130,000部発行
2019年8月2日
通巻第275号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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論壇 松尾芭蕉と木曽義仲
成田市 上田 真弓
 5月16日放送のNHK・BSプレミアム「偉人たちの健康診断」は松尾芭蕉を取り上げていた。
 なかなか興味深い内容だったが、最後の終わり方がよくなかった。
 「芭蕉は旅先の大阪で生涯を閉じました。その墓は意外な所にあります。琵琶湖のほとりにたたずむ小さな寺、義仲寺。なぜ芭蕉は琵琶湖のほとりに眠っているのでしょう。
 それは奥の細道の旅を終えた47歳の時のこと。芭蕉は琵琶湖を訪れ、旅の疲れをいやそうと大津の弟子が用意してくれた庵に入ります。この時、琵琶湖の広々とした景色に心を打たれました。美しい景色に安らぎを覚えた芭蕉。そんな芭蕉をやさしく迎えてくれた近江の人々。人生という長い旅を終えたらここに眠りたい。遺言で芭蕉は弟子たちの手で琵琶湖のほとりに葬られました」。
 NHKの番組は義仲寺にある芭蕉の墓を映して終わっていたが、私は1986年にここを訪れた。私が訪れた目的は、木曽義仲のお墓にお参りするためだ。
 木曽義仲の墓があるから義仲寺なのだ。
 平家物語の舞台を訪ねまわっていた私は大津市にある義仲のお墓も訪れ、その時、義仲の墓の隣に芭蕉の墓が並んでいることを知った。なぜここに芭蕉の墓があるのか。お寺の説明によると、松尾芭蕉は生前「私が死んだら木曽義仲のそばに葬ってほしい」と言っていたとのことだった。
 私はこの話を知って松尾芭蕉が好きになり、木曽義仲を再度見直したのだ。
 源氏の木曽義仲は北陸の倶利伽羅峠で平家の大軍を破って京都に攻め込み、平家を京都から追い出した英雄である。
 しかし源氏の棟梁である源頼朝の指示なく挙兵したため、頼朝は激怒して弟の義経などに命じて京都に攻め入って義仲の軍を破った。義仲は逃げる途中に琵琶湖の近くで討たれて最期を遂げたのだ。
 平家物語には木曽の山奥から京の都にやってきた田舎者の義仲が、都人の言葉や文化が分からなくて馬鹿にされる場面が書かれている。義仲の兵たちが乱暴で都の人々から嫌われたことも書かれているが、松尾芭蕉は彗星のように現れて消えていった義仲が好きだったのだろう。
 芭蕉が義仲を好きだったということを知って、私は破天荒な木曽義仲という人物を見直して好感を持つようになり、義仲が好きだという松尾芭蕉に興味を持った。しかし番組では義仲の話はまったくなく、芭蕉の墓のすぐ隣にある義仲の墓も映さなかった。琵琶湖が好きだったという説明だけで、それなら他の場所でもよかったはずだ。
 番組の取材班はお寺でこの話を知ってたはずだが、なぜそれを紹介しなかったのか。NHKは木曽義仲に触れなかった理由を説明してほしい。

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