130,000部発行
2021年10月1日
通巻第301号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 節子  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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千葉市議会、論争封じか
一般質問制限で無所属議員排除
 千葉市議会(川村博章議長・花見川区)は、9月定例議会での一般質問を書面通告・書面回答形式に変更し、質問者数を制限したうえで無所属議員の質問を認めない取り扱いとした。
 市議の中から感染者が出たことや災害級のコロナ禍への対応が理由だという。質問は3項目以内の6問までで900文字までの制限もあり、各会派から合計10名限定で無所属議員の質問は認められないことになっている。川村議長は「英知のたまもの、真の議会改革」と説明しているが大手マスコミの論調や識者の見解は否定的だ。書面質問制度は一般質問ができない場合の非常措置として導入されたが、緊急事態宣言の解除が検討される段階での唐突な質問制限には市民の理解は得られまい。
 市独自のコロナ対策やコロナ後の対応について、もっと議論すべきと期待する向きは多く、コロナ対応に名を借りた質問制限にすぎないとの批判の声は大きい。書面質問が11月定例議会でも継続されるようであれば市民の負託を無視するものとの批判の嵐が起きるかもしれない。

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時代に埋もれた鉄道を訪ねて…
失われた鉄道「習志野線」を偲ぶ
かつて陸軍の鉄道連隊が建設した千葉市の北部を巡る路線
 千葉公園から穴川にかけて、国道126号線の上空にはモノレールの軌道がある。もはや見慣れた光景だが、この区間はかつて存在した鉄道路線と重なっていることをご存知だろうか。
 線路を敷いたのは鉄道連隊という陸軍の部隊。椿森に第一連隊の本部があった。日露戦争から第二次世界大戦にかけて、戦地で鉄道を敷設し物資を輸送する任務を負い、訓練のため千葉県北部に広く鉄道網を築いた。 
 今の千葉駅を起点とする「習志野線」は1911年(明治44年)に敷設。作草部・天台・穴川を通り、宮野木や犢橋、東習志野を経て津田沼駅へ至っていた。ほかに作草部〜四街道間の「下志津線」、第二連隊が築いた津田沼〜松戸間の「松戸線」などもあったことが知られている。
 600mmゲージの線路を小型の蒸気機関車が走る軽便線が基本だったが、習志野線は1067mm・1435mmゲージも並行して敷設された。一定のダイヤに従って運行された列車には民間人も自由に乗車することができたため、地域の住民には好評だったらしい。
 しかし、終戦により鉄道連隊は解体。松戸線は新京成線に生まれ変わって残ったが、残念ながら習志野線は廃線となり、大半が道路に転用された。ただ、いまでも線路跡の道路を「軽便道」などと呼ぶ古くからの地元民もいる。土地の記憶として伝わっているのだ。
 記憶だけではなく、目に見える遺構も
いくつか残っている。その代表的な例の一つが千葉公園だ。
大賀ハスや桜の名所として知られるこの都市公園の前身は、鉄道連隊の演習場である。綿打池の近くに立つ台形の黒ずんだコンクリート製構造物は、架橋の演習用に築かれた橋脚。また、管理事務所の裏手には演習用のトンネルも保存されている。
 習志野線の軌跡を辿るのは、その気になれば意外に難しくない。線路があったことを示す遺構が残されていたり、ゆかりの建築物が保存されていたりするからだ。機会があれば、それらについても紹介してみたい。 (小針洋三)

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