130,000部発行
2020年11月6日
通巻第290号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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知事選、千葉市長選、来年3月同日選挙へ
鈴木大地氏、出馬辞退の不可解
 千葉県知事の任期満了は来年四月四日で、千葉市長の任期満了は来年六月十三日。前例によれば、千葉市長選挙は五月九日(日)告示、二十三日(日)投開票になるはずだが、現職の熊谷俊人市長が知事選への転出を表明したことで、三月十一日告示、二十八日(日)投開票が見込まれている知事選と同じ日に市長選が行われる公算が高くなってきている。知事選は現職の森田知事が不出馬の方向で、自民党は習志野市出身の前スポーツ庁長官の鈴木大地氏の擁立作業を進めていたが、鈴木氏は後見人の森喜朗元首相の強い反対にあって、出馬辞退に追い込まれた。千葉市長選には小川智之市議が立候補を表明しているほか、熊谷市長が前副市長の神谷俊一氏を事実上の後継指名して、物議をかもしている。     【文・武田弥太郎】

熊谷市長知事選へ転出、後継に神谷元副市長指名か
 旧民主党出身の熊谷氏は知事選においても立憲民主党や連合千葉の推薦や支援を受けるものと見込まれ、選挙の実働部隊は、これまでの熊谷氏の選挙を支えてきた連合千葉が担う公算が高い。ところが熊谷氏は自民党参議院議員の石井準一氏を頼り、自民党が熊谷氏を擁立するよう動いてきたものの、自民党内にはこれまでの森田知事に対する熊谷氏の言動をこころよく思わない勢力が多いほか、熊谷氏が旧民主党出身であることから、熊谷知事の誕生は国政で自民党と対峙する立憲民主党を利するだけだとの意見が根強く、自民党が熊谷氏を擁立することは困難だというのが大方の見方だ。公明党は熊谷氏支持の方向性を示したものの、自民党が候補者を擁立すれば歩調を合わせるのではないかとみられている。自民党が独自候補を擁立する方針に変わりはなく、鈴木氏の出馬辞退を受けて候補者擁立作業を急ピッチで進めている。候補者が決まれば、熊谷氏支持を表明した石井氏も自民党参議院議員として行動を共にする意向だ。熊谷氏は地元千葉市や都市部では優位に立つものとみられるが、保守地盤の強い地区でどれだけ支持を伸ばせるかがカギになるはずだ。
 小川対神谷の市長選
 これまでも市長選に意欲を見せたことがある小川智之氏だが、熊谷氏の知事選転出を機にいよいよ立ち上がる決心を固めた。小川氏は若葉区出身でバリバリの千葉っ子だ。自民党代議士の秘書を経て市議に当選し、若くして議長も務めたたたき上げの実力派である。政令指定都市だけに限らず、「市長も30代、議長も30代」は千葉市だけと話題を集めたことは記憶に新しい。
 小川氏は熊谷市政に一定の評価をしてはいるものの、国政とのパイプの細さを指摘した。この点、小川氏は自身の強みを穏やかに示している。
 神谷氏は中央官庁から千葉市の副市長に出向し、現在は総務省に戻っているが、熊谷市長をよく支え、市政に尽くしたことから熊谷氏が神谷氏を認め、後継指名するに至っている。千葉市の保守勢力の中には神谷氏を推す意見もある。戦後、鶴岡啓一前市長までの歴代市長は全員が中央官庁から千葉市の助役・副市長になり、そのまま市長になる経過をたどっており、保守勢力の一部にはその名残があるのかもしれない。
 熊谷氏の真意はどこに
 熊谷氏は平成19年の統一地方選挙で当時の民主党公認で市議に初当選し、一期目の任期中に起きた鶴岡前市長の汚職事件での逮捕・辞職による市長選に立候補し、副市長だった林孝二郎氏を破り市長に初当選した。その時は民主党が政権を取る前の勢いのある時期で、当時の鳩山由紀夫民主党代表をはじめ、多くの民主党首脳が熊谷氏の応援に入っている。熊谷氏が31歳で政令市長に当選したことは、民主党に勢いを与え、のちの民主党政権誕生に少なからず寄与したことだろう。
 昨年秋の台風被害への対応のひどさが全国的に報じられて自滅した現職の森田知事の目がなくなって立候補を決意した構図は、市長選初挑戦のときと、よく似ている。運が強いとも機を見るに敏ともいえるところは、熊谷氏の特徴だともいえよう。ただ、神谷氏を後継指名したことをいぶかる有権者は多い。市長選に初挑戦した平成21年、「千葉市だけが中央官庁の天下り副市長が市長になり続けている。これを打破し、市民派の市長を誕生させなければならない」と、選挙戦で声高に主張していたからだ。それに矛盾する後継指名をしたことに疑問を持つ有権者がでてきているのだ。類まれな政治家である熊谷氏の判断だから神谷氏が市長にふさわしい人材なのかもしれないが、自身の最初の主張と相反する判断をしたことをどう説明するのかしないのか注目したいと思う。
 知事選では今のところ元船橋市議の門田正則氏が立候補を表明しているが、千葉市長選を含め、現時点ではほかに立候補を模索する動きはない。それ以外の候補者が現れるかどうかは不明である。

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接種希望殺到でクリニック悲鳴!
ワクチン不足無視の助成発表で
 インフルエンザワクチンが十分に確保できないのに市が助成対象を6か月の乳児以上のほぼ全市民に拡大したことで、市内のクリニックに衝撃が走っている。先月号では、市医師会の幹部にも周知されないまま市が助成を決めて発表したと報じたが、その後、市内のクリニックでは接種希望者の来院や問い合わせが殺到していることがわかった。クリニックではかかりつけの患者さんの分を確保するため、新規来院者には接種を断るところが出始め、すでに全量を接種に使ってしまったところもあって、一部ではパニック化しているもようだ。
 新型コロナ感染症を封じ込められていない中、インフルエンザの流行シーズンを迎えることから、世間の関心は高い。インフルエンザワクチンと新型コロナワクチンを同視する向きもあり、いまワクチンを接種しておけば新型コロナにかからないとの誤解が接種希望者の増加を招いている。
 そこに本市の助成拡大で接種希望者の殺到を呼び起こした。通常の接種開始時期よりも一か月も早く接種を始めざるを得なくなり、接種の効果の持続に疑問が呈され始める始末だ。
 このままでは流行のピークに向けて、真にワクチンが必要な人に接種ができなくなりはしまいかと関係者は気をもんでいる。
 接種を受けられないわが子のために、接種可能なクリニックを探しても見つからない母親の思いは深刻である。
 ある母親は、市外のクリニックで接種を受けても助成が受けられることを聞いて隣接市のクリニックで接種を受けたという。
 全市民が接種を希望するわけではないだろうが、これから本格的接種時期になるのに、「もうワクチンがありません」では、一気に不安が広がりかねない恐れがある。見切り発車でワクチン助成を発表してしまった以上、できうる限りの追加のワクチン確保策を講じるのは市の使命であり、責任であることに間違いはない。全力での努力を期待するしかない。。

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皆様に支えられて苦節25年
稲毛新聞社代表取締役 佐藤 正成

佐藤正成主幹
 稲毛新聞は平成8年9月に創刊号を発行して以来、お陰様で25年目に入りました。
 創刊以来、毎月1回1度も欠かすことなく継続できたことは多くの皆様及び広告スポンサーの支えがあったからであり、ここに改めて心から感謝したいと思っております。
 創刊当時は、世間から「2〜3カ月しかもたないだろう」と揶揄されたり、「1年も続いたら大したもんだ」などと言わたりもしましたが、「初志貫徹」の精神で様々な苦難を乗り越えて「稲毛新聞」を発行し続けて参りました。
 個人で新聞を発行するということは大変な作業でした。最初から有料での配布は配達員さんが必要であり、人員の募集から配布区域や部数の設定など事前の準備は大変な苦労がありました。発行・印刷費用をどのように賄うかは広告に頼るしかありません。当初の発行部数は3万部と決め、何とか発行することができましたが、部数が少ないと広告効果もないということで広告スポンサーも集まりません。そこで、5万部、8万部、10万部と部数を増やし、その都度配布スタッフを募集しながら広告スポンサーを集め拡充を図ってきました。
 新聞の編集作業も、記事の収集から割り付け、校正、印刷までその段取りも大変な作業ででした。パソコンで下書きを作り、それを東京の印刷工場に持参し、タブロイド判の新聞に仕上げたものです。
 その後、新聞ソフトを導入し、ようやく現在の編集スタイルになりましたが、その支えとなったのは妻であり、二男の国博でした。パソコンが得意な二男は妻に対して丁寧にパソコンの操作を教えてくれました。
 しかし、その二男はソフト会社で過労が重なり、平成15年10月1日に急逝するという悲劇が起こり、私の人生で一番辛く悲しい出来事でした。稲毛新聞の後継者になってもらおうと期待していたのですが大きな誤算でした。二男の死去に当たり東京都の労働委員会に対して弁護士を通じて労災申請しましたが全く認められませんでした。 二男は生命保険に加入しており、その生命保険料が会社の赤字補てんに大いに役立ちました。さらにその保険金で二男の墓地を購入し、今でも毎月命日の1日には妻と二人で二男の墓参をしています。

 数々の報道実績
 稲毛新聞はこれまで数多くの報道実績があります。まず、2001年4月号で報じた大きなスクープは5千万円宝くじ当たり券紛失事件」です。この方は毎回宝くじを何枚も買っていたのですが、宝くじ売り場で「高額当選券一枚」と記されたレシートを受け取り、肝心の当たり券は渡されませんでした。そこで本紙はみずほ銀行本店に調査していただいたところなんと5千万円当選していたことが判明したのです。この真相を本紙で取り上げたところ、千葉の共同通信が全国に配信し大騒ぎになりました。
 その後、古舘一郎のテレビ番組「そんなに私が悪いのか」で宝くじ事件が大きく取り上げられました。
 さらに、2001年12月にBSフジで「日本一小さい新聞社社長奮闘記」で稲毛新聞が紹介されました。(本紙HP参照)また、地方新聞協会が主催するJLNAブロンズ賞に佳作(平成10年10月)と優秀賞(平成12年10月)と二回受賞。この時副賞として沖縄無料招待で妻と二人で初めて沖縄を旅行することができました。海外と言えば、中国浙江省から日本のマスコミ団招待事業があり、この時小生は一行の団長として招かれました。さらに、日本李登輝友の会に参加し、4泊5日の日程で台湾を訪問。故李登輝総統の講演のほか親しく懇談、李登輝総統の素晴らしいお話を聞くことができました。
 人生は出会いであると言われますが、稲毛新聞のお蔭で様々な人との出会いがありました。君津学園の創始者真板益夫先生と出会い「自叙伝「我が人生の軌跡」という書籍を刊行したり、地商總業の創始者渡邊元さんの自叙伝「人生春夏秋冬・仕事がいきがい」という書籍も刊行することがでました。とくに最近では9月6日(日)には千葉テレビのお昼の番組「快傑TV」で吉成庸子さんの紹介で稲毛新聞が取り上げられました。さらに、9月13日(日)にはTBSの「噂の!東京マガジン」で稲毛海岸の砂浜問題について、本紙が平成9年7月に報道した記事について取材を申し込まれ取り上げられました。(10月号1面参照)小生は3年前にがんを発症、余命1年と言われましたが命が続く限り頑張る決意です。

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