150,000部発行
2005年10月6日
通巻第109号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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千葉都市モノレール延伸決定
県庁前から千葉大附属病院までの2キロ
延長することが生き残る道≠ニ千葉市
千葉都市モノレール1号線(千葉みなと〜県庁前)の延伸がやっとまとまった。モノレール会社の経営再建策などを検討していた第三者機関「評価助言委員会(委員長・大西東大教授)が、昨年3月に「再建には千葉〜県庁前の撤去が必要」と、延伸どころか現在営業している部分まで止めるべきという報告書を提出していた。しかし、今度決まった延伸ルートは、いわゆる千葉大南ルート(約2キロ)だが、県は「千葉市とともに会社再建に協力するが、延伸費用は千葉市でどうぞ」という。県としてはモノレール事業から事実上、手を引き関与しない決定をした。
冷たい県、モノレールは千葉市でどうぞ…
「県庁職員が利用してくれない」とこぼす千葉市。モノレールの営業距離は、懸垂式では世界一の15・2キロ、全線で1日平均5万人近くが利用するが、JR京葉線と接続する「千葉みなと駅」から「県庁前行き」に乗ると、千葉で乗客の大半が降り、その先に向かう車内は閑散としたものになってしまう。
 その状況で千葉市が打ち出したのが県庁前以遠の延伸だった。「県庁前で終わっては乗客は増えない。県文化会館、千葉大附属病院まで延長することがモノレールの生き残る道」と主張する千葉市に対し、「延伸しても乗客が増える保証はない」と県が反対。実は県の最大の反対理由は「赤字を垂れ流し続けるモノレールに県費を出すのは真っ平ご免。それに京葉高速鉄道、北総鉄道など第三セクター路線は、いずれも赤字で県費の負担が大きいが、それでも両鉄道とも2つの市以上にまたがって運行されている。千葉市だけを運行するモノレールに巨額な補助を出し続けることについての県民感情を考慮しなければ…」と、一応はもっともな意見。これに対し、千葉市側は「県庁職員がモノレールを利用しないから、千葉〜県庁間がガラガラになる」と、県の非協力を嘆く。
 さて、このほど両社の間で基本合意した延伸ルートは、県庁前駅から県文化会館、千葉大附属病院前を経由して千葉市立青葉病院に至る、いわゆる「南側ルート」。延伸部分の総延長は約2キロ。始めに決定していた総延長約3・6キロのルートを大幅に短縮。総事業費も約200億円程度に減額したケチケチ工事≠ノなる。
 問題は工事費の出どころ=B千葉市側は「現状は工事中≠ニ考えて県が費用を分担するのは当たり前」と強硬論もあったが、今回の決定では、県は「可能な範囲で側面から協力する」という態度に終始した。しかし実際には、一定資金の協力は行なう方向になると見られている。
 千葉都市モノレールの抱える累積赤字は199億円に達し、関係者は「今のままでは、どうやっても黒字は無理」と嘆く。
 それでも関係者の努力で、毎年30億円以上の営業収益を上げ、駅舎設備や変電所、通信ケーブルなど設備の減価償却費を除く損益はプラスだ。しかし減価償却後は、毎年約10億円前後の赤字を出し続ける状態。こうした経営の中での路線延長は一種の死中に活≠求める生き残り策とも言えるが、逆にこの程度のものでは、赤字解消は夢≠ニも言えそうだ。
 千葉市がモノレール事業を継続するには、まず会社の経営再建が先決になるが、これについて、1.県と市などの出資金、貸付金の一部で同社の累積赤字を解消する。2.県、市の貸付金を活用し、会社の資産の一部を市に譲渡すること、などが今回の延長問題へ論議の中で決定した。
 問題は県側が、こうした各種の再建策の実施後「県はモノレール事業に関与しない」と明言したことで、これからの千葉都市モノレールがどうなるか、大きな課題を残した形になった。

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フクダ電子アリーナ≠ェ完成
10月7日に竣工式、10月16日に披露試合
ジェフU市原千葉VS横浜Fマリノス戦
Jリーグ ジェフ千葉の本拠地
 千葉市に待望の国際基準の公式戦ができるサッカー場がオープンすることになった。その名称は「フクダ電子アリーナ」。医療機器専業メーカーのフクダ電子株式会社(本社・東京都文京区本郷=福田孝太郎取締役社長)が8月25日、命名権を取得、千葉市と正式に調印し、今後は「千葉市蘇我球技場」の正式名称が「フクダ電子アリーナ」(略称・フクアリ)として、千葉市の新名所となる。
 10月7日に竣工式が行なわれ、同16日にオープンのこけら落しの試合として、ジェフユナイテッド市原・千葉対横浜F・マリノス戦が行われる。

県営スタジアムが頓挫して生まれた競技場
 これまでにジェフユナイテッド市原・千葉がホームスタジアムとしてきた市原臨海競技場は、地方都市の陸上競技場を無理やりJリーグの開催基準に合わせたものであり、「試合が見づらい」「施設が不備」「交通が不便」という批判を余儀なくされてきた。とくに、交通については最寄り駅となるJR内房線五井駅から徒歩で30分もかかり、シャトルバスでは10分程度だが、試合終了後は観客がバス乗り場に集中するためバスに乗り込むのにかなり待たされるなど、アクセスの面からも評判がよくなかった。
 Jリーグ開幕直後からサポーターの間では、市原臨海競技場に代わる新しいホームスタジアムを待望する意見が寄せられ、千葉県ではワールドカップ2002年大会に合わせて市原市八幡地区に5万人程度が収容できる県営スタジアムの建設計画した。しかし、2002年大会は日韓共催とされ、日本国内の開催回数が削減されたため、千葉県営スタジアム計画は頓挫した。
 一方、ほぼ同時期に、千葉市は川崎製鉄(現在はJFE)が千葉東工場の縮小計画を知り、跡地利用について話し合いを始めた。
 これによって策定されたのが千葉市による蘇我特定地区整備計画である。
 当初は、商業地区、居住地区、公園地区、運動施設地区を盛り込むことは決められていたが、運動施設地区に、Jリーグクラブがホームスタジアムとして使用可能なスタジアムを建設する計画は盛り込まれていなかった。
 しかし、千葉市側でも恒常的に蘇我に集客できる施設を設置したいと言う意図があり、Jリーグクラブがホームスタジアムとして使用可能な施設を建設した場合、ここをホームスタジアムとして使用してくれるかという打診をジェフユナイテッド市原、及び市原市に対して行われた。この提案はジェフユナイテッド市原にとっては渡りに舟≠ナあったが、市原市にとってはジェフユナイテッド市原のホームタウンを千葉市に取られるのではないかという危惧があった。
 しかし、サポーターはこれまで市原臨海競技場以上の施設を提供できなかった市原市に対して強い不信感を持っているものも多く、蘇我への全面移転を叫ぶ声も出始めた。このため、千葉市は蘇我臨海地域に新スタジアム建設することに自信を持ち、市原市と交渉し、ジェフユナイテッド市原・千葉のホームタウンとすることを前提に建設に踏み切った。
 こうして蘇我特定地域の総合競技場は2003年12月に着工。このたびようやく完成するに至った。
 千葉市はサッカー場の運営に関して、財政的に命名権の導入を検討。2004年から命名権を購入する企業の募集を始めた。
 しかし、当初千葉市が提示していた条件として当初は年間に1億2千万円以上、契約期間5年という案で命名権の売込みをかけたが、実際に応募企業が現れず、今年の4月に命名権の販売を「電通」に委託、改めて引き受け企業の募集を開始した。その結果、
7月20日に医療機器メーカーのフクダ電子が名乗りをあげ、命名権買収に基本合意に達した。
 契約金額は5年半で4億5千万円〜5億3千万円で合意。8月25日に命名権による名称決定が行われ「フクダ電子アリーナ」(略称・フクアリ)と決定した。

市長挨拶
「蘇我スポーツ公園」の中核施設 千葉市長 鶴 岡 啓 一
平成15年度から建設を進めてまいりましたフクダ電子アリーナ(蘇我球技場)がこのたび竣工し、10月16日に、こけら落としとなるJリーグ公式戦「ジェフユナイテッド千葉対横浜F・マリノス戦」を行う運びとなりました。
当アリーナは、「スポーツ振興の拠点」と「防災の拠点」の機能を併せ持つ「蘇我スポーツ公園」の中核施設であり、市民が気軽に集い、利用することができる市民球技場であるとともに、ジェフユナイテッド千葉の本市のホームスタジアムとなるものであります。
 施設の特徴は、選手と観客との一体感と臨場感を楽しんでいただくため、ピッチとスタンドの距離を最短8メートルと非常に近くするとともに、1万8千500席のスタンドの約9割を屋根で覆うなど、プレーする人にとっても、観る人にとっても利用しやすい球技場となるよう配慮いたしております。
 また、管理運営は、指定管理者に委託することにより、民間のノウハウを十分活用し、利用者へのサービス向上と経費の節減等を図ることといたしております。
 私は、当アリーナが、本市のサッカー・スポーツ文化の発信地になるよう期待いたしており、多くの皆様にご利用・ご来場いただきますことを心から願っております。
 おわりに、このたびの建設にあたり格別のご理解・ご協力を賜りました地元の皆様をはじめ関係各位に心より感謝申しあげ、ご挨拶といたします。

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木更津市の名誉市民に
県の私学界の重鎮・真板益夫氏に新しい名誉
 終戦直後の荒廃した、県教育界の復興・再建に、その人生の大半を捧げてきた、学校法人君津学園理事長・元県私学団体連合会長、真板益夫氏(84)が、このほど木更津市の名誉市民に推挙された。
 県の私学振興、発展は真板理事長なくしては語れない≠ニ言われるほど、戦後の私学界だけでなく、県教育界全体の発展に寄与してきた真板氏。教育ひとすじに生き抜いていた同氏に、また新しい栄誉≠ェ加わった。

小さな英語塾から真心教育一筋に
 木更津市では8人目の名誉市民となった真板氏の推挙式は、さきごろ東京ベイプラザホテルで行われたが、教育関係者だけでなく、広く県内各界から代表者が参集。改めて5万4000人もの若者を世に送り出した真板氏の、教育界への貢献の偉大さが認識された式典となった。
 真板氏は昭和20年8月、学徒動員から復員して、木更津駅頭に立った時、荒れ果てた故郷を見て「これからの日本再建は若者の力≠ノよる。その若者たちを育てるため、これからの一生を教育に捧げよう」を決意した。
 その真板氏の教育へのスタート≠ヘ木更津英語講習所という、小さな塾≠フような教育施設だった。
 それから約60年、真板氏の教育に傾けた情熱、そして「教育を通じて社会に貢献する若者を世に送り出そう」という、同氏の生涯を賭けた闘い≠ェ続いた。 その足跡を見ると、▽昭和26年・木更津家政高等女学校開校▽同29年・財団法人君津学園設立▽同38年・木更津中央高校設立▽同42年・清和女子短大設立▽同46年・清和女子短大附属畑沢幼稚園設立。続いて同46年・八重原幼稚園、同52年・金田幼稚園を設立。さらに同58年・市原中央高校を設立。平成6年には清和大学法学部を設立。こうして念願だった幼稚園から大学まで≠フ一貫教育の実現を成し遂げた。
徒手空拳≠ゥら、巨大な学園を創り上げたのは、同氏の教育に対する手腕と情熱だが、同氏の県教育界に残した足跡≠ヘ、あまりにも大きく、今では全国の教育界でも千葉県に真板あり≠ニ言われるようになっている。
 この間、夫人を亡くし、後継者と期待した長男を亡くすという不幸に見舞われたが、同氏の教育に対する情熱は衰えることなく、木更津中央高校を清和女子短大附属高校と発展的に統合し、学問だけでなく、社会に役立つ人材を育てる教育機関≠目指し、木更津総合高校として改編開校するなど常に社会と連動し、社会に役立つ人材の育成≠ニいう当初から同氏が抱き続けた真の教育≠フ実践に努力している姿は大きく評価されている。
 特に特徴的で、他の教育機関の追随を許さないのが、真板氏が最初から唱え続けてきた真心教育≠ナある。
 幼稚園から大学まで、その教育の基本が真心教育≠ナ一貫しているのも、君津学園の教育理念の大きな特徴として評価されている。
 こうした特色ある学校経営のほか、▽日本私立短期大学協会常任理事▽全国私学振興会連合会監事▽県私学団体連合会会長などを歴任。教育界全体に貢献してきた。
 また、私学学校教育功労者として県知事表彰を受賞。さらに私立学校審議会委員として文部大臣表彰。その間昭和56年に藍綬褒章、平成9年には、教育功労者として、勲三等瑞宝章を受章しており、「木更津市名誉市民」にふさわしい業績を残してきた。
 今なお現役≠ニして活躍する真板益夫氏に祝意を贈るとともに、県教育界への今後ますますの貢献を期待したい。
 真板理事長は「次代を担う若者に対しては、教育はもちろんだが、その人格形成の手助けをするというのも、教育の一環として、重視されなければならない。実社会に出て、堂々と活躍できる青少年のため真心教育≠フ実践に努めたい。卒業生が実社会で活躍することが、私の生き甲斐です」と語っている。

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