130,000部発行
2020年4月3日
通巻第283号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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想い出の人
 「生命だけは平等だ!」「24時間、救急患者を受け入れる」「患者からの贈り物は一切受け取らない」「差額ベッドの廃止」等、これまでの医療の常識を打ち破るスローガンを掲げて1990年の衆議院総選挙に無所属で初当選した徳之島出身の徳田寅雄さん。1994年(平成6年)に自由連合を政党化し、代表として活躍してきた▼その当時、君津市の村田さんという人の紹介で徳田さんとお会いし、いろいろお世話になった想い出がある。全国に徳田思想の病院や診療所をたくさん作り、医療改革を行いたいという話をきいた。新橋で焼肉をご馳走になった時も、とても気さくで集まった人と一人ひとり記念写真を撮り「徳田節」を聞いて感激した▼ところが徳田さんは2002年4月1日、不治の病と言われる筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患、今でも身体不自由のまま病床で療養生活を続けている。徳田さんは「トラオがゆく」(貴志真典著)という漫画本を出版、若いころの苦労話を綴っている。生命保険を担保に銀行から融資を受け、大阪府松原市に「徳田病院」を開設した▼しかし、1993年の衆議院総選挙で自民党に入党し、再選したが、日本医師会の意向でわずか3日で追放された。その後、自由連合の党首として村山改造内閣では与党入りして沖縄開発政務次官を務めた。2005年に体調回復できないとして政界を引退した。地方自治体や医師会と対立しながらも、全国各地に病院や診療所を開設した。 (正)

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連載シリーズ(6) 台湾李登輝元総統の教え
稲毛新聞主幹 佐藤 正成

東京で公演した李登輝氏
 二・二八事件、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中国国民党政権による長期的な白色テロ、すなわち民衆(当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人と日本人)弾圧・虐殺の引き金となった事件。1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われ、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。

台湾の二・二八事件
 1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた女性(林江邁、40歳、2人の子持ち寡婦)を、中華民国の官憲(台湾専売局台北支局密売取締員6名と警察官4名)が摘発した。女性は土下座して許しを懇願したが、取締官は女性を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収した。戦後の台湾では、日本統治時代の専売制度を引き継ぎ酒・タバコ・砂糖・塩等は全て中華民国によって専売となっていた。しかし、中国大陸ではタバコは自由販売が許されていたため、多くの台湾人がこの措置を差別的と考え、不満を持っていた。タバコ売りの女性に同情して、多くの台湾人が集まった。すると取締官は今度は民衆に威嚇発砲したが、まったく無関係な台湾人(陳文渓)に命中し死亡させた後に逃亡した。
 この事件をきっかけに、民衆の中華民国への怒りが爆発した。翌28日には抗議のデモ隊が市庁舎へ大挙して押しかけたが、中華民国側は強硬姿勢を崩さず、憲兵隊は市庁舎の屋上に機関銃を据えて、非武装のデモ隊へ向けて無差別に掃射を行い多くの市民が殺害された。この後、国府軍は台北以外の各地でも台湾人への無差別発砲や処刑を行っている。
 本省人側は国民政府に占拠されている諸施設へ大規模な抗議行動を展開。日本語や台湾語で話しかけ、答えられない者を外省人と認めると暴行するなどの反抗手段を行った。台湾住民の中には日本語が話せないグループもいたが、「君が代」は国歌として全ての台湾人が歌えたため、本省人たちは全台湾人共通の合言葉として「君が代」を歌い、歌えない者(外省人)を排除しつつ行進した。また、本省人側はラジオ放送局を占拠。軍艦マーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」と呼びかけた。
 劣勢を悟った中華民国の長官府は、一時本省人側に対して対話の姿勢を示したが、在台湾行政長官兼警備総司令陳儀は、大陸の国民党政府に密かに援軍を要請した。陳は「政治的な野望を持っている台湾人が大台湾主義を唱え、台湾人による台湾自治を訴えている」「台湾人が反乱を起こした」「組織的な反乱」「独立を企てた反逆行為」「奸黨亂徒に対し、武力をもって殲滅すべし」との電報を蒋介石に送っている。
 蒋介石は陳儀の書簡の内容を鵜呑みにし、翌月、第21師団と憲兵隊を大陸から援軍として派遣。これと連動して、陳儀の部隊も一斉に反撃を開始した。
 裁判官・医師・役人をはじめ日本統治時代に高等教育を受けたエリート層が次々と逮捕・投獄・拷問され、その多くは殺害された。また、国民党軍の一部は一般市民にも無差別的な発砲を行った。基隆では街頭にて検問所を設け、市民に対し、北京語を上手く話せない本省人を全て逮捕し、針金を本省人の手に刺し込んで縛って束ね、「粽(チマキ)」と称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込んだ。台湾籍の旧日本軍人や学生の一部は、旧日本軍の軍服や装備を身に付けて、国府軍部隊を迎え撃ち戦った。
 しかし、最後はこれらも制圧され、台湾全土が国府軍の支配下に収まった。犠牲者数は1万8千〜2万8千人とされている。

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主張 新型コロナで世界大恐慌勃発
稲毛新聞論説員 入野守雄
●ニューヨーク株価大暴落
 2020年3月16日(日本時間17日)、ニューヨークのダウ平均株価は最高値2万9千ドルが2万1千200ドルに暴落し乱高下を続けている。
 日経平均株価も2万4千円が1万9千円台への暴落である。
 世界は武漢コロナに恐れすぎている。
 円は360円が50年間に112円の円高になり、今回107円に高騰し円高ドル安である。円高なのに財務省、政治家、マスコミは愚かにも財政破綻を主張する。原油は55ドルが20ドルと半値の暴落で、石油業界はガソリンを半値以下で売らなければならない。
 ドルが基軸通貨なのでドル安円高で外国品は安くなり、日本品は高くなる。しかし債権大国の日本は360円貸したドルが108円のドル安円高なら108円しか返済されず大損害を被る。
 円高を阻止するには財政拡大で経済を成長させることに尽きる。
●まともな経済に戻せるのは債権大国の日本と借金大国の米国
 トランプ大統領は消費が激減しないようにドル増発と国債発行で220兆円の財政政策で減税を実行する。
 しかし、愚かな財務省、政治家、マスコミは財政破綻すると消費増税を主張する。債権大国だから安倍首相は消費税撤廃、年収600万円以下所得税ゼロ、相続税撤廃で消費を回復させるべきである。
 安倍首相のプライマリ(財政)黒字化は所得を激減させる共産主義経済である。プライマリ(財政)赤字=財政拡大が国民の所得を増やす。
●消費税とは
 消費税は「消費をするな」の税金である。
 消費が減少すれば生産も減少し労働者が必要なくなり、正規社員が非正規社員になり、無職者が増える。総労働人口の4割を非正規と無職者が占めれば日本社会は崩壊する。
 これを実行しているのが政治家、経団連、マスコミである。
 トヨタは年間2兆円の利益を上げているのに法人税5年間を安倍首相は免除した。しかもベースアップを殆どしない。
 トヨタに問い合わせたが反論しない。その後ろに共産主義の財務省、財政破綻論者の元東京大学教授の伊藤元重、吉川洋が居る。消費増税とプライマリ黒字化は緊縮財政であり即刻廃止すべきである。
 マイナス金利の金融政策を実施するヤカラや財政政策=財政出動を拒否するヤカラは反日である。
●共産主義経済(独裁資本 主義)で国家は滅ぶ
 プライマリバランス黒字化について、知己のある衆議院議員2名に質問したことがある。
 プライマリバランス黒字化は、税収が50兆円なら国家予算100兆円を50兆円にする緊縮財政であり、実行すれば国民の半数は生きていくことができないが、私が質問した代議士は二人とも政府が1000兆円の借金(日銀と国民が課した金)を抱えているから財政拡大や減税は不可能であると答えた。
 彼らはわが国が世界一の債権大国であることを理解できていない独裁資本主義者である。

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短編小説 モノレールストーリー
春の予感  作・吉成 庸子
 家を一歩出たら、春の香りを含んださわやかな風が吹きつけてきた。ああ、もうすぐ春なんだと恵子は何となくうれしくなる。差し当たって良いことなんてない筈だけど…恵子は二十六才。両親と千葉市内に住んでいる。
 祖父母から三代千葉県人だ。そのせいか千葉ほど住みよい所はないと信じている。恋人もいないのに結婚するなら千葉県の人と決めていた。勤先に向かうためモノレールの駅へ行ったら、うしろから「ケイちゃん」と呼ばれた。振り向くと背の高い紺の背広を着た青年が笑顔で立っていた。どこかで会った気がするけど…首をかしげていると「なんだ忘れちゃったの、僕だよ隣の謙治だよ」とその人は名乗った。
 「あっケンちゃん、そうだよね」恵子はビックリしてそう言った。恵子の父は材木屋、隣のケンちゃんちは大工さんだった。ケンちゃんには姉が一人いるが恵子は一人っ子だ。両家は大の仲良しで始終一緒だった。だから兄妹みたいな育ち方をしていた。ただケンちゃんは地元の高校卒業後建築家めざして東京へ行った。そして大学卒業後立派に建築士となり東京で働いている。
 休日を利用して何度か帰っているそうだが、何故か恵子とは会っていない。恵子は地元の大学卒業後、地元の会社へ勤めた。スポーツ大好きなので、現在も会社のバレーボール部で大活躍をしている。ショートカットで陽に焼けて真っ黒、高校時代とすこしも変わっていないが、久し振りに会ったケンちゃんは変わっていた。背広が良く似合う都会人にみえる。
 なんだか恵子は少し淋しい気がしたが、反面胸がドキドキしていた。「これから何処へいらっしゃるの?」恵子は丁寧な言葉をわざと使って聞いた。「今勤めている会社の千葉支社に行くのさ」と彼は答えてから「ケイちゃんは変わらないねえ。まだバレー部で活躍してるんだって」と聞く。「選手だよ、結構うちの会社強いんだ」「いいね、好きな事が出来て」彼がそう言った時に丁度千葉駅に着いたので、二人はそこで別れた。子どもの頃はプールに入ったり一泊旅行も二家族でよく行った。温泉にも一緒に入った。ケンちゃんとはよくケンカした。三才年下なのに勝つのはいつも恵子だった。
 翌日、土曜日で休日だった。練習も休みなので珍しく、のんびり家に居ると、ケンちゃんとお母さんがやって来た。東京みやげの「うさぎ屋」のドラ焼を持って。父も母も大喜び、おしゃべりに夢中だ。ケンちゃんのお父さんは仕事で朝から外出しているが、途中から合流するという。お姉さんは館山に嫁ぎ子供が二人いるそうだ。
 ケンちゃんのお父さんが到着すると、座はますます盛り上がってお酒の本数も増えていく。夕飯は近くのみどり寿司から恵子の母が奮発して特上を出前してもらった。昔話に花が咲き「ケン坊はグズだからいつもケイちゃんに泣かされてたなあ」ケンちゃんのお父さんの話に「ホントそうでしたよねえ、恵子はキカン坊でやんちゃでね。ケンちゃんほんとにごめんなさいね」恵子の母が謝ると、「そんな事あったかなあ」とケンちゃんがニコニコして言った。
 十二時近くなって一家は引き上げたが、帰り際、ケンちゃんが「明日久御飯羽奈で昼飯食べよう」と誘ってくれた。他愛ないおしゃべりが続いたあと、彼は「これから東京へ帰る」と言う。でもモノレールで恵子を送ると言ってきかない。車内に入り座席に座ると彼は指輪の箱を出してキョトンとしている恵子に「僕と結婚して下さい。誰よりも幸せにします」と言ったのだ。予想してもいなかった話に驚きながらも、恵子は何故か嬉しかった。「うん、喜んで」と恵子は答えていた。
 恵子の薬指には、恵子の誕生石の小さなダイヤモンドが美しい光を放っていた。そんな二人を乗せてモノレールが静かに走りだした。

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市民ガイド
花輪の森ウインドオーケストラ第28回定期演奏会
▼日時・4月19日(日)開演14時(開場13時30分)▼会場・千葉市民会館大ホール(入場無料・お子様連れ大歓迎です)★プログラム♪序曲「バラの謝肉祭」J.オリヴァードーティ♪歌劇「イーゴリ公」よりA.ボロディン序曲、ダッタン人の娘たちの踊り、ダッタン人の踊り♪ポップスステージほか★指揮・渡辺定路ほか▼お問い合わせ電話080-3340-6758
タンゴオグナット
〜ピアソラの世界〜▼日時・4月29日(水・祝)開演・15時(開場・14時30分)▼会場・青葉の森公園芸術文化ホール*入場料(全席指定)SS席4,000円S席3,500円A席3,000円♪プログラム・リベルタンゴ、アディオス・ノニーノ、天使のミロンガ、ミケランジェロ`70、ブエノスアイレスの夏ほか▼問い合わせ・青葉の森公園芸術文化ホール電話043-266-3511
第13回いつみ会絵画展
千葉市ことぶき大学校美術学科第5期卒業生▼期日・4月14日(火)〜19日(日)午前9時30分〜午後5時(初日は正午から、最終日は午後4時まで)▼会場・千葉市民ギャラリー・いなげ2階(千葉市稲毛区稲毛1-8-35)Tel043-248-8723連絡先Tel043-255-6784
無料社交ダンス初心者講習会
5月7日から6月4日まで毎週木曜日全5回、午後7時から8時半まで、千葉中央コミュニティセンター。内容は、キューバルンバ、タンゴを踊る。参加費無料。受付は当日会場で行います。主催は社交ダンスサークルS&Q。問い合わせ090(2535)6410石井まで  
ギャラリー古島
「アクセサリー二人展」〜紅べにいろ〜鳥居温代(七宝)高橋和恵(彫金) Tel043-243-3313 Fax043-241-3041(JR西千葉駅西友側徒歩2分)

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今月の人
小中学校の養護教諭から大学教授へ
東京女子体育大学教授 高柳佐土美さん(60歳)
大事な養護の役割
 社会をさわがしているいじめ・不登校・虐待などを含め子どもたちの精神的、肉体的な健康を察知し護るのが各学校における養護の先生である。千葉市内で養護の先生をしていて大学の先生になった高柳佐土美さんをおたずねした。高柳さんは小中高と大分県日田市出身、昭和57年3月千葉大学教育学部養護教諭養成課程を卒業、中高大とバレーボール部で活躍している。初任は草野中学校でその後幕張南小・幸町三小・稲毛小・千葉大学教育学部附属中・緑ヶ丘中で早期退職している。この間千葉大学大学院で教育学修士を修得。のちこれまでの経験を生かして東京女子体育大学の教授になっている。東京女子体育大学は東京の国立市にある単科大学で短期大学を併設し保育士、幼稚園、小学校教諭、中・高等学校の体育教師を養成している。小・中の養護教諭として長年の実体験に基づく知識は彼女ら学生がもっとも必要とする知識であり、東京女子体育大学は良き人材を得たものである。現在高柳さんは大学でキャリア支援部長をしている。また千葉大学国際教養学部で講義を頼まれたり多岐にわたり活躍している養護教諭在職中には学校保健功労者文部科学大臣賞を受けている。養護の先生は児童、生徒の健康を守るとともに児童、生徒が自己の健康の保持増進を図るために必要な能力や態度を育成することを職務としている。したがって専門的な知識や技能をもって保険管理を基盤としながら保険教育に携わるものである。具体的な職務は地域の実態により様々であるが、子どもの発育、発達の実態等の情報を的確に把握し問題を持つ子の保険指導・健康増進・保険室の整備・運営・保険教育への協力、学校環境衛生の維持改善・感染病・食中毒の予防等、子どもの健康の保持増進等、多岐にわたっている。養護教諭が専門職として学校に常勤勤務している制度は世界に類を見ない日本独特のものであると言う。感染症など今回の中国発生の肺炎等の問題もあり学校全体の日頃よりの指導は大事となる。家庭問題を含め子ども個人の問題は子ども自らが申告に来られる環境が大事である。保健室に子どもが入って来るまでに子どもには3つのハードルがあると言う。担任の先生に何と言って保健室に行くか、廊下で他の先生から声をかけられる時のリスク、保健室のドアをノックする時の緊張など、養護教諭は3つのハードルを越えてきた子にどう接するか先入観を持たずの対応が大事だと高柳さんは言う。養護の先生は子ども一人ひとりの成長に寄り添い安心安全な場所としての保健室を経営している。今月から小学校では新学習指導要領の実施となる。生活習慣の乱れを克服し調和のとれた生活の実践が子どもたちに求められている。【取材・川村文彦】

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随筆 さくらもち

吉成 庸子さん
 久しぶりに千鳥ヶ淵に行った。桜のつぼみがほんのり紅色に染まっている。
 ああ、もうすぐお花見の季節になるんだと思ったけど、今年は新型コロナウイルス騒ぎで何もかもダメ、淋しいし、残念だけど用心するに越したことはない。それに私なんて年齢だもの、かかったら死んじゃうものね、きっと。
 今から20年近く前になるんだろうか?春の夕暮れのことだった。
 玄関から「お母さん、ただいまー」という儀ちゃんの声が聞こえてきた。
 寝転がって、推理小説を読んでいた私は、飛び起きて玄関へ走った。儀ちゃん帰宅の際、玄関までお出迎えしないと、ご機嫌が悪いから。三つ指ついてまでは要求しないけど、「お帰りなさい」と玄関に座って彼のカバンを受け取る習慣になっている。
 それにしても今日は、社外で会議が入っている筈、予定より早いなぁと思いながらも、ひざまづぃて「お帰んなさい」といった。
 「ほら、これお土産だ」上機嫌で儀ちゃんがポケットから、大事そうに取り出して小さな紙に包んだものをくれた。中身はさくらもちだった。それにしてもカタチばかり紙にくるまれているだけなので、ゴミだらけなのだ。こりゃ食べられないと思ったが、口に出さず、儀ちゃんに続いて居間に入った。おばあちゃん子だった私は、幼いころから「よくお留守番してたねぇ。これお土産だよ」と祖母からお土産をもらうくせがついていた。本当に祖母は、よくお土産を買ってくれたものだ。その癖が抜けきっていなかったのだろう。
 私は儀ちゃんと結婚してから、玄関で出迎えた折、つい「お父さん、おみやは?」と手を出してしまった。
「おみやってなんだ?」儀ちゃんが不思議そうな顔をして、私に聞いた。
「ごめん、ごめん、つい子供の時の癖が出ちゃって。お土産のことよ。よくおばあちゃんが、出かけると必ずお土産屋で買ってきてくれたんで、それが楽しみでね。ほんとにごめんなさい。つい昔の癖が出ちゃって」「ふーん」彼はバカにしたように、その返事をしたけど。それから数日後、「ほら、お母さん、お土産だ」と言って、頂きものかもしれない、羊羹を持って帰った。「嬉しい!」喜ぶ私を見てからだ。
 それから儀ちゃんは時々、お土産を持って帰るようになった。
 その日も儀ちゃんは背広を部屋着に着替えながら「お母さん、早く食べなさい。櫻もちだぞ、初物だろう」という。
 「今日の会議に出たんだよ。皆美味しいって食べてたけど、俺はお母さんを喜ばせようと思って食べずに我慢してもって帰ってきたんだからな。
 儀ちゃんの言葉に「有難う」と言ったものの、口に入れるには抵抗があった。
「なんですぐ食べない?」儀ちゃんがしつこく言う。
 仕方ない、目をつむってエイと口に放り込んで、急いで飲み込んだ。ゴミも一緒に。今だったらポケットのゴミに新型コロナウイルス菌が付いてて、私かかったかもしれないと、あの時を思い出して懐かしんでいる私だ。

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