130,000部発行
2020年10月9日
通巻第289号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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想い出の人
稲毛区園生町にお住まいだった今は亡き中嶋三男さんは稲毛新聞創刊時から富士典礼の広告を掲載していただくなど、良き支援者であり優れた事業家であった▼中嶋さんは茂原市の出身で葬祭場を茂原市・成田市・市原市などに営業所を作る一方、園生町の富士典礼を稲毛区小中台に移転し総合葬祭場「ブレアホール」を設営。お釈迦様の生誕地インドから取り寄せた菩提樹を植林した▼葬祭業の傍ら全国各地で震災や水害で亡くなった人々を慰霊するために現地に赴き、一人で供養祭を実施した。また、民間で初めて救急車を数台導入し被災地に派遣し救援活動事業を積極的に行ってきた▼中国とも親交があり、中国のある小学校に桜の木を贈呈し、日本の桜の美しさを紹介、日中友好に一役貢献した。そして、中国の整膚師・除堅先生と知り合いセイフマッサージ治療法を千葉市に広めた▼整膚治療とは従来のマッサージとは異なり、全身の皮膚をつまみほぐすという方法で、血行がよくなり健康に良いという治療法で、中国から徐堅先生を千葉に招き普及に努めた▼愛妻家で、毎日のように「愛しているよ」という言葉をかけていたと自慢していた中嶋さんは、奥様に先立たれてしまい棺の前で号泣していたのが印象深い▼茂原市にある掩体壕は、航空機を敵の攻撃から守るための格納庫。中嶋さんはこの掩体壕を戦争平和の遺品として残そうと自ら収集した鎧や兜、鉄砲、槍などを展示したが、道半ばで逝去された。   (正)

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主張 日本国民を貧乏にする自民党
稲毛新聞論説委員 入野守雄
 平成元年(1989)に世界の時価総額ランキング50位内の日本企業は30社もあったが、現在では43位のトヨタ1社だけになった。さらに、国民1人当たりの所得が世界第2位から26位に下がり韓国にも抜かれた。事実を認識していないのが日本国民である。
 それはNHKを始めマスコミが国民に真実を知らさないからである。
 政治家や国家公務員、特に財務官僚は日本が敵の敵国条項のある国際連合の指図に盲従していて、日本国が敵国であることを認めているからだ。
 国連のIMFは敵国の日本経済を破壊するため35年前に債権大国、金持ちの日本に財政が破綻すると消費増税を命じた。
 キャリア官僚は国民が選ぶのではなく、上級国家試験に合格すれば採用される。
 民主国家は国民が政治家を選ぶが、日本では2億円の選挙費用が必要なので、まともな人物は政治家になれない。キャリア官僚は地位が上がれば上がる程、大企業や大学に天下りできる。国家公務員は国民とは対極にある存在。
 明治時代は武士魂を持ったエリート官僚がいたので、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦までは戦争に勝てたが大東亜戦争ではNHK、朝日新聞、産経新聞記者の司馬遼太郎、近衛文麿ら共産主義者が暗躍して負けた。
 国家公務員は国家試験に合格したので独裁的となり、個人の自由や権利を抑えても良いとする共産主義と結び付く。共産主義の教祖マルクスが資本主義経済は共産主義経済になると予言したが、現実は共産主義のソ連が崩壊した。
 資本主義経済と共産主義経済は経済の主体者がキャリア官僚であるか民間人であるかの違いである。日本の財務官僚はマッカーサーよって共産主義者となったので、日本経済は成長出来ない。
 ソ連は共産主義官僚が経営する計画経済であり、国債発行の借金を否定したから、民需品の設備投資が出来なかった。生活必需品は生産できず、商品が不足すればインフレになるのに物価統制で物価は抑えられ、人民は長い行列で日用品を購入した。
 ソ連はテクノクラウトと言う特権階級が生まれ、共産主義は経済成長せず公正、平等ではなくなりソ連社会は崩壊した。
 ロシアになって通貨ルーブルは暴落に次ぐ暴落で、2600%のインフレとなってロシア財政は破綻した。
 我国は国と地方を合わせて1200兆円の借金を抱えている。政府や地方が1200兆円も借金したから国民の資産は増え、国民全体の資産は3000兆円以上になった。
 しかし愚かな政治家は増税するので日本経済はデフレになる。
 国民の税金は全て廃止し日銀が円を発行して政府が借りて使い、財政を拡大すれば経済は成長する。
明治時代から今日まで日本の財政は3740万倍に増加して近代国家になった。政府が国債を発行して財政を拡大すれば経済は成長する。
 しかし、そんなことすればハイパーインフレになり、財政が破綻すると言うアホがいる。ハイパーインフレは供給力に対し需要が100倍以上に増えるから発生する。現在はデフレである。これが判らない政治家、経済学者、マスコミは財政が破綻すると消費増税を主張する。国民もテレビ新聞に洗脳されたから日本経済は成長出来ない。日本国家が衰退するのは当然である。

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短編小説 モノレールストーリー
モノレール哀歌 作・吉成 庸子
 モノレール千城台駅を降りて、家路に向かった由美子は、何気なく空を見上げた。
 あたりはまだ明るく夕暮れになるにはまだ早い筈なのにうす紫色に染まりかけた空に月が浮かんでいた。
 ああ、まもなく十五夜だわ。由美子は九州に住む祖母に思いをはせた。由美子がまだ物心のつかないうちに、両親は離婚、母は家を出て行ったので由美子は祖母に育てられた。
 三十三才で夫に他界されたと言う祖母は女手で三人の子どもを育て上げた。
 由美子の父は長男だが、姉二人を持つ末っ子でもあった。代々続いているという家業は商人宿だった。
 祖母ががんばって切り盛りし、由美子の父もそれを継いだ。
 見合いで結婚したのだそうだが、由美子の母は仕事が苦手だったらしい。しっかり者の祖母について行くのも大変だったのかもしれない。由美子が生まれて皆が喜んだのもつかのま、母は由美子を残したまま実家に戻ったという。別れ話はすぐ話がつき由美子は祖母と父に大切にされ大きくなった。だが由美子が中学生になった頃家業はやめて、父は東京へ働きに行った。
 父からの仕送りで、祖母と二人暮らしていたが、由美子は淋しい思いは一度もしなかった。
 櫻の季節はお花見、夏はお祭りと季節毎の楽しみも幼い時から祖母に教えられて育った。
 特に秋は十五夜になると、縁側にすすきを飾り、祖母と二人で月見団子を頬張りながら、まん丸い月を眺めたものだ。地元の大学を卒業して、勤めた会社の人と二十五才で結婚、もう十年が過ぎている。夫の転勤で九州を離れ現在は東京勤務の夫と千葉に住んでいる。
 早く孫の顔が見たいと楽しみにしている祖母だが由美子夫婦にはまだ子供ができない。
 由美子の父は再婚し、そっちに母ちがいの弟が三人出来たが、ほとんど会っていない。
 父もいまだに一家で東京暮らしをしているのだが、由美子は父の家を一度しか訪れていない。幸せそうなのでそれでいいと割り切っているが、気になるのは祖母の事だ。
 八十才を過ぎて、あのだだっ広い古い家で一人暮らしをしている祖母を思うと、いつも心が痛んだ。会えない分電話をよくかけている。
 「一度モノレールに乗せてあげるね」と。千葉に住んですぐ祖母と約束したのにまだそれは果たされていない。
 実は、由美子は一年前に離婚したのだった。会社の近くのスナックの女性との間に子供が出来たのが原因だった。
 夫の元彦の事は信じていただけにかなりのショックだったが、夫の両親にまで、生まれてくる子供のために別れてくれと泣きつかれたら、仕方がないと思うしかなかった。
 まだローンの残っているマンションをもらって、由美子は元彦と別れた。それまでもパート勤務は週何回かしているが、それだけでは食べていけない。由美子はまたフルタイムで働きだしていた。
 離婚の話は父にも祖母にも告げてない。余計な心配かけたくなかった。それに祖母を一人にはしておけないので、もう少し自立に自信ができたら由美子は祖母をひきとろうと決心していた。
 会社の一泊旅行があり、夜家に帰った由美子に父から電話があった。父は、「三日前祖母が亡くなり、今日葬儀が終わった」と淡々と告げた。「どうして早く報せてくれなかったの。それにおばあちゃんあんなに元気だったのに」泣きながらくってかかる由美子に父は静かに言った。「あのなあ、おばあちゃん三年前にがんがみつかったんだよ。だけどな由美子には絶対に教えるなと言ったんだよ。あの子は今なにか心配事があるみたいだから、私は元気だと聞かれたら言えときかなかったんだよ」三年前…あの当時夫の女遊びに何となく気になっていた時分だ。そしてそれが離婚につながっていったのだが祖母は察していたに違いない。
 「何しろおばあちゃんは由美子の母が出て行ったのは自分が原因と思っていたからなあ。でもな由美子の幸せを願って生きてきた母だ。由美子は強い子だからとも言っていた。九州の事はもう忘れていい。由美子はしっかり千葉で幸せに暮らせよ」父はそう言って電話を切った。
 おばあちゃん、私きっと幸せになるから。まだ三十五才だもの。きっと幸せになるからね。
 由美子はそう胸の中でつぶやきながら、明日はおばあちゃんからもらったお守り袋を持ってモノレールに乗ろうと決めたのだった。

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市民ガイド
千葉県立中央博物館
「ちばの縄文」貝塚からさぐる縄文人のくらし〜千葉県は貝塚数日本一〜☆内容・「不思議な土偶」「カッコイイ骨角器」「美しい骨も大集合」▼日程・10月10日(土)〜12月13日(日)▼入場料・一般500円(400円)高・大学生250円(200円)*中学生以下・65歳以上、障害手帳をお持ちの方は無料*11月3日文化の日はどなたも無料です*()内は20名以上の団体料金*3密を避けよう・平日の午前にご来場の方には素敵なプレゼント(なくなり次第終了)▼問合せ・千葉県立中央博物館Tel043-265-3111(代表)中央区青葉町955-2

さつき子育てサロン
0才から未就園児を子育て中のお母さんたちが、「ホッ」と一息つける場所と時間を提供している「さつき子育てサロン」。今年は新型コロナウイルス感染予防のため、いつもと同じサロンは実施できません。今年度後半もひきつづき、季節の行事に合わせて実施します。令和2年度後半のスケジュール★10月16日(金)「ハロウィン」★12月4日(金)「クリスマス」★2月5日(金)「節分」★3月5日(金)「ひなまつり」*12月4日と2月5日は保健師のアドバイスがあります。▼会場・さつきが丘公民館▼時間:2部入れかえ制・各組30分くらい☆指定の椅子(各組10組限定)に、お母さんはお子さんと一緒に座ります☆おはなし、ピアノに合わせて手遊びなどして手作りのおみやげをもらって帰ります☆参加費無料、事前申し込み不要。体調良好の方のみご参加下さい☆受付で手の消毒、体調確認をします▼問い合わせ・Tel043-250-5256(鈴木恵子)

明日への選択 時局講演会

安倍政権の誇るべき成果と残された課題「新たな時代には、新しい憲法が必要だ!」▼日時・令和2年10月10日(土)午後2時より▼会場・千葉市生涯学習センター3階大研修室(中央区弁天3-7-7JR千葉駅東口から徒歩8分)☆講師・日本政策研究センター所長 岡田邦弘氏▼会費・1000円(学生は無料)主催・日本の心を育む会 担当・金子一之 Tel・FAX043-241-6104

ひとり親家庭親子スケート体験教室
講師からワンポイントレッスンを受けながら、親子でスケートを体験してみませんか。是非ご参加下さい。▼日時・11月15日(日)13時〜16時▼アクアリンクちば▼ひとり親家庭の母親または父親と5歳以上の子ども25組50人▼申し込み方法・11月2日(月)必着。往復はがきに参加者全員の必要事項を明記して〒260-0844中央区千葉寺町1208-2千葉市ひとり親家庭福祉会へ。Email:boshikai@grace.ocn.ne.jp 電子申請可 電話043-261-9156

講座「高齢者を悪質商法から守る
悪質商法被害の端緒を見つけるなど、くらしの中での身近な見守りのスキルアップを図ります。消費者トラブルの現状を学び、家族や近所の高齢者を守りましょう。▼日時10月27日(火)10時〜11時30分▼会場・消費生活センター*定員・先着25人▼申し込み方法・電話で消費生活センターへ。FAXも可。必要事項のほか、(参加人数を明記)TEL043-207-3602 FAX043-207-3111

ギャラリー古島
「アトリエからのたより・三原寿美子セミオーダー展」10月16日(金)〜10月21日(水)「小林俊和・南佳織ガラス展」10月24日(土)〜11月2日(月)*10月29日(木)休廊
☆ギャラリー古島・中央区春日2-25-11・2F(JR西千葉駅西友側徒歩1分)Tel043-243-3313

アムスギャラリー
鋳金作家-西岡美千代個展-▼開催期間・2年9月1日より3年3月31日▼時間10時〜17時▼休日・土・日・祝日☆アムスギャラリーTel043-309-8015

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今月の人
キルト作家 日本手芸普及協会指導員
鎌滝 津江子さん
佐渡金山の世界遺産登録を目指して佐渡ふるさと大使として頑張る
 佐渡金山は江戸幕府に開山されて400年、素晴らしい深山幽谷の自然環境で四季の花が美しい。近くの資料館には江戸時代の労働の様子を再現した展示品が豊富で世界遺産にふさわしい「宝の山」だ。
 キルト作家の鎌滝津江子さんは佐渡島の出身で、東京家政大学服飾美術学科を卒業後高校教師を経て子育て中に原宿のキルト専門学校でキルトを学んだ。
 彼女が古い布を甦らせ芸術作品を生み出すキルトに魅せられて約30年になるが、世界的なキルト展で入賞するなど、国内外で高い評価を受けている。鎌滝さんのキルトの素晴らしさは色の表現の美しさに加え仕事が実に丁寧で手を抜かないことにある。一見自由な作風に見えて実はコンパスや縮尺定規を駆使して精密な製図を作りひと針ひと針丁寧に縫って仕上げると言う。キルトに使う素材は主に明治から昭和初期のもので「私の母や義母の着物を使ったり古布店で買いためたりした古い布がキルトとしてよみがえるのを見るのが喜びです」と語る。
 ふるさと佐渡を愛する鎌滝さんの作品には佐渡の自然や風物が数多くみられる。代表作「故郷佐渡の海」は古布数千枚で綴るタペストリーの大作。また佐渡では黒川紀章氏設計による「あいぽーと佐渡」などで個展を3回、「十日町きものの街のキルト展」にもすぐれた作品を出品している。
「佐渡準市民」制度や「さどまる倶楽部」は佐渡に住んでいないが佐渡を応援したいというサポーター組織で会費無料、佐渡での宿泊やお土産などお得な特典が満載で佐渡旅行が楽しめるシステムで鎌滝さんは友人知人に熱心に入会をすすめている。
 故郷佐渡を誇りに思う鎌滝さんは「佐渡は自然に恵まれ、食べ物もおいしく温暖な土地で、能などの文化も受け継がれている素晴らしい島です」と言う。佐渡には30もの能舞台があり、島民が能をたしなんでいる。また鎌滝さんは佐渡民謡保存伝承の会「若波会」(創立50周年)に所属して4年になるが「佐渡おけさ」などの歌や踊りの普及にも取り組んでいる。しかしご多分にもれず佐渡も人口が減少しつつあり、小中学校の廃校がすすんでいる。
 鎌瀧さんは佐渡の伝統を子どもたちに受け継いでもらいたいと一心に願いながら佐渡故郷大使の活動を続けている。【取材・佐藤 節子】

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随筆 自分で払え!

吉成 庸子さん
 9月も終わりが近づいてくると、秋が急ぎ足で近づいて来る気がする。
 あれ、夏に入った時に思い切って買ったピンクのレースのワンピース一度も着なかったなぁと少し残念になる。しゃくだから、上にピンク色のカーディガンを羽織ってどこかのパーティに出てみようと考えているのだけど…果たしてそんな機会があるかどうか…。ちょっと疑問だなと自分でも感じている。
 それにこの年齢でピンクのワンピースなんて儀ちゃんがいたら絶対嫌がっただろうなぁと思う。
 私の着るもの、持ち物にはあまり文句は言わなかったが、時たま「そんな物着るな!」と大声を上げることはあった。一緒に出なければならない場所も多かったので、一応のチェックをするつもりだったのだろう。それにブラウス一枚、靴一足買ってくれたこともないしねぇ。
 結婚して初めて二人でデパートに行った時、ゴルフズボン二枚ゴルフシャツ三着、ベルト一本と自分の物ばかり買う儀ちゃんに、私はびっくりしたし腹もたった。無口になった私に気付いたのだろう。「お母さんにも何か買ってやろう」といった。
 私はブラウスかな、それともネックレスかなと少しだけ期待した自分にがっかりした。何と彼がエレベータ|から降りたのはおもちゃ売り場。仕方なくついて行った私に、彼は「お母さんにはこれがいいだろう、これがいい」と買ってくれたのは、コアラのぬいぐるみだった。
 ぬいぐるみは好きだけど、新妻の私だもの、身に着ける品を買ってもらいたかったのにと感じたものだった。
 それから十年あまりが過ぎ、二人一緒に舞台に上がなければならない日があった。かなり大きい会の発足式典だったと記憶している。何を着ようかな?私は頭を悩ませたが、その季節に着る適当な服がなかった。丁度そこへ服地の仕入れと仕立てをやっている方が、「一着どうですか?お似合いになるだろうと思ってとび切りの生地を持ってまいりました。是非、この際おつくり頂ければ」とすすめる。
 持参された服地は三着あった。この方の紹介者の手前もあり、断りにくい点もあったのだが、その中の一着に私はすごく引き込まれてしまった。
 シルク、黒地の上に真っ赤なバラが刺繍されている。「これすてきねぇ」私は思わずその生地を手に取った。ずっしりとした重さだが、表面の光沢がまた何とも言えない。「お目が高い。それべルサーチです。多分日本にも一点しか入ってないでしょう」と、洋服屋さんが言う。「そう、やっぱりねえ。でもお高いんでしょうね」私の問いかけに「そうでございますね、本来なら生地だけで百万は頂きたいのですが、奥様が買って下さるのなら、仕立て付きで百万にしましょう。出血サービスです」といった。「百万!」私はため息をついた。
 だが、その時ふと思った。十年何一つ買ってくれたことがない亭主だ。まして一緒に出掛ける時に着るんだもの。買ってもらおう、私は三着の生地を儀ちゃんのところへ持って行った。「お父さん、今度の会に着るんだけど、この中でどれがいい?」とまず聞いた。「これがいいな」儀ちゃんが指さしたのはベルサーチ。「じゃ、これにする。これ作るよ」「ああ、そうしろ、そうしろ」
 彼の返事に私は満足してその洋服をオーダーした。ところが支払いの時に彼は知らんふり。「自分で払え」だって。それならもっと安いのにしたのに。仕方なく母にかりて払ったっけ。
 空に浮かんだ三日月を眺めながら、そんなことを思い出してる私だ。

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櫻井俊雄物語(5) 追求する理想の教育
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎
  八千代松陰高校は昭和53年に開校したが、開校2年目の秋の活躍で翌昭和55年に第52回選抜高等学校野球大会(春の甲子園)に初出場した。
 大会3日目第一試合で兵庫の尼崎北に3対2で惜敗したが、創立2年で甲子園出場を果たしたとして、当時全国で話題になったものだった。
 文武両道を掲げた創立者・山口久太の面目躍如の最たるものであった。
 開校して初めての入学式で久太が発した最初の言葉は「みなさん、こんにちは」だったが、2番目の言葉はいきなり「やり直しっ!」。挨拶は基本だと先制パンチを食らわせたのだ。そして、「無事に学校に通い、心配をかけないことが親孝行だ」と訓示を垂れた。
 久太に薫陶を受けた俊雄は、今の教育にはこの「基本」がいくつも欠けていると憂えている。「教育」ではなくなり「学育」に走りすぎていると嘆いている。本当の教育は「躾」であり、そして「文化や歴史を学ぶこと」だという久太の言葉は俊雄に深くしみ込んでいる。久太から紹介された映画監督と映画の制作に没頭した。
 子どもたちは言葉には興味を示しにくいが、映像には関心を示しやすい。映像は子供たちの心に入っていきやすいからと考えていたのが理由だった。
 教育とは一見無関係の映画に取り組んだのも、やはり俊雄の教育にかける思いが強かったからだった。「アジアの嵐」という作品にも私財を投じ、多くの協力者を得たものの、監督が病に倒れたことを機に中断してしまったといい、俊雄はいまでも監督の遺志に報いたいから何らかの再開を図りたいと、いまなお、情熱を高まらせている。
 俊雄はとにかく曲がったことが許せない性分だが、その素養は高校生の時に備わったのかもしれないという。
 かつて中学生の頃の俊雄は毎週日曜日にはカトリックの教会のミサに通っていたことがあった。
 アイルランド人の神父から神父になることを勧められ、長崎の神学校に進学したことはあまり知られていない。
 結局、神父になることはなかったが、長崎の神学校時代に机が隣だった後輩が、のちの長崎大司教になったという縁を得ることができたという。
 今も年に一度の会合があり、旧交を温めているという。この時の環境が俊雄に与えた影響もまた大きかったという。
 教育には、その子の年齢に応じた接し方があるという。就学前の児童に対しては、時には愛情に裏打ちされた体罰を以て教えることがあるべきだという。物事を理解できていない幼児に説得は無意味だからだ。
 小学生になると、物事の良しあしが分かり始めてくるから言い聞かせの方が良いという。そして、その子の人格が形成されるのが小学校時代をどう過ごすかが極めて重要だと訴えている。私たちも小学校時代のことはよく覚えていることからも、その意味がよくわかるところだ。文武両道の聞こえはいいが、「文」か「武」のどちらかしか光らない子の方が多いし、どちらにも光らない子も多数いる。
 要は文武両道をめざすなかにおいても、ひとりひとりの個性を見極める眼力が大人には求められていると俊雄はいう。
 俊雄にもたくさんの失敗があるというが、そんなことをその後の糧にできるような人材を輩出していきたいと、いまでも俊雄の思いは強い。(つづく)

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