130,000部発行
2021年12月3日
通巻第303号
年間郵送購読料3,000円
発行責任者/佐藤 節子
発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
編集部のつぶやき
櫻井俊雄物語(18)
随想 島津幸生
随筆 吉成庸子
短編小説 吉成庸子
時代に埋もれた鉄道
市民ガイド
今月の人
読者アンケート
読者の声
過去の記事検索
会社案内
購読申し込み
お問い合わせ
編集部のつぶやき
早いものでもう師走、1年って早いですよね。結局今年も新型コロナウイルスに振り回された1年でした。秋に入りワクチン接種が進んだこともあり新規の感染者数が少なくなってきて、街には人が増え始めました。全国の観光地にも活気が戻り始めているようです。こうなると上半期の緊急事態宣言当時や、夏場に感染者数が急増していた頃の様子など忘れてしまいがちですよね。私が常々思っていることは、テレビで観光地の賑わいや高速道路の渋滞のニュースが取り上げられる一方で、第六波に備え自粛を続ける方もいるようで、実際のところ皆さんどうされているのか知りたいです。感染者は少なくなってきてはいますが、まだいることはいるんですよね。私の周辺には旅行へ行ってきた…、とか飲み会の予定がある…といった話はあまり聞きません。メディアの報道の仕方にもよりますが、もう世の中には安心感みたいなものがあるのも事実ですよね。人類が初めて経験したこの約2年、もちろんこの後どうなるのかなどわかりませんが、まだ戦いの最中なんだとは思います。(M)
随想 満蒙開拓青少年義勇軍
鎌ケ谷市・元稲毛小校長 島津幸生
昔、75年以上前戦前のことだが今の中華人民共和国の東北地区黒竜江省、吉林省、遼寧省と内蒙古自治区の北西部を含めた地域は昭和20年まで満州と呼ばれていた。
明治45年清朝崩壊後漢民族が多く移住。その満州に日本人の移民が始まったのは昭和8年3月からで満州国が出来てから1年後のことである。
昭和11年満州拓殖会社が設立され満州開拓団(長野県人が多かった)が22万人が送り込まれている。その中に女優藤原紀香の家族もいた。(NHKファミリーヒストリー)実はこの開拓団の他に満州には全国から募集された14才から18才の少年たち8万6千530人が満蒙開拓青少年義勇軍として送り込まれている。開拓団のことは知られているがこのことを知る人は少ないのではなかろうか。
満蒙開拓青少年義勇軍とは昭和12年に青少年の満州開拓が閣議決定され国策事業として次の年から「五族協和」「王道楽土」をスローガンに全国から青少年が募集され水戸市内原町にあった訓練所で学び渡満したのだ。戦争が拡大するにつれ現地で軍隊に招集され多くの犠牲者を出している。また戦後シベリアで抑留されたり過酷な状況下に郷里へ帰れなかった訓練生は2万4千人いると言われ、実に4人に1人が犠牲になっている。
その義勇軍の資料館は訓練所のあった内原にある。資料館には、中公新書「満蒙開拓青年義勇軍」国土社ノンフィクション全集15「満蒙開拓青少年義勇軍」ほか、個人の体験記が何冊もあった。これらの冊子の副題には愕然とさせられた。「知られざる昭和の十字軍」「児童虐待の全貌」「少年たちの過酷な異国の地での戦争」「日本国民が知らなかった歴史の事実」等々。創始者加藤完治については戦後隊員に謝罪する訳でもなくその無責任さが追及されている。また満蒙開拓青少年義勇軍に加わることを決意させた教師についてもその責任を問うている本もあった。
義勇軍送出数も全国一位だった長野県、少年たちを満州に送った背景には信濃教育会を中心とする教師たちの役割が指摘されている。満州開拓団の悲劇と共に参加した少年たちの悲劇も銘記したい。
短編小説 モノレールストーリー
母 と 秋 子 作・吉成 庸子
庭の隅に植えられているさざんかの花の紅色が美しい。寒さに負けず毅然と咲くこの花が私は大好きだ。私が子供の頃暮らしていた市原の家の庭にもさざんかの樹があり、おどろくほど沢山の花が咲いていたことがある。
その頃健在だった祖母がこの季節になるとさざんかの前に私を連れて行き「ヨーコ、きれいだろう。この花は北風の冷たさにも冬の寒さにも負けずに毎年きちんとこんなに立派に咲くんだよ。人間だって、おばあちゃん位の年齢になるまでには、嫌な事もたくさんある、でもそれを乗り越えて、立派に生きていかなきゃダメなのさ。ヨーコもさざんかの様にどんな風や雨にも負けずに生き抜く強い人間に育って欲しいのさ」と言ったものだ。
祖母の言葉はむつかしくて、まだ幼い私には理解できずにいたが、ずつと後になってもその言葉や情景は私のなかで忘れられずにいた。そしてさざんかの花は、私の好きな花となっていた。
祖母は、私が中学生になった時、他界してしまったがタンス一さおと長持一つがヨーコの嫁入り道具だと書いて残されてあった。
タンスの中身は着物や帯、そしてさらし木綿で縫った肌襦袢やネルの腰巻までが何枚も。花嫁衣裳の白無垢まで入っていた。長持の中は絹の夜具が二組。母はそれらの品々を眺めて「よっぽど、ヨーコの事可愛かったんだねえ」と言いながら涙を流していた。
長持の中に「ヨーコのむこ殿へ」と書いた手紙が入っていた。「ふつつかな孫でございますが、大切に育てました。どうかこの子が一生幸せに暮らしていけます様あなた様に、心からお願い申し上げます」と和紙に筆で書いた文字が踊っている。
明治生まれの祖母にとって、女の幸せは良き夫につかえ、良き母として一生送るのが一番の幸せとしか考えられなかっただろう。父も母も「大人になったら花嫁修業に励んで、真面目な人と結婚するんだよ。きっとおばあちゃんが天国から見てるからね」と私にしんみりと言ったものだ。
ところがである。私は嫁ぐどころか両親の反対を押し切り卒業と同時に飲食店を始め約二十年近い月日を送ったのだった。
私が結婚したのは41才の時だ。祖母の手紙は結婚相手の儀ちゃんに渡した。儀ちゃんの感想は「女は亭主の言い付け通りににしてりゃ一番の幸せなんだ」とさ。「私はちょっと違うんじゃないの」と言い返したかったけど黙ってうなずいておいた。
儀ちゃんが突然この世を去るまでの30年余りまあ平和な日々でした。私の忍耐力のたまものと思うのですが、儀ちゃんもかなり耐えていたのかもしれないし、カラオケで儀ちゃんがたった一つ唄えたのが「さざんかの宿」という歌。
家で何回も練習していたので、私まで覚えてしまったっけ。「愛しても愛しても、ああ人の妻…」色恋なんて全く無関係だった儀ちゃんが、どうしてあの歌が好きだったのか、私は今でも不思議に思っているのだ。
時代に埋もれた鉄道を訪ねて…(3)
「習志野線」路線跡を行く〜東習志野・三山・津田沼
地域が誇る遊歩道として整備された路線跡
第二連隊の遺構が津田沼周辺に
犢橋から作新台を経た習志野線は、京成本線の下をくぐる。京成の線路と道路が踏切ではなく立体で交差しているのは珍しい。習志野線を跨ぐための高架化で、橋梁の名称も「元軍用線架道橋」というそうだ。
橋梁を抜け習志野市へ入ると、路線跡の道路は「ハミングロード」と名が付く。遊歩道に整備された桜並木が有名だ。入口ゲート下に立つ境界標は、犢橋で見たものよりも風化が軽度なのか、「陸軍」の文字が読み取れる。
こうした境界標は習志野線沿線に多数存在する。地中に埋もれていたり、民家の塀に取り込まれていたりして確認が難しい場合もあるが、店舗の出入口脇など
意外に目立つ場所にポツンと立っていたりもする。散歩がてら探してみるのも面白いかもしれない。
しばらくハミングロードを進み、三山十字路を過ぎた直後、遊歩道の反対側に細長い空地が見えてくる。「三山駅」の跡だという。近辺にはかつて騎兵連隊があり、鉄道はその兵営に資材を運ぶための手段でもあったらしい。
路線跡はカーブを描いて南へ向かい、京成大久保の手前で西へ針路を転じると、京成本線と併走しながら津田沼に到着する。津田沼の地に広がっていたのは鉄道第二連隊の本営。往時を伝える遺構の一つは、新京成線新津田沼駅近くの小さな公園に静態保存されている「K2形機関車134号機」という当時の機関車である。戦後は西武鉄道に払い下げられたり、遊園地に展示されたりなど、紆余曲折を経てきた機体だそうだ。もう一つが第二連隊の正門で、現在は千葉工業大学の通用門であるとともに、国の登録有形文化財である。
第二連隊の建設した松戸線は新京成線として運用されている「現役」なので今回は触れずにおく。習志野線も現存していればと、つい惜しんでしまうが、失われたからこそ感じるロマンがあることも確か。それに、路線跡の大半が道路として活用されているのだから、習志野線は今でも私たちの役に立ってくれているのだ。(小針洋三)
市民ガイド
◎千葉県文化会館 ニューイヤーコンサート2022
艶やかな美声と楽曲で県民の皆様と新年を祝います。▼日時・令和4年1月8日(土)14時開演(13時15分開場)▼会場・千葉県文化会館大ホール▼曲目・スッペ/序曲「ウィーンの朝、昼、晩」、ジーツィンスキー/ウィーンわが夢の街、J.シュトラウスU/皇帝円舞曲など▼出演・山下一史さん(音楽監督)、腰越満美さん(ソプラノ)▼料金・S席5,000円/A席4,000円/B席3,000円▼問合せ・Tel:043-222-4231(千葉交響楽団事務局)
◎青葉の森公園 芸術文化ホール
【小学生〜高校生対象】 能楽師が先生 第2回 「能楽公演って楽しい!」
能楽は600年以上前から続いている伝統芸能です。その魅力をぜひ知ってくださいね。
▼日時・令和4年1月30日(日)11時00分▼参加費:500円▼対象:小学生・中学生・高校生 (小学生は保護者同伴となります) ▼定員:30名
【一般対象】「第2回能楽講座」
令和4年2月13日(日)に行われる第41回青葉能公演の見どころを解説します。▼日時・令和4年1月30日(日)14時00分▼参加費1,000円(青葉伝統芸能愛好会会員500円)▼定員20名
※両講座共通▼講師・柏崎真由子(シテ方金春流能楽師)▼会場・青葉の森公園芸術文化ホール練習室(千葉市中央区青葉町977-1)
▼申込み・青葉の森公園芸術文化ホールに電話またはメールにて氏名、年齢、住所、電話番号をお知らせの上、お申込みください。TEL043-266-3511/FAX043-266-1660/メールaoba@cba.or.jp
◎予約困難な足ツボ師が伝授! お金のかからない健康法『自分で出来るMatty式セルフケア講習会』
自分でカンタン!すぐ出来る!やってあげられるマッサージグッズ付。歩行障害・ひざの痛み・足のお悩み・腰の痛み・体の不調を予約困難の人気足ツボ師が子供からお年寄りまで自分で改善するやり方を伝授します。
▼日時・12月18日(土)9:45〜11:00▼会場・第二あやめ台団地住宅管理組合棟▼定員20名(18歳以上)▼講習料・お1人様3,000円(税込)材料費プレゼント付▼用意するもの・ 筆記用具、メモ用紙・動きやすい膝上まで上がる服装▼申込み&問い合わせ:Mattyレッスンルーム▼Mail:tubomatty@gmail.com▼Tel:070-8459-6848(10:00-21:00)(留守電の場合がございます)※完全ご予約制
チャールズ・ファジーノ3Dアート展
シドニー、東京オリンピックなど11大会連続のUSオリンピック委員会公式アーティストであり、3Dアートの第一人者、チャールズ・ファジーノ氏の作品展示会。子どもから大人まで楽しめる飛び出す立体アートで元気をお届けします。大谷翔平選手の直筆サイン入りハンドペイント・ベースボールは必見!▼日時・12月14日(火)〜20日(月)※最終日は17時閉場▼入場無料▼会場・そごう千葉店(JR千葉駅から徒歩1分)7階美術画廊
◎ギャラリー古島
「小澤摩純絵画展」
12月10日(金)〜12月20日(月)
※12月16日(木)休廊・2021年12月21日〜2022年1月6日(木)冬季休廊。
「深川芳子 更紗・裂織・刺子の世界」
2022年1月7日(金)〜1月19日(水)
※1月13日(木)休廊★中央区春日2-25-11古島籐家具店2階(JR西千葉駅西友側徒歩1分Tel043-243-3313/FAX043-241-3041
今月の人
千葉県行政書士会 千葉支部長
岡戸 一郎さん(54歳)
高齢者に優しいオンラインシステムを
都道府県行政書士会を通して日本行政書士会連合会の行政書士名簿に登録して初めて行政書士となることができるが、千葉県行政書士会には全部で九つの支部があり、千葉市は全域で一つの「千葉支部」を形成している。
今年の5月、その千葉支部長に就任したのが岡戸一郎さんだ。岡戸さんは平成15年7月に行政書士登録して以来、建設業許可や経営事項審査などの業務を中心に行政書士業に取組むかたわら、これまで支部役員や副支部長を長く務め、このたび、請われて支部長に就任した。支部長としての一番の課題は「オンラインシステムへの対応」だと語った。
行政書士は許認可の取得のための書類の作成と申請手続きの代理が中心業務ではあるが、最近は行政手続きにもオンラインシステムが積極的に導入されており、その対応に様々な課題が残ると問題提起している。
行政の側がシステムに習熟していないのに見切り発車して混乱を招くケースがあったり、オンラインシステムの導入で便利になったようで、高齢者を中心についていけない人が取り残される懸念があるからだ。
パソコンが苦手な行政書士も存在するというから、対行政、対顧客にとどまらず、行政書士会内部の研修体制にも問題が及んでいると、支部長としての認識を示した。特に、高齢者が取り残されるようなことだけは絶対に避けなければならないから、わかりやすい説明や積極的に手続代行を引き受けるなどの必要性を強調した。
ただ、個人としても支部としても対応には限界があるから、県行政書士会や連合会への働きかけを通してこの問題に取り組んで行きたいと決意を語った。各区役所で行っている無料の相談コーナーの充実にも力を入れているが、市政だよりに日程が案内された月は相談者が多いことから、支部長就任後早速、神谷市長に掲載の充実を要請したという行動力の持ち主だから、今後の活躍に期待したい。相続や遺言など身近な相談にも応じているというから頼もしい。
何かの時には「街の法律家」といわれる行政書士に相談してみるのも解決策の一つだと感じた。
【連絡先】
千葉県行政書士会千葉支部
行政書士 岡戸一郎
043-287-1616
随筆 さざんか
吉成 庸子さん
庭の隅に植えられているさざんかの花の紅色が美しい。寒さに負けず毅然と咲くこの花が私は大好きだ。私が子供の頃暮らしていた市原の家の庭にもさざんかの樹があり、おどろくほど沢山の花が咲いていたことがある。
その頃健在だった祖母がこの季節になるとさざんかの前に私を連れて行き「ヨーコ、きれいだろう。この花は北風の冷たさにも冬の寒さにも負けずに毎年きちんとこんなに立派に咲くんだよ。人間だって、おばあちゃん位の年齢になるまでには、嫌な事もたくさんある、でもそれを乗り越えて、立派に生きていかなきゃダメなのさ。ヨーコもさざんかの様にどんな風や雨にも負けずに生き抜く強い人間に育って欲しいのさ」と言ったものだ。
祖母の言葉はむつかしくて、まだ幼い私には理解できずにいたが、ずつと後になってもその言葉や情景は私のなかで忘れられずにいた。そしてさざんかの花は、私の好きな花となっていた。
祖母は、私が中学生になった時、他界してしまったがタンス一さおと長持一つがヨーコの嫁入り道具だと書いて残されてあった。
タンスの中身は着物や帯、そしてさらし木綿で縫った肌襦袢やネルの腰巻までが何枚も。花嫁衣裳の白無垢まで入っていた。長持の中は絹の夜具が二組。母はそれらの品々を眺めて「よっぽど、ヨーコの事可愛かったんだねえ」と言いながら涙を流していた。
長持の中に「ヨーコのむこ殿へ」と書いた手紙が入っていた。「ふつつかな孫でございますが、大切に育てました。どうかこの子が一生幸せに暮らしていけます様あなた様に、心からお願い申し上げます」と和紙に筆で書いた文字が踊っている。
明治生まれの祖母にとって、女の幸せは良き夫につかえ、良き母として一生送るのが一番の幸せとしか考えられなかっただろう。父も母も「大人になったら花嫁修業に励んで、真面目な人と結婚するんだよ。きっとおばあちゃんが天国から見てるからね」と私にしんみりと言ったものだ。
ところがである。私は嫁ぐどころか両親の反対を押し切り卒業と同時に飲食店を始め約二十年近い月日を送ったのだった。
私が結婚したのは41才の時だ。祖母の手紙は結婚相手の儀ちゃんに渡した。儀ちゃんの感想は「女は亭主の言い付け通りににしてりゃ一番の幸せなんだ」とさ。「私はちょっと違うんじゃないの」と言い返したかったけど黙ってうなずいておいた。
儀ちゃんが突然この世を去るまでの30年余りまあ平和な日々でした。私の忍耐力のたまものと思うのですが、儀ちゃんもかなり耐えていたのかもしれないし、カラオケで儀ちゃんがたった一つ唄えたのが「さざんかの宿」という歌。
家で何回も練習していたので、私まで覚えてしまったっけ。「愛しても愛しても、ああ人の妻…」色恋なんて全く無関係だった儀ちゃんが、どうしてあの歌が好きだったのか、私は今でも不思議に思っているのだ。
櫻井俊雄物語(18) 「なくなるはずもない選挙違反」
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎
櫻井俊雄氏
同じ民主主義国家の選挙でも、戸別訪問を認めている国があれば、日本のように禁じている国もある。何が良くて何がだめなのかの判断基準はそれぞれ異なる。公職選挙法が制定されているが、金のかからない選挙を目指す点においては、何の意味もないザル法だと俊雄は訴える。
10月31日の衆議院議員総選挙で、多古町の町長が職員に特定候補者への支持を呼び掛けたとして、地位利用の疑いで逮捕されたが、どこの首長もやっていることであることを考えると、違反を認めるわけにはいかなくとも、証拠の庁内メールを残したことは不運だったという見方もあるという。
俊雄はこれまで、与野党問わず多くの選挙にかかわってきた経験があり、様々な陣営の、様々な戦い方を目にしてきている。多くの候補者を当選に導いてきたが、違反が常態化している最たるものはウグイス嬢に払う日当だという。法の定める上限は日額1万5千円であるが、この額ではベテランウグイス嬢は呼べない。3万円から5万円が相場であり、選挙の収支報告には1万5千円と記載して、差額は現金手渡しで領収書はもらわないという。違反の証拠を残さないためだ。
与党の違反がわかると野党が非難し、野党の違反が露見すると与党が吠えるが、どちらも言えた立場ではないと俊雄は嘆いている。
普段から張り出されているポスターにしてもしかり。いわゆる二連ポスターは、「街頭演説会の告知」として行われることにより、違法性がなくなるものの、実際に街頭演説会が開かれたためしはない。
ポスターをよく見てみると、小さく「何月何日何時からどこ駅前」と記載だけされているだけで、最初から演説会を開くつもりのない脱法行為が与野党問わずまかり通っているから嘆かわしいという。対立陣営のポスターには目くじらを立てても、自分の思う候補者の陣営のポスターには抵抗を感じない私たちの人情にこそ問題があるのではないかとも俊雄は考えている。
選挙期間中に無免許運転をし、当て逃げ事故を犯していた都議に対しては、全国的にすさまじいバッシングの嵐が吹き荒れたが、町の美観を損ねるといわれる「違法ポスター」に対しても、同等の批判があってしかるべきではないかと考えている。
実は、ポスターの掲出には作成費、人件費、謝礼など、相当のお金がかかる事実があるが、これを日常の政治活動ととらえれば、選挙資金には含まれないところは問題だという。作成費はいま話題の「文書通信交通費」をあて、人件費は国から出る「秘書給与」をあて、謝礼は政治団体から支出すれば、政治家個人の懐は痛まないで済むというから厄介だ。実態を暴こうにも困難がつきまとうという。
本当にまっさらな選挙を試みると優先的に落選する運命をまねきかねないのは問題だと俊雄は主張している。公職選挙法も、選挙の現場を知りもしない官僚が作ったものだから、陣営はいくらでも抜け道を見つけ出すという。政治家もしばりが厳しくなるのは面倒だから法改正には絶対に乗り出さないという。
我が国の選挙制度の、根幹からの改正が必要な時期に来ているのではないかと、俊雄は深く考えている。
■住まいの救急社!(有)マイケン
■ノスタルジー調査隊がゆく!割烹駿河
■銭湯ビバークランドがリニューアル
■掬水ギャラリー開館20周年
■ミハマニューポートが年内で閉店
■「稲毛新聞」をお気に入りに登録する