130,000部発行
2021年4月2日
通巻第295号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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エッセイ 正体見たり新型コロナ
「痴呆爺のクオーターライフ」 河邊 伊知郎
コロナウイルスの分類
 そもそもコロナは四つの属に分類され、アルファコロナウイルス属は8種、ベータコロナウイルス属は10種、ガンマコロナウイルス属は2種、デルタコロナウイルス属は2種。 当初コウモリを食べた人から伝染したとした、コウモリウイルスは、KHU6、KHU4、KHU16で3つの属に入っている。
 PCR検査では潜伏期間などもあり、新型コロナの判定確立は20%程度だそうだ。当然免疫を獲得し、抗体を持っている人も陽性になってしまう。アメリカでは、機械が自動的に判定し、カウントするので更にいい加減なデータになってしまうそうだ。郵便投票など、不正確なアメリカの大統領選挙の集計とおなじだ。
最終章、どこから・だれが?
ではこんなややこしい新型コロナは何処からやってきたのか?宇宙の果てからやってきた、ウルトラウイルスではない。ちょっと前まで、トランプは、「武漢から世界にまき散らした中国はけしからん」と言い、責任をとれと責め立てた。一方習近平は「アメリカが持ち込んだウイルスなのに因縁をつけるな」と応戦していた。
「爺は見ていた、米の中を」
 すなわち両方正解なのだ。今回の新型ウイルスの発生源とされる武漢ウイルス研究所は、SARS(重症急性呼吸器症候群)が流行した翌年2004年に、「中仏予防・伝染病の制御に関する協力」としてフランス政府が資金を出して設立された研究所で、フランスでは細菌兵器開発につながるとして世論の批判を受けている。また、管理が不十分でウイルス漏洩の危険性も以前から問題視する意見も多い施設だ。
2014年アメリカで新型コロナの研究を(CNN)米国立アレルギー・感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長の指揮下で研究をしていた。2015年には、アメリカ国立衛生研究所は研究の委託として370万ドルの資金援助を行うなど同研究所はコロナウイルスを積極的に研究している。しかしバラク・オバマ大統領(在任・2009年1月20日〜2017年1月20日)は感染性が強く危険な研究だとして国家安全保障省での研究を禁止した。その研究をファウチは無断で武漢研究所に170万ドルの補助金付きで中国に委託した。同時にサンプルや研究資材なども送ったとされている。アメリカ大統領がオバマからトランプに政権交代が行われる数か月の隙をついての出来事だ。ファウチは40年間(CNN)米国立アレルギー・感染症研究所の同じポストにいた。不思議な事にその間、新しいウイルスが何度も発生した。情報の裏社会では、ブラックマフィアという言葉が作られた。抗体薬を開発してからウイルスを撒き散らして荒稼ぎをする集団を意味する言葉だ。
エイズ、エボラ、豚インフル、サーズ、マーズなどが発生、その対策や解決策はファウチとの関係が深い者たちが関わっているという事実だ。
 2017年1月10日、トランプが大統領に就任する10日前に、ジョージタウン大学で世界中のコロナ研究者が集まって大きなコロナ会議が行われた。その席でファウチは近じか新型コロナのパンデミックが必ず起こると演説した。かくして世界中にその予測は的中した。
2020年4月に米新型コロナ対策チームを率いる(CNN)米国立アレルギー・感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長は、今月30日までに、新型コロナウイルスの第2波が年内に起きる可能性について、「個人的にはほぼ確信している」との考えを示した。また、ワシントンでの経済関連会合にビデオ会議システム「ズーム」を通じて参加し、第2波到来に関する質問にこう答えた。「私の考えではウイルスが戻ってくるのは不可避」と。
 かくして新型コロナは世界規模で拡散した。ファウチはさらに、アフリカ大陸南部の一部でも感染例を目撃し始めていると指摘し、その上で、「今年中にまた感染拡大が来るとするのなら、どう対処するのかが我々の運命を決める」と強調、「我々で検討がなされている対応策が実行されるのなら、十分に上手くしのげるだろう」としながらも、「そうでないのなら、不快な秋や冬になる恐れがある」と警告し、「地球からこのウイルスは消えないだろう」と述べた。
 先の疑問、なぜS型コロナからK型コロナを飛び越えてG型コロナが世界中にまき散らされたのか?読者諸君で考えてみてくれ。

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短編小説 モノレールストーリー
想い出さがし 作・吉成 庸子
 千葉の中央公園の後ろにある三井ガーデンホテルの二階のレストランの窓際の席に座り、冬美は朝食を食べながら窓の外を眺める。
 はるか向こうをおもちゃみたいなカラフルな二両編成のモノレールが走って行くのが見えた。
 冬美は、この風景が大好きなのだ。東京でもかなり遠くの立川で生まれ育った冬美だが、父の転勤で千葉へ来て千葉の短大に通った。卒業して半年もたたない頃に、恩師の紹介で見合いし四歳年上の公務員と結婚した。農家の次男坊で真面目で優しい友也との生活はそんなに豊かでないけど幸せだった。
 冬美の両親は東京へ戻っていたが、短大の友人もたくさんいるし、冬美はパート勤務をして家計を助けながら楽しい日々を過ごしていた。当面の目標は早くマンションを買う事だった。
 そうそう、結婚式はこのホテルであげたのだった。新婚旅行は遠くに行かれず、冬美の両親の住む東京へ行き二泊した。そして千葉へ着いた時「ハネムーンの仕上げにモノレールに乗ろう」と彼が言い出した。冬美はそれまでモノレールには一度も乗ったことはなかった。
 「僕、モノレールが大好きなんだ。あれに乗ってゆっくり千葉の街を見おろしていると、なぜか心が広くなっていくんだ」と話した。冬美も彼の言葉通りだと思いモノレールが大好きになった、だから休みの日は二人で何回も何時間も乗りに来たものだ。
 「そろそろ友也の赤ちゃんの顔が見たいねえ」なんて友也の母が言いだした頃の年末の深夜近くだった。残業帰り、四人で乗っていた車が高速道路で正面衝突してしまった。全員けがをおったが、死亡したのは友也だけだった。冬美は結婚三年目二十六歳で未亡人となってしまったのだ。
 悲しくて何も手につかなかった。両親の強い説得と月日の流れが少しずつ冬美から悲しみをとりのぞいてくれていった。
 冬美は今埼玉県にある児童相談所で働いている。友也との間に子供は作れなかったけど、少しでも子供の役に立ちたいと願う。そして天職と思う程、冬美はこの仕事に打ち込んでいるのだった。
 そして年一度千葉まで来てこのホテルに泊まり、ゆっくり朝食を食べながらモノレールを見る、それがなによりの楽しみになっている。
 「まだ若いんだから、もう一度結婚を考えなさい」両親はじめ囲りの人から、そんなすすめが多い。だが、冬美にはそんな気もちはおきない。
 あの悲しい日から早いもので五年余りが過ぎていた。いつの間にか三十歳を越してしまっている。近頃じゃ母が見合いの話をしつこく電話して来ている。思い出だけで生きていける。冬美はそう言い切れると思う。だけど、だけどこれから先の長い人生、結婚したい人が絶対現れないという自信もない。でもそんな事になったら、友也はきっと「冬美良かったね」と喜んでくれそうに思う、先にいってしまった人もかわいそうだけど、取り残された人だって本当にかわいそうと冬美は心の中でつぶやいていた。
 千葉に来れば学校友達と会える。だが殆どが今では友人たちもお母さんになっているし…だから毎年誰とも連絡はとらない。一人で想い出にひたって時を過ごす。その間冬美は二十代前半の自分に戻っているのだった。
 この間友也のお母さんが、畑でとれた野菜をたくさん送ってくれた。お礼の電話をかけたら「友也は幸せもんね。冬美ちゃんみたいな奥さんもらって、でもね早く結婚して頂戴。だんだん年とってくると女は結婚むつかしくなるから」と言ってくれていた。囲りの気遣いは嬉しい。だけどだけど、私はまだそんな気持ちにはなれない。
 冬美は私は少しも不幸じゃない、淋しくもない幸せだと、胸の中でくり返しながらホテルを出てモノレール駅に向かった。そんな冬美の背中に早春の光がやさしくふりそそいでいた。

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市民ガイド
千葉市美術館
POP−ARTの魔術師「大・タイガー立石展」
絵画、陶彫、マンガ、絵本、イラストなどのジャンルを縦横無尽に横断しながら独創的な世界を展開した立石紘一(1998年56才没)の1941年〜98年の作品展▼日時:4月10日(土)〜7月4日(日)*休室日5月6日(木)5月24日(月)6月7日(月)▼観覧料・一般1,200円(960円)大学生700円(560円)小・中学生生、高校生無料☆ナイトミュージアム割引:金・土曜日の18時以降は観覧料半額☆本展チケットで5階常設展示室で「千葉市美術館コレクション選」もご覧いただけます。*障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料。()内は前売り、市内在住65才以上の方の料金▼問い合わせ・Tel043-221-2311▼千葉市美術館(千葉市中央区中央3-10-8)

ワンコインコンサート
徳田雄一郎&&山田貴子サックス・ピアノコンサート♪
第6回千葉市芸術文化新人賞を受賞した徳田雄一郎さんによるサックスの演奏をお届けします▼日時・4月24日(土)14時開演▼会場・千葉市民会館小ホール*入場料500円・小学生以下100円(全席自由)▼問い合わせ・千葉市文化振興財団Tel043-221-2411

手作り甲冑教室 生徒募集
あなたの手でリアルなボトル甲冑を作ってみませんか?
本教室は、より安価な材料でリアルな甲冑を作る・飾る・着せる、喜びを体験する事を目的としています。▼教室の日程・月、火、水の13時30分〜16時30分▼受講料・1回2,000円+税(全10回程度)別途材料費等が必要となります▼場所・稲毛区天台5-22-13天台テラス2F▼見学希望の方お問い合わせください▼お問い合わせ・千葉手づくり甲冑 匠の会Tel043-216-5615/Eメールinfo@yoroi-kabuto.jp

動物保護指導センター
育成中の子猫のお見合い会
▼日時4月28日(水)内容お見合い時間は1組30分▼申し込み期間:4月19日〜23日にHPで希望の子猫を確認して電話で申し込み(HPは「千葉市 育成中の子猫の譲渡」で検索してください)▼問合せ:動物保護指導センター:Tel258-7817/FAX258-7818

市少年自然の家の催し
(1)春のわいわいフェスティバル
日時:4月29日(祝木)10:00〜16:00▼内容:木工クラフト、自然遊びなどのプログラムを体験▼定員先着500人▼体験プログラムごとに定員あり。一部のプログラムは有料。
(2)マンスリーウィークエンド〜新緑の中、外遊び〜
日時:5月8日(土)13:00〜9日(日)14:00(1泊2日)▼内容火起こし&ポップコーン、焼き板の壁掛け作り、キャンプファイアー(荒天時=たき火でスモアーズ)など▼対象:3歳児〜中学生と家族定員10組▼料金:高校生以上5,340円、中学生4,810円、小学生4,650円、3〜6歳児4,270円、3歳児未満800円▼備考詳しくは、HP「千葉市少年自然の家 イベント」で検索▼申し込み(1)電話で市少年自然の家Tel0475-35-1131へ。HPからも可。(2)4月10日(土)必着。往復はがきに住所、氏名、電話番号、参加人数、年齢、学年を明記して、〒297-0217長生郡長柄町針ヶ谷字
中野1591-40千葉市少年自然の家へ。Eメールshusai-oubo@chiba-shizen.jp、HPからも可。問合せは同施設まで。Tel0475-35-1131/FAX0475-35-1134

千葉開府900年ウオーク
日時:5月8日(土)9:00から▼場所集合=仲よし公園(稲毛区小仲台5-1)、解散=亥鼻公園▼内容:7キロメートルコースまたは11キロメートルコース。受付後に各自スタート▼料金:高校生以上200円▼当日直接集合場所へ。9:30受け付け終了▼問合せ:NPO法人ちば歩こう会:日向さんTel090-8305-6601/FAX268-1539

健康づくりスポーツ教室
日時ステップエクササイズ(基本編)=4月23日〜5月28日の金曜日▼姿勢改善エクササイズ&ウオーキング=5月6日〜6月10日の木曜日▼ボールエクササイズ=5月11日〜6月15日の火曜日▼19:30〜20:30。各全6回▼場所:千葉ポートアリーナ▼対象:18歳以上の方▼定員各12人▼料金1,500円▼申し込み:4月15日(木)必着。往復はがきに住所・氏名・年齢を明記して、〒260-0025中央区問屋町1-20千葉市スポーツ協会へ(1人1通1教室)▼Eメールsanka@chibacity.spo-sin.or.jpも可▼問い合わせ:Tel238-2380/FAX203-8936

ギャラリー古島
「芳澤幸二 竹工芸展」4月2日(金)〜4月14日(水)*4月8日(木)休廊▼「-天然藍灰汁醗酵建て-壺草苑のしごと展」4月23日(金)〜5月5日(水)*4月29日(木)休廊☆ギャラリー古島・中央区春日2-25-11・2F(JR西千葉駅西友側徒歩1分)Tel043-243-3313 FAX 043-241-3041

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今月の人
背骨コンディショニング パーソナルトレーナー
高梨 嘉代さん(54歳) 千葉市中央区在住
背骨の歪みを整え不調を改善
誰でもできる安全な運動処方を広めたい

 背骨コンディショニング協会認定パーソナルトレーナーとしての知識と経験を生かし、現在、千葉駅近くの「ツヅキはり・きゅう整骨院」で運動処方を担当している高梨嘉代さん。
 明るく親しみやすい人柄で、患者さんはストレッチや筋力トレーニングを教えてもらいながら高梨さんとの会話を楽しんでいるようだ。
 高梨さんは茨城県水戸市生まれ。地元の高校を卒業後、大学進学をきっかけに千葉市へ移り住む。卒業後は会社員として働き結婚後に退社、二人の子どもを育てあげた。
 昔からスポーツが大好きで今でも身体を鍛えている高梨さんだが、過去にはテニスで体を酷使し股関節の痛みに悩まされた時期もあったと振り返る。股関節をサポートする周囲の筋肉を鍛えるためのリハビリを始めたことで身体の構造に興味を持ち、さらにトレーニングに打ち込むようになり、つらい症状が回復へ向かったという。この経験から「痛みで苦しむ方の役に立ちたい」と整骨院で働き始めた。
 数年前、股関節の痛みにまだ波があったころ、背骨コンディショニングと出合った。電車内の中吊り広告に目を引かれ、直感を信じ即行動がモットーの高梨さんはすぐに講座に申し込んだという。セルフケアの効果を実感すると、次は指導者養成講座へ進み協会認定資格を取得。整骨院での指導にも磨きがかかった。
 プロ野球のダルビッシュ有選手が取り入れたことでも話題になった背骨コンディショニングは、背骨の歪みを整え不調を改善する運動プログラム。腰・肩・膝の痛みや内臓の不調などは背骨の歪みから発生していることから、ゆるめる・矯正する・筋力向上の3ステップで根本治癒を目指すというもの。「きちんとした理論があり結果も実証されています。年齢問わず誰でもできる安全な運動処方です」と高梨さん。
 運動の効果を出すには正しい方法で行うことが重要で、患者さんに理解しやすい言葉や伝え方を試行錯誤するなど、日々の指導に真剣に取り組んでいる。そんな高梨さんの喜びは患者さんから「痛みがなくなった」「症状が改善した」と報告が届くこと。
 今後は、背骨コンディショニングの様々なプログラムを広める活動として講座や体操教室の開催を予定している。
◇一般社団法人 背骨コンディショニング協会◇https://www.sebone-c.org/◇問い合わせ: 043-245-4064(ツヅキはり・きゅう整骨院)【取材 真田はる代】

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随筆 どっちが勝ったか 負けたのか?
 3月の声を聞いたら、急に暖かくなってきた。庭の隅にある河津櫻の花が満開だ。
 儀ちゃんが植えた時は小さな木だった紅梅も白梅も枝を四方に延ばしかなりたくましい木となり花をいっぱい咲かせている。
 儀ちゃんは木も花も大好きで、実によく面倒をみていた。それにひきかえ私はただ眺めて楽しむだけの人。
 いつも木や花にごめんなさいネと謝っているのだけれど、肥料どころか水をやる気にもならない。夏になると水やりは私の仕事で儀ちゃんの命令で1日もかかさずやっていた。
 私がどんなに丁寧にまいても合格点はもらえず「なんでこんなにまだらなの。芝生の気持ちや木の気持ちになってやりなさい。真心込めて水まきするんだー」儀ちゃんは毎度私を叱ったっけな。
 「私は人間だもん、芝生や木にはなれないよ」と反論したら「へらず口ばかり達者な奴だ」ってますます怒られて損しちゃったっけ。
 40年も気ままに生きてきた私だもの。それを57才の儀ちゃんが自分の考え通り動かそうと考えるのが土台間違ってると私は思っていたのだが、儀ちゃんはそうはいかない。
 夫たるもの妻を支配して当然と心得ている人だから、私はどなられてばかりいる。
 でも私は聞いている振りだけしていればいいんだと、悟ってしまってからは、全然平気で怒りのおさまる間だけを待って過ごした。
 でも、草や木に優しくするのと同じ位い女房にも優しく出来ないかといつも思っていたけど…あの年代の男性は男の方がえらいと教育されていたのだから仕方ないのかなあ。現代社会だったら大変だったよ、きっと。
 でも私だって大人しくしていたばかりじゃない。何日も考えて作戦をねった。そして、これ以上出来ない位の甘い声をだして儀ちゃんにねだった。「お父さん、一生一代のお願い聞いて」「大げさな事言って、何だ?」問い返す儀ちゃんに「お父さん、寝る前に3つの誓いの言葉いって欲しいの」「何を言うんだ」「あのネかんたんな事よ。ごく当たり前の言葉よ。愛してますよ。怒りませんよ。何でも買ってあげますよ。この言葉を言ってから布団に入ってほしいの」「バカバカしい、そんな事俺が言えるか」怒り出す儀ちゃんに私は両手をついて一生のお願いです」を繰り返す。
 とうとう「仕方ない。承知した」と彼は言った。そしてその夜から儀ちゃんは「愛してますよ、怒りませんよ・なんでも買ってあげますよ」とやけくそみたいに言ってから、布団にもぐり込んだっけな。

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櫻井俊雄物語(10) 環境・福祉・教育・健康が原点
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎
小さな出会いが大きな転機に

櫻井俊雄氏
 今から50年前、俊雄はまだ30代の時に千葉駅ビルの管理を任されている。昭和38年に千葉駅が現在地に移転して10年ちょっとが過ぎたころである。今でこそ背広に身を包む俊雄であるが、若かりし頃はジャンパー愛用の好青年であった。誰と会う時でもそうであったから、関係を知らないお付きの人からは邪険にされることもしばしばであったという。ラフでこだわりのない性格は、小さな出会いから大きな転機を生むこともたびたびであったという。日本にまだ「スーパーマーケット」が存在していなかったころ、千葉の起業家がアメリカを視察して帰国し俊雄にスーパーを創りたいと話したことがあった。
 俊雄が明治牛乳の配達を手伝っていた時の配達先だった、いまでも千葉では有名な薬局の経営者一族である。そこの社長がアメリカで先進の小売スタイルを仕入れてきた。はじめはスーパーの意味も分からなかった俊雄は話を聞くにつけ目からうろこが落ちる感覚を覚えた。開業の協力をする決心を固め、出店先を探した。調査・勉強を重ねながら店舗建設にも携わり、千葉市中央区内で1号店の出店にこぎつけた。そのスーパーは、現在も仁戸名で営業を続けている。俊雄が牛乳配達に携わっていなかったら、スーパーはできていなかったか、いまとは違った形になっていたかもしれないという。
 俊雄の会社「展装」は、店舗や建物のデザインから建設までを一手に手掛ける会社であるが、設立は昭和46年である。焼肉チェーン店、コーヒーチェーン店、郊外型レストラン、各種飲食店、ホテル、官公庁、学校、駅ビル、それに成田空港やディズニーリゾートも手掛けている。実績を重ね、創業から50年もたったから、昔とは違うとは言うものの、起業したころから小さなご縁が大きな転機になったことが多いという。千葉駅ビルの管理もそんなご縁の中から手がけることになったという。昭和56年には津田沼ー千葉間の複々線化と西千葉寄りの線路の立体交差が完成し、昭和59年には9・10番線ホームが増設されて、今の千葉駅の形が完成している。俊雄はそのころの千葉駅にかかわっていたことになる。千葉駅の移転を機に、千葉市中心部の様相が一変したが、その際俊雄は多くの店舗建築・改装に関係しており、それが「千葉を創った男」とよばれる由縁だともいう。
 その千葉駅が近年さらに改装されたのには、深い思いを抱かざるを得ないという。俊雄の起業理念は「環境・福祉・教育・健康」であり、いまもそれは変わらない。多くの建築に関与してはいるが、その多くはこの起業理念に関係しているという。つくった学校は八千代松陰だけではないし、運営に関与した「あかいの郷」を含め社会福祉関係の取引先も多いという。環境保全にも尽力しているし、何よりも健康が第一だとの考えは変わらない。だから、その理念に反することには一切の妥協をしない。それがいい時もあるが、大きなハレーションを起こすこともあった。正義感で突き進んではじき返されそうになったり、見返りを求めない俊雄をいいように利用するだけ利用する輩もいまだにいるという。それでも俊雄は相談を持ち掛けられると断らない。そして難儀であればあるほど背負いこんでしまうから、根っからのお人よしである。損をしないことも、人助けには必要である。自分に余力がなければ何もすることはできないからだが、俊雄が意に介する様子はみられない。最近は、「今までを反省して、これからは金儲けをするんだ」と笑って言うし、実際に金儲けの話もあるというが、それにしても、正業には勤しんでも、あぶく銭に手を出したところを見たことがない。もったいないとも思うが、きっとこの男はこのまま生涯を駆け抜けていくのだろうと思う。

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