130,000部発行
2020年9月4日
通巻第288号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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随想 飛行学校桶川分教場
鎌ケ谷市・元稲毛小校長 島津幸生
 桶川(おけがわ)市がどこにあるかも知らないまま、たしか3年前旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡地の整備のために寄附をと言うのを新聞で見て一万円であったか送金した。
 その後、復元整備に使用する木材(縦40p×横14p)の裏面にあなたの名を残しませんかと言う案内が来たので協力した。
 宛先が桶川市役所道の駅・飛行学校跡地整備課とあったので道の駅の観光施設のひとつとしての復元かと思っていた。
 今年に入り7月の下旬内覧会の案内が来て見学することにした。実際は思っていたこととは大分かけ離れていた。
 まず本格的な復元であったことだ。ここで多く(約1500名)の若者が訓練を受け各部隊に配属され閉校後特別攻撃隊の訓練場として使用されたのだ。
 正門を入ると平屋の兵舎棟があり5つの展示がある。最初の部屋は「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場と昭和の戦争」U「桶川分教場での学生生活」V(寄宿舎ベット)W「飛行学校から戦地へ」X「戦争から平和へ」となっている。
 Wの部屋に桶川文教場の教官であった伍井芳夫(いついよしお)中佐のことが紹介されていた。
 彼は32才で3人の子ども(長女満智子3才、次女智子1才、4ヶ月の男の子)がいる。
 昭和20年3月27日、壬生(栃木)から桶川の上空で2度旋回し翼を左右に振って家に分かれを告げている。3月9日付けで3人の子どもに遺書を書いている。
 4月1日知覧(鹿児島県)より沖縄の海域へ第23振部隊の隊長として出撃、2度と帰らぬ人となったのだ。最年長(32歳)の特攻隊員として立場上出撃したのであろうか。私は部屋でまたこれを記している今も涙があふれてしかたがない。
 戦後、航空総監部次長元陸軍中将川邊虎四郎は「特攻は現地の志願者が個々の判断によっておこなったもので、軍中央が正式に立案、命令した作戦ではなかった」と述べ、自分は特攻を命じていないと逃げている。
 また元連合艦隊参謀海軍大佐だった淵田美津雄は搭乗員の熱意に発し当時の第一航空艦隊司令長官大西瀧治郎により創始されたものであり自分は特攻と無関係とGHQに陳述書を提出している。(講談社現代新書一ノ瀬俊也「特攻隊員の現実」より)共に情けない人間である。
 学生の頃であったろうか、祖母が台湾で国防婦人会の会長をしていたせいか、特攻隊員で遊びに来ていた若い彼が「おばさん僕はまだ死にたくない」と母に言ったという話が私には忘れられないのだ。桶川分教場は今平和祈念館になっている。今年は戦後75年目になる。

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