名付けました。野菜だけでも必要な栄養素は摂取できることを広め、ビーガン食を通じて少しでも環境問題に貢献していきたい」と伊庭さん。無農薬・無添加・手作りにこだわり、安心安全な食事を楽しめる店として遠方から足を運ぶ方も多いという。みなさんもぜひお試しを。◇「cafe369」◇千葉市中央区中央3-14-1 STビル1F◇043-310-3322     【取材・真田はる代】

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随筆 どっちもどっち

吉成 庸子さん
 暑いのは苦手なくせに、七月生まれのせいだろうか?私は夏は大好きだ。儀ちゃんと結婚する前は、毎年たくさんの仲良しが集まって、盛大なバースディパーティを開いてもらっていたっけな。
 儀ちゃんもその仲間の一人だった筈だけど結婚したらそんなことコロリと忘れてしまったみたい。私の誕生日が来てもまったく何の反応も示さない。私はじれてしまい「お父さん今日何の日だかわかる?」と聞いてみる「終戦記念日じゃないし何の日だったかなあ」興味なげにこたえる彼に私は「いやだなあ忘れちゃったの?私の誕生日じゃないの」と言ってやる。
 「ああ、そうかあ」と答えただけで再びテレビに見入る儀ちゃんを私は、真赤なバラの花束を抱えて、毎年千葉から駆けつけてくれた同じ人間と思えず、あーあと思わずため息をついてしまう。
 釣った魚にはエサをやらないとよくいわれるがそんな事なんだろうかともかんがえるが、私はまさか儀ちゃんと結婚するなんて夢にも思っていなかったので、何となく納得がいかない。
 「お父さん、プレゼント位用意すべきじゃないの、大切な女房にさ」私は精一ぱい嫌味を投げてやる。「バカバカしい。何で俺が女房にプレゼントしなきゃならん。第一そんなこと生まれてから一度もしたことないからわからん」「でもさ、結婚する前はバラの花束持って来てくれたじゃない」私の言葉に「ああ、あれは秘書課の女子に相談したらいつも用意してくれてたんだよ」そうゆう事だったのか…と私は少ししらけた気がした。
 一緒になって二・三年は、そんなやりとりがあったが私もいつの間にか諦めてしまった。
 彼は一月一日生まれ。「お父さんのバースディには、日本中の人がおめでとうと挨拶してくれるんだから、それで充分だよね」と私はあっさりしたものだ。ああ我が家は全く記念日の無い家で、結婚記念日もクリスマスもやらない。クリスマスプレゼントだけは私は儀ちゃんにネクタイを買ってきていた。さすがに悪いと感じたのか「お母さん、お金上げるから自分で買ってこい」と一度だけ言ったっけ。この人は情緒的な話はダメだなと私はつくづく思い「いらないよ、お金なんか」とことわった。
 戦争に参加した人間と、戦争を知らない人間、少し考え方が違っても仕方ないのかもしれない。
 ただ、彼が海外へ出張する時だけは私は遠慮せずに頼む。香水、口紅、アクセサリー等々。ブランド名、色、形など紙にビッシリ書いて渡す。
 あれこれと追加してしまい紙は一枚では足りず三枚になる。結構この注文はかなりの率で買ってきてくれた。
 夢中になって買い物に走る彼の姿に一緒に行った方が「吉成さんも若い奥さんをもらったから大変だなあ」と同情してたらしい。私は留守の間叱る人がいないから毎日楽しく出歩いていて、儀ちゃんが大切にしていた盆栽に水をやるのを忘れて、全部枯らしてしまった。
 帰って来た儀ちゃん、それを知って庭に座り込んでしまったっけ。

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櫻井俊雄物語(3) 教育の原点は母親の愛
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎

八千代松陰創立者山口久太と若かりし俊雄氏
 子どものころ、家に帰って学校での出来事を母に話し、友達の愚痴をこぼすと、俊雄の母はただ優しく一言、「人の悪口を言ってはいけないよ」と諭し、微笑むだけであった。
 俊雄は学校での出来事で、俊雄の立場に立ってくれることを期待していたが、期待外れなのになぜか母の言葉は胸の中にスーッと入ってきた。
 ある日顔を真っ赤にはらして帰ってきたことがあった。大日本帝国海軍の元幹部軍人だった父親にも訳を聞かれた。「先生に殴られた!」殴られたわけも聞かず、すかさず返ってきた母の言葉は「おまえが悪い!」俊雄は母にはすべて見透かされているような気がして、小さくなるしかなかった。現代の母親ならどうするだろう。体罰で問題にする人ばかりでいっぱいだと俊雄は嘆く。体罰を容認するわけではないけれど、体罰に至った事情よりも体罰自体を問題にするから、子どもが勘違いして何が正しいかを理解できないまま大人になっているのではないかと感じている。体罰の責任を問う前に、我が子のありようをただすのが本来の母親の務めではないかと、俊雄は言う。そのうえで体罰を問題にするなら、子どもにわからないようにすべきではないかと嘆く。
 一方で、俊雄の母は俊雄が年長の子どもに一方的にやられたときは、憤然としてその子の家に乗り込んでいったというし、勉強嫌いだった俊雄の教育のため、俊雄と身の回りの物をリヤカーに乗せて、先生の自宅に寄宿させたこともあったが、それも母が決めてきたことであったというから、俊雄の母親は、ただおとなしいだけの女性だったわけではなさそうだ。
 そんな母親の影響を受けて育った俊雄は、若いころから教育の重要性を感じるようになっていた。男女差別やLGBTの尊重とは別次元の、各家庭ごとの「男女の役割分担」を尊重すべきだと感じている。俊雄の父は軍人であり、柔術家であり、川崎製鉄に招かれた技術者でもあったが、母は物腰の柔らかい人であった。両親を見て育った俊雄の、「男女の役割分担」に対する思いはひときわ強かった。そのうえで個性が大事だと信じる俊雄は、押し付けにならない教育の重要性を求めて、千葉県の教育にも貢献してきた。八千代市内の広大な土地にゴルフ場建設が予定されているのを知り、旧知の江口一雄に働きかけて土地を寄付するよう進言し、自身も多額の資金を提供しながら、山口久太を新設する学校のトップとして招聘した。
 そうしてできたのが、「学校法人八千代松陰学園」である。当時は駅から離れていて交通の便もなかったが、東洋バスに要請して路線を引いてもらったことを懐かしそうに語る。いまでは学校の路線以外にも発展していることが嬉しそうだ。俊雄は八千代松陰創立時に、その功績により役員就任を打診されているが、その時は「そんなことのために協力したわけではない」と断っている。ただ、現在の学校関係者からは「あなたが尽力した証拠はありますか」ときかれてしまうくらいこだわりを持っていなかったから、引き受けておくべきだったかもしれない。
 山口久太は晩年体調を崩したが、大人物である久太に対する病院の対応に不満だった俊雄は久太のために最成病院を設立し、そこに久太を迎え入れている。久太のために作った病院は現在も稼働しているが、ここでも俊雄は見返りを求めず、役職にもつかなかった。久太が没して俊雄が手を引いたあと、病院は世間を騒がせる大問題を起こしたが、俊雄が関与を続けていたらどうだっただろうと思うと、欲得の感情がないのも考えものだと思えてくる。
(つづく)

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