130,000部発行
2021年6月4日
通巻第297号
年間郵送購読料3,000円
発行責任者/佐藤 節子
発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
櫻井俊雄物語(12)
エッセイ 河邊伊知郎
随筆 吉成庸子
短編小説 吉成庸子
編集部のつぶやき
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今月の人
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編集部のつぶやき
令和3年4月8日に亡くなった稲毛新聞社前社長、佐藤正成の後を継いで代表を務めることになりました妻の佐藤節子と申します。
私たち夫婦にとって稲毛新聞は二人で作り上げてきた子どものような存在です。この先もスタッフと一緒に頑張って参りますので、変わらぬご愛顧を何卒よろしくお願い申し上げます。
主人のお墓は成田にあります。主人の実家は秋田の山奥ですが、遠すぎるからと若い頃に頑張ってローンで手に入れました。とても広々とした墓地で、手入れの行き届いたきれいなお墓が並んでいます。美白の女王と言われた鈴木その子さんのお墓もすぐ近くにあります。広くてステージの様で、いかにもその子さんらしいお墓です。
成田空港に近い場所で頭の上を外国の飛行機がひっきりなしに飛ぶのが難点です。飛行機はそれぞれ自国のマークなどつけてカラフルで美しいのですが、爆音がひどくて、とても安らかに眠れるとは言えない雰囲気です(苦笑)。
亡くなった次男の命日に主人とお墓参りをした時のことですが、主人は必ずお線香を先ず向こう3軒両隣のお墓にお供えし一礼してから家のお墓にお線香を上げて拝むのが常でした。
私は主人のその習慣がとても好きでした。これから主人のお墓参りをするときは主人がしていた様に、私も向こう3軒両隣にお線香を供えようと思っています。(節)
エッセイ もう新型と言わせない ウイルスコロナ&変異株コロナマークU
「痴呆爺のクオーターライフ」 河邊 伊知郎
なぜPCR検査で新規感染者が増えた、増えたと大騒ぎになるのか?本当の専門家に解説してもらった。
まずはさらに解明された日本人の免疫力について
日本人を含む東アジアの人はコロナウイルスの基礎免疫を持っている。この地域には昔から4種類の土着コロナウイルスが生息していた。このコロナウイルスは新型コロナウイルスと遺伝子的に50%類似するスパイク構造が共通されている。
たんぱく質をらせん状につなげている最初のN末端の抗体が土着コロナも、新型コロナも弱毒コロナも強毒コロナも同じように中和するとされる論文はすでに出されている。そこに昨年2月半ばまで中国人のインバウンド客が持ち込んだ弱毒株で体内では抗体の強化訓練が3月にはなされていた。そのように二重に守られたのが、日本人が欧米と違って重症者数死者数が圧倒的に少ない違いとして表れた結果で、これが日本に吹いた神風だ。欧米人がペストに強い遺伝子を持っている事と同じ理屈だ。
お酒の強い人弱い人で違うように、基礎的に持っているアルコールアルデヒド分解酵素を多く持っている人と、少ない人の違いで、遺伝子の中にあるように、民族によって違うHLE(ヒューマン・リユーコサイト・アンチゲン)と言われる民族の遺伝子上の違いで、京都大学山中教授の言う「日本人のファクターX」だ。中国人インバウンド客が持ち込んだ弱毒コロナは日本人にとってはありがたい安全な生ワクチンなのだ。
知らずに恐れるPCR検査結果について
諸君はPCR検査の実態を知らされずに恐怖だけを洗脳されてきた。最初に発表されたPCR検査の論文は中立的学者の論文ではなく、検査キットを売っている会社の社員と、論文作成協力者が投稿したもので、平時なら論文として成立しない程度のレベルだそうだ。また、PCR検査は方法としてウイルスを増幅して確認する手法なので、増幅サイクルを何回にするかによって検査結果が違ってくる。30サイクルの増幅で判定する台湾とイギリスや日本では65サイクル、それ以上に増幅すれば、陽性者の数がどんどん増え、実態の確率が低くなるのは当然だが、世界で統一されていない各国が、それぞれ違うサイクルで検査しているのが実情で、判定基準となるサイクル数をつい最近まで定めておらず、公表さえされていなかった。増幅サイクルの回数を増やせば、無害の土着コロナさえも陽性の判定がなされてしまう。
最近はPCR検査の回数が増え、毎日何人増えた、の数字だけが発表される。昨今は検査も民間が多く参入して検査をするようになったので、勝手にサイクル数を増やして脅かせば脅かすほどビジネスとして稼げる理屈だ。検査代金×検査数=ぼろもうけの数式。脅かせば2乗3乗の方程式となる。
PCR検査機の発明者であるキャリー・マリス(ノーベル賞学者)は、この道具は遺伝子の存在を検出する機械なので、ウイルス感染の判定に使ってはならないと言っていた。WHOはこの事実さえも隠してしまっている。
新型コロナの起因死と関連死について簡単に説明すると、死んだ原因が直接、新型コロナの免疫暴走(サイトカインストーム)による肺炎で死んだ場合は起因死、全く別の原因でも、PCR検査が陽性で、癌とか、心臓病とかの持病があって、悪化して死亡した場合は関連死となる。しかし、WHOの指示は、「PCR検査結果で、陽性なら全部新型コロナで死亡とカウントせよ」となっているので、PCR検査数が増えれば、関連死も増えることとなる。
幸いにして神風によって日本人が獲得したIGG抗体(免疫抗体)は半減期が36日、3か月で10%に減るが、再度ウイルスの侵入があれば、リンパ球は3日で退治してしまうので、恐れるに足らないウイルスだ。
免疫学者はすでに新型コロナの99%は解明したと言い、もう新型ではない旧型コロナだそうだ。コロナウイルスは常に変異を繰り返し、世界で1年間に1万種の性質の違う新種が誕生している。残念だが、日本人全員に免疫が出来たわけではない、家に籠って免疫ウイルスに接触してこなかった病人や年寄り、過疎地の人も、都会の夜型人間も、外に出て1日15分の日光浴と運動、充分な栄養と休養で自己免疫強化に努力したら如何かな。 来月号へ続く
短編小説 モノレールストーリー
モノレールに乗って 作・吉成 庸子
5月の風はさわやかだった。里子はモノレール駅にいそいだ。手には夫の好きだったカサブランカの花を持って。
5月15日、その日は夫の月命日だった。
里子と夫は9才ちがい。里子23才の時、知人の紹介で二人は結婚した。夫の鉄男は時計屋の息子で、父亡き後店をついでいた。母親も若くして他界していたので兄弟もなく淋しい境遇といえた。
高校を出て事務員として勤めていた里子だが、結婚を機に退職し店を手伝いながら主婦となる事になった。小さな店だったが鉄男が三代目、父にきたえられていたので鉄男は腕のよい修理工でもあった。店の奥が住まいなので、里子は優しい鉄男に守られ幸せだった。
すぐに男の子に恵まれ「これで四代目が出来た。頑張るぞオ」と喜ぶ二人おだやかな日々を過ごしていたが、突然鉄男が病に倒れた。それから三十年余り、里子の看病の毎日が続いたのだった。
生活は店を人に貸してその家賃と僅かな貯えでまかなうしかない。息子を育てながら、里子は夢中だった。病院から自宅に戻ってから、鉄男は寝たきりの毎日となる。言語の障害も出ていたので、里子は看病に限界を感じる日もあり、必死の毎日を送った。
実家の母は「あんたはかわいそうな娘だ、まだ若いのに何一つたのしい事をせずに…」と涙まじりに言った。「お母さん、私には誠という息子もいるし、鉄男だってきっと治るわ。夫につくすのが妻の務めと教えたのはお母さんじゃなかった?」明るく言い返す里子に「それはそうだけど、これではあんたがあまりにもかわいそうで…」とため息をつく母だった。それでも実家の両親にはどれだけ助けられてきたか。誠の授業参観日等、看病を代わってくれたり、お金をそっと置いていってくれたり、本当に助けてもらった。
いつしか月日が流れ里子は35才になっていた。そんなある日、高校のクラス会があった。「里子行っておいで。看病の方は私にまかせてさ。友達に会えば気も晴れるさ」母の強いすすめにふと気が動いた。
鏡にじっくり向かうのは随分久しぶりな気がする。それにしても鏡の中には50歳近い自分が居た。私はこんなに老けてしまったんだ、愕然としながら自分を奮い立たせクラス会に出席した里子なのだが…会場で真っ先に声をかけてくれたのが橋本君だった。
彼は里子にとっては初恋の人といえる人だった。勉強も運動も出来る彼に一方的にあこがれていた里子なのだが。橋本君は「僕この年齢でまだ独り者なんだ。全然もてなくてさあ」と明るく言った。その日がきっかけとなり、里子は橋本君と二人で会うようになった。誠の学校をだしにして母に看病を頼んだ。
半年が過ぎたころ、自然な形で二人は結ばれてしまった。家に戻り鉄男の顔を見た時、里子の胸をおおいつくしたのは、鉄男に対するすまなさだった。いけない、いけないと自分を責めながら二人の関係は半年余り続いた。橋本君は「結婚しよう。鉄男さんには、いい施設に入ってもらって、二人で出来るだけのことをしよう。誠君も僕が立派に育てるから」と言った。
心乱れるまま帰宅し、鉄男の枕元に座った。鉄男が里子の目をじいっとみつめ両手を合わせた瞬間、里子の心が決まった。私はこの人の看護を続けていこう。体は病んでいても、鉄男の心は病んでない。里子の気持ちの迷いを強く感じていたのかもしれない。
あれから長い月日が繰り返され65歳になった鉄男は静かに天国に召された。里子は彼の月命日、必ず墓に参りあの半年のあやまちをあやまるために。モノレールから眺める空には柔らかな雲が浮かんでいる。
市民ガイド
◎千葉市美術館
市美術館企画展 大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師
絵画、陶彫、漫画、絵本、イラストなどのジャンルを縦横無尽に横断しながら独創的な世界を展開したタイガー立石(立石紘一、立石大河亞1941-1998)。時代や社会を象徴する人物やイメージなどを多彩に引用して描かれたその作品は、和製ポップ・アートの先駆けとして注目を集めました。1965年からはナンセンスな漫画も描きはじめ、子どもたちの間で流行した「ニャロメ」という言葉は赤塚不二夫と交流があった彼の造語でした。その後イタリアへ渡り、1985年からは千葉市と市原市を拠点に活動し、絵本や陶彫作品も制作しました。本展では、日常があべこべになるような立石の不思議で魅力的な世界を、約200点の作品・資料からひもときます。
▼現在開催中〜7月4日(日)まで▼時間10:00〜18:00(
金・土は20:00まで)▼休室日:6月7日(月)▼会場:市美術館8、7階展示室▼料金一般1,200円、大学生700円、高校生以下無料※障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料☆ナイトミュージアム割引:金・土曜日の18:00以降は観覧料半額※展覧会など混雑の状況により入場制限を行う場合があり。
▼問い合わせ:市美術館▼電話:043-221-2311
第20回千葉市高等学校美術工芸作品展
千葉市内の高校生の美術・工芸の授業および部活動での成果を展示。▼参加校:県立(千葉高/千葉女子高/千葉東高/千葉北高/千葉南高/千城台高/若松高/千葉西高/土気高/検見川高/犢橋高/泉高/幕張総合高)・市立(千葉高/稲毛高)・私立(渋谷教育学園幕張高)▼場所:千葉市美術館9階市民ギャラリー▼期間:令和3年6月8日(火)〜13日(日)10:00〜18:00(最終日は15:00まで)▼入場無料▼問い合わせ先:千葉市高等学校美術工芸作品展事務局(県立千葉南高等学校美術科・井口043-264-1362)
◎第2回千葉市制100周年記念フォトコンテスト 〜写真でつながる100周年〜
『100年後に残したい千葉市』をテーマに未来に残したい大切な風景や催事、子どもたちに伝えたい大切なモノ、ワクワク・ドキドキ感動したできごと、ユニークな視点で切り取った千葉市の魅力など千葉市の風景・モノ・イベント等の写真を募集。▼各賞品:(1)最優秀賞1名(1万円相当の賞品を3セット、もしくはちばシティポイント25,000ポイント)(2)優秀賞2名(1万円相当の賞品を2セット、もしくはちばシティポイント15,000ポイント)(3)入選9名(1万円相当の賞品を1セット、もしくはちばシティポイント5,000ポイント)(4)参加賞:抽選で100名(特製100周年記念コットントートバック)▼応募資格:プロ・アマ問わずどなたでも参加可。18歳未満の方は親権者の同意が必要。▼応募期間: 2021年8月31日(火)投稿分まで▼応募方法:市制100周年記念のインスタグラムをフォローし、ハッシュタグ「#ちば100フォトコン」を付けて投稿▼問合せ先:千葉市 都市アイデンティティ推進課TEL043-245-5660
◎ディナーショー
新派の看板役者喜多村緑郎、河合雪之丞と大衆演劇のプリンス門戸竜二を迎えて、医療従事者応援チャリティー・ディナーショーを開催します。演目は「金色夜叉」のほか舞踊とトークショーがございます。こんな時に、こんな事をというお叱りもございましょうが、どうかおかみさん会の勇気をかって下さい。一人でも多くの皆様にお越し頂きたく心からお待ち申し上げております。★会場・京成ホテルミラマーレ大宴会場6Fローズルーム★日時・7月5日(月)17:00より(延期の場合もございます)★入場料20,000円(税込み)▼問い合わせ先090-2554-7920(中野)FAX043-215-8068(吉成)▼主催・千葉おかみさん会(会長:吉成庸子)協力・松竹株式会社
◎ギャラリー古島
「生田宏司銅版画展」6月11日(金)〜6月20日(日)「夏のくらし 涼・雅・粋展」6月25日(金)〜7月7日(水)*7月1日(木)休廊★ギャラリー古島▼中央区春日2-25-11古島籐家具店2階(JR西千葉駅西友側徒歩1分)Tel043-243-3313 FAX043-241-3041
今月の人
海老原ダンススクール 代表
海老原正志さん(50歳) 千葉市中央区在住
健康増進やアンチエイジングにも社交ダンスを
今年で創立55周年を迎える千葉市松波の「海老原ダンススクール」。代表を務める海老原正志さんが社交ダンスを始めたのは幼稚園のころだったという。「パーティーや発表会で母と踊るとおもちゃを買ってくれたので、ご褒美につられて始めました(笑)」。その後、思春期には照れくさくてダンスから遠ざかっていた時期もあったと話す。
高校卒業後、両親が経営する「海老原ダンススクール」を手伝い始めると、すぐに父親の勧めで元日本チャンピオンが経営する都内の教室で働くことに。「ダンス界の重鎮の下で過ごした5年間はすべてが修行でした」と当時を振り返った。幅広い経験を積み千葉へ戻った海老原さんは、父親の他界後、28歳でスクールを受け継いだ。
プロダンサーとしては長く組めるパートナーになかなか巡り会えず苦労も続いたが、37歳のときに晴美さんと組み、二人は半年後に結婚。公私共にパートナーとなり息ピッタリの二人は、2010年の東北オープン選手権ラテンオープンで初優勝を遂げた。現在も夫婦二人三脚でスクールを盛り上げている。
海老原さんの優しい指導は生徒さんから好評で、シニア世代の女性や夫婦、若い方も趣味としてのダンスを楽しんでいる。そして自主開催のダンスパーティーでは、みなさん華やかなドレスに心を弾ませるという。そんな生徒さんの成長を感じられるときが海老原さんにとって一番うれしい瞬間。「初心者だった方が上手に踊れるようになった姿を見るのがとても幸せです」と指導者としての喜びを語った。
社交ダンスの魅力は楽しいだけではなく、健康やアンチエイジングにも効果が期待できること。「社交ダンスは小さいお子様からご高齢の方まで、年齢問わず楽しめるエクササイズです。姿勢が正しくなり肩こり・腰痛の改善や、足の裏が刺激されて健康増進にもつながります」と海老原さん。興味を持った方には気軽に試していただきたいとレッスンの無料体験を随時受け付けている。
海老原さんは近い将来、学校のイベントなどで社交ダンスのワンポイントレッスンを開催したいと構想中。子どもたちが社交ダンスに触れる機会をつくり、その楽しさと魅力を広めていきたいという思いだ。◇海老原ダンススクール◇千葉市中央区松波2丁目8-3(JR西千葉駅から徒歩3分)◇ 043-290-8881◇
http://www.ebiharads.com/
【取材 真田はる代】
随筆 千葉県人で幸せ
吉成 庸子さん
私は一年近く前から、日曜日のお昼放映の千葉テレビ番組にレギュラー出演している。
いろんな市町村をお訪ねし、首長さんにお目にかかり、特にお力を入れている事や特産品、おすすめの場所等をご案内して頂いたりしている。
私の役目は、タレントであり県会議員でもいらっしゃる、プリティ長島さんとご一緒にインタビュアーをやらせて頂いている。どの首長さんもご自分の街や市に対する情熱はとても強くて毎回頭が下がる思いだ。
それにどこの地域にも、今まで知らなかった名物やおいしい食べ物がいっぱい!撮影の度に毎回感動している。そして千葉県は何と素晴らしい県であるかと、改めて実感している。コロナ禍なのでいくつか守らなければならない点があるが、千葉県人であって幸せだなと思う日々だ。
前回は野田市におじゃました。鈴木市長のざっくばらんなお人柄に接し、お醤油の街の歴史にもふれる事ができた。
私の上の弟も柔道一筋の男なのに、植木や花が大好きで儀ちゃんとウマがあった。弟が大根島に出張した時、儀ちゃんのおみやげに黄色い牡丹の苗木を買ってきた。「ホラ、黄色の牡丹は珍しいんだ。育てるの難しいけどな」と言いながらも、すぐに庭に植えて喜んでいたものだ。
一年がたち大輪の黄色い花が咲くと、我が家を訪れる人に「弟の又五郎が買って来てくれたんですよ」と自慢してみせていた。
儀ちゃんは末っ子だ。そのせいか私の二人の弟をとても可愛がってくれた。弟達も儀ちゃん大好きで吉成さん、吉成さんと呼んでなついていた。弟の嫁は「お兄さま」と呼んでいたがこれには照れていたものだ。
野田市の清水公園で牡丹を眺めているうちにそんな儀ちゃんの姿が走馬灯のようによみがえってきた。仕事を全部やり終えたら、又三郎と二人で木や花を育てて暮らすんだと口ぐせだった儀ちゃん。その望みはかなわなかったけど生前儀ちゃんが植えた花々は季節がめぐる度にけなげに咲いてくれている。
私の大好きで尊敬していた稲毛新聞社の佐藤様がお亡くなりになってしまった。こんな事も書きたいあんなことも書きたいと相談した話もいっぱいあったのに悲しい。その千葉テレビにも奥様とお二人で出演して頂き好評だったのに。次の千葉編にも出演頂く予定にしてたのに。
これからも一生懸命書かせて頂きますとお誓いしながらご冥福を心からお祈りしている私です。
櫻井俊雄物語(12) 店舗設計と弱者救済 共通する思いやりの心
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎
櫻井俊雄氏
俊雄の会社「展装」は店舗建設・設計が仕事である。この仕事の根底に俊雄の母の教えが流れている。幼いころ、決して手を出されることはなかったが「他人の悪口を言う」ことだけは許してもらえなかった。先生に殴られたと言うと「お前が悪い」と母。その教えの根底にあったのはやさしさだったと俊雄は回想する。多くの同業者は、「立派な作品」を作り上げようとする。見るからに斬新な、人の目を引く建造物の完成を目指し、評価を得ようとしているという。それは自然な心理だろうと俊雄は否定しない。俊雄の店舗設計の根底には、母の「やさしさ」がある。外見は大事だが、外からは見えることのない、内面の使い勝手の良さの確保が大事だと語る。外面だけではなく、そこを使う人々のすごしやすさの確保こそ最優先されるべきだと熱弁をふるう。外から見て格好いい方がいいに決まっているが、仕事のやりやすさの確保のあり方は業種によってまったく異なるし、来客の立場からしても訪問のしやすさの設定はやはり業種によって大きく異なるという。店舗設計にあたっては、業種、事業者の考え方、来客の世代、地域性などの要件を大事にするという。だからときに発注者である施主と意見が対立することもあるが、俊雄は妥協を極力排しているという。その強いこだわりが今日の俊雄の名声につながったのかもしれない。俊雄にそれを言うと、「あはは」のひとことしか返ってこず、「そう思ったからそうしただけだよ」の一言で終わった。
頼まれれば拒まない俊雄のもとには、今も様々な問題を抱えた人々から相談が寄せられている。これまでに損得を顧みずに実に多くのことにかかわってきた俊雄を知っている人が多いからだ。俊雄がかかわった多くの店舗設計の事実の積み重ねは、そこに至るまでの過程が、一見何の関係もない相談事の解決に役立つことは多いと俊雄は言う。俊雄の仕事の隅々まで、母のやさしさに基づく人への思いやりの心が満ちているからだろう。相通じるものがあるという。健康や医療過誤に関する相談は後を絶たないらしい。俊雄はことのほか健康に気を使っている。だからこそ超ミネラル水「ガイアロックス」にも携わっている。個人情報だからと誰が買っているかは明かさないが、千葉県選出の有力国会議員や千葉の著名人が顧客だという。医療過誤の相談は深刻だ。弁護士でさえ、医療過誤専門でないと病院の過誤を立証して責任を追及するのは至難のわざだといわれている。それでも遺族や被害者からの相談は来る。医療過誤も多種多様にわたるから、医師でも弁護士でもない俊雄は相談に乗りつつ専門家に助言を求めて最善を尽くしている。
長引いている新型コロナ感染症に振り回されている俊雄を含む私たち自身に、思いやりが欠けているのではないかと俊雄は憂いている。飲食店やその取引先に始まる業者への思いやり、我慢を強いられる客への思いやり、自粛破りせざるを得ない人への思いやり、許せないとはいえ路上飲みを踏みとどまれない若者への思いやり、思わず自粛警察に走ってしまう人への思いやり、昼間のレストランで声高に会話する高齢者グループに対する思いやり、支援金の支給が遅い自治体担当者への思いやり、ワクチン接種の予約システムを整備できない市役所への思いやり、そして何よりも医療従事者への思いやりのほか、後手後手と批判されている政府に対してさえ思いやりが欠けているのではないかと自らを省みている。自粛や我慢にはお互いを思いやる必要があると俊雄は考えている。全員が耐え忍ぶべき場面では、つい誰かを非難することで気持ちの持って行き場を確保しがちになるが、それは違うと俊雄は言う。思いやればすむわけでもないが、思いやる心と他人へのやさしさは苦渋の時代を乗り越えるのには欠かせない。いずれ、コロナが何でもない病気になる時期が来るまで、全員で、ともに力を合わせるしかないのだと語った。
■コロナに負けるな キッチン・リベール
■地元のリフォーム工事店 (有)マイケン
■落ち着いたら・・・温泉
■七夕えんむすび祭り
■稲毛の「明治天皇行幸碑」、県内最古
■6月15日は県民の日
■緑区役所に「おくやみコーナー」
■随想 島津幸生
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