130,000部発行
2021年2月5日
通巻第293号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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随想 更級日記の中の黒砂
鎌ケ谷市・元稲毛小校長 島津幸生
 市原市に更科通りと言うのがあるのを知ったのは4年前市原市中央図書館に「日本点字の創始者石川倉次展」を見に行った時だ。石川は昔、私が在職した幕張小の初代校長だった。市原に上総国府があったことは知っていたがその所在地は未だ確定されてはいない。
 それは別として平安時代(實仁元年)1017年、菅原考標(有名な道真の孫の孫にあたる)が45歳の時上総介に任ぜられ實仁4年に任期満了となり家族とともに上総国府(古甲遺跡と言う人もいる)より京に帰ることになった。その際に父母や兄姉と同行していた娘(名不詳13歳)が旅行記をしたためた。その娘が晩年になりこの時の旅行記を基に書いた回想録が更級日記である。書名は長野県の更科と言う地名に由来すると言う。
 更級日記は88首の和歌より出来ており、(1)物語に憧れる日々、(2)京への旅立ち、(3)昔の跡くろとの浜、(4)乳母を見舞って、と続き千葉の最終は松戸である。(3)のくろとの浜で「まどろまじ今宵ならではいつか見むくろとの浜の秋の夜の月」を詠んでいる。
 今なら中学1年生の句である。当時の黒砂を「片っ方はひろ山なる所の砂子はるばると白きに松原茂りて、月いみじう明かき、風の音もいみじう心ぼそし。」とあり、片側は小高く広々とした所で遥かに白砂の続く所、その彼方に松林が茂り折から月がとても明るく辺りを照らし、風の音もたいそう心細く身に滲みる趣である。
 人々が興を催して歌を詠んだりするので、今夜は決してまどろむまい、この美しいくろとの浜の秋の夜の月を、今夜でなくいつまた見ることができようか。(角川文庫現代語訳付き原岡文子訳注より)この日は9月17日の夜で当時は月の運行を基にした陰暦であるのでほぼ満月であったことがうかがえる。
 当時の旅は宿屋などなく旅人は寺や民家に泊まるか野宿なので食料・炊事道具を持たねばならず多くは徒歩で大変な行程で人が住んでいる所を宿としたであろう。その点黒砂の地は天慶3年(940年)平将門が戦いに敗れその時臼井城(佐倉市)にいた将門方の武将が黒砂の地に移り住み土着して開墾したという言い伝えや歴史もあり、その後70年以上も経ているので一行は当然ここに泊まったと思われる。(この考えは平成5年発行『緑町小学校区の歴史』に記載)紫式部や清少納言と並び称される菅原考標の娘の冊子に黒砂は紹介されている。
 残念なことは当時の昔の場所が新しい道路でまったくその面影をなくしたことだ。考標の娘の輪廻思想を小説家三島由紀夫は高く評価している。
 一度定家本を見たいと思っている。千年も昔の黒砂の話だ。

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