130,000部発行
2020年7月3日
通巻第286号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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想い出の人
 今から20年前に千葉県信用農業協同組合連合会会長を務めていた岡田保氏にはいろいろお世話になった。当時は野田市の県北農協組合長で、国会議員染谷誠氏の支援者であった▼小生は東京の出版社に勤めていた頃、全農事件を取材し東京地検特捜部の捜査を受け参考人として取り調べを受けたが無罪放免となった。これを機に柏市でタウン誌の編集に関わるようになり、岡田氏と知り合った▼岡田氏とは気があい県北農協のイベントなどに協力した。ある日、柏市の焼肉屋に誘われ、ご馳走になった。岡田氏は今の現市長はダメだから小生に野田市長になってくれと打診された。「とんでもない。家は千葉市なので野田まで通勤するのは絶対無理です」と断った▼当時国会議員であった染谷誠氏は選挙資金が必要になり、染谷自身の家・屋敷を県北農協に売りたいと岡田氏に提案したが正義感の強い岡田氏それを拒否した。これを機に染谷氏と岡田氏は仲違いになった▼染谷氏は岡田氏を恨むようになり川間の親分に相談したが、先を悲観した染谷氏は自殺した。染谷氏の取り巻きは「岡田が染谷を自殺に追いこんだ」ということになった▼2000年10月25日午後一時頃、松戸市の愛人宅のマンションで岡田氏は携帯電話の充電コードで自殺した。小生は不審に思い関係者に取材したが、睡眠薬を飲み幻覚症状を起こし自殺したと県信連幹部は答えた。土砂降りの岡田氏の葬儀に出席したが、誰かに殺されたと確信した。(正)

お詫びと訂正
 先月号の「想い出の人」欄で箱田氏が70坪の減歩分をA氏に便宜を図らったと報じた件について、A氏関係者より間違い報道であると入札資料を提示し訂正して欲しいと申し入れがありました。確認したところ、確かに適正に入札が行われ高額入札のA氏に落札していたことが判明しました。便宜を図ったとの記事は誤りでしたのでお詫びして訂正させていただきます。

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主張 政府の赤字は国民の黒字である
稲毛新聞論説委員 入野守雄
 我国の国内の金融資産は約3800兆円もあり、海外に持つ金融資産は1200兆円あって合計すると約5000兆円になる。国内の3800兆円の内2000兆円は民間が持っている。
 たとえば大企業の内部留保金は500兆円以上ある。政府の借金である国債発行残高は約1200兆円。1200兆円の国債を日銀は500兆円買っている。日銀が500兆円政府に貸したことである。
 国債残高1200兆円ー日銀貸付500兆円=700兆円で政府の借金は700兆円に減った。 政府の子会社である日銀は円を発行して政府の借金500兆円返済したので、500兆円の借金を日銀が抱えた。
 すると日銀の借金が増え、債務超過になり日銀が破産すると言う連中が巷にあふれ出す。これは唯物論で通貨を金銀の物質としてしか見ない新古典派経済学である。
 日銀は1万円発行すれば国民にたいし1万円の負債と1万円の現金を持つ。1万円を受け取った国民は1万円の債権を持つ。日銀が円を発行出来るのは金銀があるからと金本位制論者は主張し、多くの国民もそう思っている。
 日銀が円を発行出来るのは国に製品、サービスを提供する供給能力があるからで、もしなければハイパーインフレ(年間130倍)と言う悪性インフレになる。
 世間が問題視する1200兆円の政府の借金は誰が貸したのか?日銀と国民が貸した。約半分は日銀が貸し、残り半分は金融機関が貸した。
 日銀も金融機関も国民のものである。
 政府の貸借対照表で表すと貸方に借金1200兆円、借方に1200兆円の現金と記載する。
 政府が国債を発行すれば現金を持ち、その現金で政府は役人、議員に給料を支払い公共投資、技術投資で国民は豊になる。
 国の予算の財源を財務省に聞くと税金と答えた。税金は来年3月に決まり、渋々国債発行と答えた。が正式には税金とウソを言い続ける。
 コロナ対策で政府は予算を国債発行で約32兆円増やした。国は赤字だが国民は32兆円の黒字。現在は1929年の世界大恐慌と同じで、政府の仕事は国家予算を200兆円にして国民を黒字にすること。
 ケインズ経済学が大恐慌を解決したではないか。しかるに国民を赤字にする消費増税とプライマリー黒字化を続行する安倍首相や黒字化に賛成する野党は民主主義の敵だ。救世主が現れた。
 京都選出の自民党安藤裕議員である。
 彼は政府の赤字は国民の黒字と国会で主張した。同調者は10名ぐらいの少数である。国民は安藤裕議員を応援し、総理大臣にして国民を黒字にするべきだ。
 31年間増税の連続で日本だけ成長していない。しかし、伊藤隆敏、伊藤元重、吉川洋もと東大教授。土居丈朗慶大教授、浦田秀次郎早大教授、斎藤誠一一橋大教授、大竹文雄大阪大教授、八代尚宏国際基督教大教授、小黒一正法大教授が消費増税で国民を赤字にする反民主主義。NHK、朝日、読売、毎日、日経、産経は消費増税賛成で、国民を赤字にする。
 特に朝日の原真人、池上彰、月刊ハナダの花田紀凱は国民を赤字にする安倍首相と同じである。

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「きさってぃ」の自転車コーナー
東京オリンピック代表に内定
日本自転車競技トラック中距離選手 日本写真判定株式会社 中村 妃智

山頂付近で食べたホットサンド
 皆さんこんにちは!きさってぃーの自転車コーナーです。
 早速ですが報告があります!東京オリンピック日本代表に内定して頂きました。
 日頃から応援してくださっている皆様の声をパワーにしてここまで来ることができました。感謝の気持ちでいっぱいです!
 さて、オリンピックが1年延期になったわけです。当然予定されていたスケジュールは全て変更されトレーニング内容も大幅に変わりました。
緊急事態宣言も発動され、つい最近まで自粛生活が続いていました。
 テレビなどでも選手の自宅トレーニングが取り上げられたりもしていましたね。
 私も自粛期間中は、コーチからリモートで指示をもらい、室内トレーニングなどで体力維持・身体のベース作りに励みました。
 自粛が解除された現在は、オリンピック会場となる伊豆ベロドロームでのトラック練習が始まりました。
 久しぶりにトラックを走ってみたら、久しく感じていなかった、傾斜への恐怖が芽生えていて大変驚きました。
 たった数か月のことなのに……。
 最近はアウトドアで過ごすオフの時間を大切にしています。
 伊豆稜線や沼津アルプスが近い、恵まれた環境下で、山頂付近でホットサンドを作って食べたり、富士山周辺の湖畔でサイクリングを楽しんだりしています。
 オリンピックが1年延長され動揺もしましたが、現在はレベルアップのチャンスが与えられたと前向きに考えています。
 そして今から緊張のストレスを感じすぎないように、そしてこの自然豊かな遊べる環境を満喫しつつオリンピックに備えていきたいと思います。
 来年千葉に感動を与える一翼を担えるように頑張りますのでこれからも応援を宜しくお願いします!

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市民ガイド
新型コロナウイルスの影響で、催しが中止・延期となる場合があります。
千葉市美術館
7月11日千葉美術館拡張リニューアルオープン!◆待望の常設展示室がオープン。いつでも浮世絵や近世絵画、現代美術が見られます。◆来場者と空間をつくる「つくりかけラボ」始動!常に変化し続けるクリエイティブな「つくりかけ」が楽しめます。◆4,500冊の美術図書を楽しめる図書室でもっとアートに親しめます。◆2020年度も充実の企画展を開催
★千葉市美術館拡張リニューアルオープン・会館25周年記念「帰ってきた!どうぶつ大行進」▼会期・7月11日(土)〜9月6日(日)

ドライブ・イン・パーク・チバ
千葉市にクルマで楽しむエンタメパークがオープン。新型コロナウイルス感染症により様々なエンターテインメントが自粛を余儀なくされています。また、特に飲食店への経済的被害は計り知れないほど大きくなっています。この「ドライブ・イン・パーク・チバ」は自動車の中という安全な空間を利用し広く千葉市民にエンターテインメントに触れる機会を創出し、千葉市の公共施設さらには飲食店の活性化の後押しが出来る取り組みとして考案しました。▼日時・6月13日〜8月30日(日)「星空の夜市」開場・18時〜22時「STARLIGHT CINEMAZ」開場・18時30分[上映開始]19時30分▼会場・稲毛海浜公園第2駐車場
美浜区高浜7-2-2)▼http://drive-in-park.com/index.html▼参加費:星空の夜市・入場無料。STARLIGHT CINEMAZ(3000円/車1台)

シニア従業員のお仕事説明会
▼日時・7月22日(水)10時〜11時30分=生涯学習センター。7月29日(水)10時〜11時30分=畑コミュニティセンター▼内容・レジ接客など多様な働き方を紹介▼対象・60歳以上の方、各先着10人▼申し込み方法・電話で(株)セブンイレブンスタッフ応募受付センター電話0570-031-711

三陽メディアフラワーミユージアム
(花の美術館)の催し★絵画サークルセピア「作品展」7月14日(火)〜19日(日)★柴田信子絵画展「波の音」7月21日(火)〜26日(日)★ワークショップ・工作バイキング7月25日(土)26日(日)定員・各先着20名(料金500円)★日本食虫植物愛好会「食虫植物不思議な魅力」7月28日(火)〜8月2日(日)当日直接開場へ▼問い合わせ・三陽メディアフラワーミュージアム
電話043-277-8776 FAX043-277-8674

子ども交流館の催し
★オープン工房「くるくるまわる水族館を作ろう!」▼日時・7月18日(土)14時〜15時▼対象・4歳児〜高校生(未就学児は保護者同伴)▼定員・先着8名★おやこ工作「おさかなつりをつくろう!」▼日時・7月24日(祝)14時〜15時▼対象・小学生以下の子供と保護者定員先着4組★なかよし工房Aクラス「オリジナルのお弁当を作ろう!」▼日時・7月25日(土)14時〜15時▼対象・小学〜高校生▼定員・先着8人★オープンキッチン「ぎょうざの皮でエッグタルトをつくろう」▼日時・7月26日(日)14時〜15時▼対象・4歳児〜高校生▼定員先着8人(未就学児は保護者1人同伴)◆問い合わせ・子ども交流館(中央区中央4-5-1)Tel043-202-1504・FAX043-202-1503(火曜日休館)

ギャラリー古島
「夏のくらし涼・雅・粋展」6月26日(金)〜7月8日(水)*7月2日(木)休廊「-天然藍灰汁醗酵建て-藍・壺草苑のしごと展」7月17日(金)〜7月27日(月)「生田宏司 銅版画展」(新作と自選)7月31日(金)〜8月9日(日)▼問い合わせ・ギャラリー古島Tel043-243-3313(中央区春日2-25-11古島ビル2F)JR西千葉駅西友側徒歩2分。

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今月の人
リラクゼーション猫の手 代表 野澤理佐子 49歳 稲毛区在住
技術と会話で心と身体を癒す
 1971年、八千代市生まれ。人と接することが好きだった野澤さんは八千代東高校卒業後、京葉銀行に就職し窓口業務を約7年間担当した。銀行では挨拶や礼儀作法、話し方など、接客のノウハウを厳しく叩き込まれたという。結婚後は稲毛区に移り住み、出産を機に退職。3人の子どもに恵まれ忙しい日々を送っていた。
 子育てと家事で疲れ切っていたある日、足つぼマッサージ店に勤める友人が自宅を訪れ施術してくれた。その気持ちよさと身体がすっきりと軽くなったことにとても感動し「私も人を癒す仕事をしよう!」と決心。早速、近くの足つぼサロンで働き始め、努力を重ねて技術を習得した。その2年後には独立し、自宅の一室で「リフレのざわ」をオープン。野澤さんの技術力と持前の明るさ、天然のキャラクターが愛され、お得意様とその紹介で予約が埋まるようになった。
 そして、2016年11月には東寺山町のちばコープ内に「リラクゼーション猫の手」を開業。もみほぐし、リンパマッサージ、手足のリフレ、美顔エステのほか、様々なメニューを提供すると、利用者からは「店内が清潔で居心地がいい」「身体が軽くなりゆっくり眠れた」など嬉しい声が届き、すぐ人気店に。「お客様が絶えないのは本当にありがたい。今もスタッフ募集中で私が一番働いていますが、お客様が楽になったと言ってくれたら、それで幸せなんです」と笑顔。温かくフワフワな野澤さんの手も人気の秘訣だとか。
全身もみほぐし60分2980円(税別)というリーズナブルな料金と高い技術力が評価されているが、野澤さんとの会話も楽しみに通う客も多い。「特にご年配の方はご家族が相手をしてくれなかったり、お一人暮らしで寂しい思いをされている方もいます。ここで話して心も身体もすっきりして帰ってほしいです」と野澤さん。また、客が話したいのか、眠りたいのかを見極めて接したり、会話力のスキルアップを目指し今も勉強を続けているなど、プロ意識も高い。そんな野澤さんに将来の夢をたずねると「もっとたくさんの人を癒せるように、スクールを開いて施術者を育てたい」と話してくれた。◇リラクゼーション猫の手◇若葉区東寺山町422-1ちばコープ東寺山店内◇043-284-5545【取材 真田はる代】

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随筆 生活費の話

吉成 庸子さん
 陽がのびてきたのだろう。六時過ぎても街の景色は明るく空がまだ青い。
 千葉で買い物に夢中になり遅くなってしまったと気づき、急いで家路にむかったが、ああ、儀ちゃんはこの世にいないのだから夕飯の支度をしないでいいんだと気付き自分でもおかしくなってしまう。だって儀ちゃんがいなくなってからもう六年も過ぎているのだもの。
 結婚した当初「お母さん、これが生活費だよ」と七万円渡された。「これで一か月やるんですか?」「電気水道代なんかは俺の通帳から落ちる、だから食費その他こまかいものはこのお金でやって欲しい」それが安いのか、高いのか私はわからなかった。
 吉成と一緒になるまで毎日が仕事、仕事だったから。家事一切がダメだった。お料理なんてしたことないし、第一食材を買いに行ったことも全くしない。
 まあ、いいかやってみるかと私は簡単に考えた。
 そこで、翌日の夕食はすき焼きにするときめたのだった。すき焼きだったらいいお肉を買ってくりゃ、おいしいだろう、そう思ったのだ。
 儀ちゃんが出勤した後、私は千葉の三越デパートへ出かけた。すぐに地下二階の牛肉売り場で一番いい肉を400g買った。分量もわからないので,まあ400gあれば足りるだろうとかんがえたのだった。
 そのあと、しらたきや焼どうふ、ねぎや、椎茸など、野菜を買った。家に帰ってから、全部の買い物をたしてみるとかなりの金額だ。一食でこの金額、これじゃ七万円が何日もつかわからないと少し心配になったが、毎日すき焼きするわけじゃないから何とかなるだろうと、私は軽く考えるようにした。
 儀ちゃんは、銀行の朝会で「俺は女房に七万円も生活費を渡したんだ」と自慢していったらしい。
 そしたら、私をよく知っている役員さんの一人が「えっ七万円しか渡してないんですか?それじゃきっと奥さんご自分のお金使ってますよ」言ったらしい。帰って来た儀ちゃんが私に「七万円じゃ足りないか?」と聞いた。
 私は「全然足りない」と答えた。「じゃ10万円に値上げしてやろう」と言った。それから三年くらいたった。私は「お父さん、生活費少し上げて下さい。たまには花も買いたいし、ぎりぎりなんです」と頼んだ。儀ちゃんは「10万に見合うおかず食わしてもらってないんだけどなぁ」と言う。「だって生活費っておかず代だけじゃないよ。お祭りの寄付もあるし、さまざまなお金がこまかく出るんだもの。ちょっとキツイよ」私は真剣に話した。
 「わかった。じゃ、こうしようお母さんが目の玉のまわり黒くする化粧をやめたら値上げしてやろう」と言うじゃないか。
 私は即座に言った。「これは私のトレードマークですからやめるわけにはいきません!」と「それじゃ、値上げはしない」儀ちゃんもそう答え、そのまま据え置きになってしまった。それから二年位はそのままの状態が続き、その後やっと15万円獲得出来た。
 亡くなった前の奥さんの時、毎月給料を袋ごと奥さんに渡していたんだって。すると奥さんはその中からいくらかを「ハイ、今月のお小使いですよ」って儀ちゃんにくれていたそうだ。段々儀ちゃんにも部下が増え、残業させた寒い夜など、そばの一パイもごちそうしたいと思っても、お金がない。そこで奥さんにお小使いの値上げを頼んだけど、絶対に聞いてもらえなかったという。だから私と結婚した時、女房には財布は渡さないとかたく心に誓ったそうだ。それで私はあてがいぶちにされたってわけ。変な話だよねえ。

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櫻井俊雄物語(2) 転機となった牛乳配達
千葉の近代史を創った男の話 武田 弥太郎

パイロットを目指していたころの俊雄少年。(左)
吉成 庸子さん
 戦後復興都市計画の一環として千葉市に川崎製鉄が誘致されたとき、その幹部から招へいされ、川崎製鉄の社員となって働いたのが俊雄の父であった。俊雄は5人兄弟の長男としてうまれ、いまの中央区仁戸名で育っていった。俊雄はとにかく勉強が嫌いであった。ひとたび家を出ると帰ってこないことはザラで、先行きを案じた父親の意向で、先生の家に寄宿させられたこともあったという。先生のお宅には小さな子供がいたにも関わらず、快く受けいれてくれたという。とにかく親に心配をかけ通しだった俊雄だが、俊雄が遊びに出たっきり帰ってこないことを心配する母が、外に出た俊雄にずっと付き添っていたこともあったというから、札付だったのかもしれない。その優しい母が俊雄に絶対に許さなかったのが「悪口を言うこと」だった。
 叩かれたり怒鳴られたりすることはなかったというが、穏やかに「人の悪口を言ってはいけない」と諭していた。現に俊雄は、両親から他人様の悪口を聞いたことがないという。今の俊雄のやさしさにつながる根源であり、俊雄にとって両親に関する最大の思い出である。母の存在が今の俊雄を作り上げたと俊雄は感じている。
 パイロットを目指す 
 俊雄はもともと飛行機乗りを目指す航空少年であったが、そんな俊雄は一時、外交官を目指したことがあった。世界中に難民や困窮する民族が多いことに触れ、なんとか役に立ちたいと思ったからだった。そのために外国語を修めようと、一旦は上智大学に入学した。
 ところが飛行機に対する思いは募るばかり。思いを捨てきれずで、結局せっかく入学した上智大学を退学し、法政大学に入りなおすという離れ業を演じている。法政大学には航空機に関する専攻科があったからだった。
 ところがこの選択が、俊雄の運命を大きく変えることになるとは、当の俊雄は思ってもいなかった。
 俊雄の家庭は決して裕福というわけではなかったから、ほどなくして俊雄は学費と家計を助けるためにアルバイトを始めることになる。それが牛乳配達であった。
 俊雄は明治牛乳の配達のアルバイトを始めた。運転免許を持っていたから重宝されたものだった。
 近所に母娘ふたりだけでやっていた雪印牛乳の販売店があることを俊雄は知っていたが、ある日、その母親が俊雄を訪ねてきた。「うちは女二人だけだし免許持ってる人もいない。手伝ってもらえないだろうか…」。頼まれると断れない俊雄は明治から雪印に代わるが、この母娘との出会いが俊雄の将来を変えた。俊雄は単なる配達だけではなく、地域を営業して回った。俊雄の難しく考えない性格と明るいキャラクターで、顧客をどんどん増やしていった。
 その中に、のちにスーパーマーケットを展開することになる薬局経営者の親族の家があったのは奇縁だった。俊雄が起こすのちの事業に深くかかわってくることになるのだが、これは次号以降で触れることにする。
 業績を伸ばしたこの雪印牛乳の販売店は数年後、経営を元請店が引き継ぐことになったが、俊雄が参画しておおきくなっていなかったら店をたたむことで終わったかもしれなかったと俊雄は回顧している。この雪印牛乳の販売店が俊雄の人生に直接影響したことがもう一つある。この牛乳販売店の娘は俊雄よりは何歳か年長であったが、販売店の経営を手伝ったことが縁となり、俊雄はのちにこの娘を妻に迎えている。
 現在も仲睦まじく、二人三脚で様々な活動を続けている。  (つづく)

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