130,000部発行
2018年4月6日
通巻第259号
年間郵送購読料3,000円
発行責任者/佐藤 正成
発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
星霜録
連載シリーズ(6)
主張 入野守雄
セイギくん
随筆
短編小説
今月の運勢
市民ガイド
今月の人
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テーマ「最近感動・感激したこと」
暗いニュースが多い中で、最近感動した出来事は、「平昌オリンピック・パラリンピック」で日本選手が活躍したことが一番多くあげられました。
とくに、日本の女子スケートのメダル数は高木姉妹の活躍で、過去最高という結果をもたらし、さらに、羽生結弦選手の金メダル、女子カーリングでSL北見チームの銅メダル、パラリンピックでも大きな活躍を見せてくれました。平昌オリンピックを契機に、北朝鮮と韓国の対話が始まり、戦争の危機がひとまず収まったことは大きな出来事でした。
平昌オリンピックで日本選手の活躍
平昌オリンピック
やっぱり冬季平昌オリンピック(白旗・青坂美代子)。オリンピックでのメダル数はよかった。北朝鮮の出場で面白さ半減(稲毛・森田美恵)。冬季オリンピックで金・銀・銅を取られた方々の今までの苦労を聞いて感動しました(匿名)。冬季オリンピックで日本勢の活躍ぶり(幸町・中村春雄)(花見川・高橋正司)(稲毛東・島津千代子)。平昌オリンピックで日本選手が活躍したこと(園生・高張実)。オリンピックで日本がメダルを13個とったこと(仁戸名・高澤正二)。オリンピックでの日本のがんばりにつきます(千城台南・匿名)。オリンピックのメダリスト達、本当に素晴らしいと思うし、頑張ってきたんだなと思う(作草部・立花裕司)。冬季オリンピックの中で過去最高のメダル数でしたし、小平さんや高木姉妹、フィギュアスケートの羽生君など、感動のプレーがたくさんで、久々に熱くなれました(幸町・大浦穂乃香)。オリンピックにおける日本女子の活躍(登戸・市角明)。平昌で輝いた女子選手達。勇気・気品・リスペクトと思いやり、そして笑顔(四街道・島崎冨士男)。平昌オリンピックスケート金メダリストの活躍(高洲・佐々木靖隆)。小平奈緒さんの金メダル(高浜・住村信江)。スピードスケート小平さんの大活躍金メダル銀メダル獲得(白旗・佐々木英咲)。平昌オリンピックの小平選手と李相花選手(四街道・松戸健夫)。オリンピックの小平さん、カーリング女子、高木姉妹には感動しましたし、元気をもらいました(あやめ台・一森万亀美)。今回のオリンピック競技のパシュートで滑り方は芸術のごとく美しく何といったらよいか、また金メダルを取るなんて、すごく感動しました(四街道・粟村道生)。平昌オリンピックのスケートで金メダルをとったパシュートの勝利(六方・泉谷正誼)平昌オリンピックです。金メダルの羽生結弦、小平奈緒、高木菜奈、高木美穂、カーリングの方たちです。特にカーリングの実況中「そうだネー」日本語の言葉が聞こえて最高でした(あやめ台・後藤貞子)。オリンピックの小平選手、パシュート、カーリング本当にかんどうしました。素晴らしかった。他人の私でもこんなに嬉しいのだから、選手の御家族の喜びと感動はいかばかりか。選手の皆さんお疲れさまでした(小仲台・河内桃子)。高木姉妹のスケート(稲毛・富山訓歳)。冬季オリンピックカーリングがメダルをとり、チームワークの良いところが(団結)これにつながったと思いかんどうした。北見市ガンバレ!(小仲台・寺田純子)。冬季オリンピックのカーリング女子です。試合も感動しましたが、それよりもインタビューに感動しました(山王・斉藤三樹夫)。スケート羽生君が2連勝金メダル獲得した事(稲毛東・渡邊幸子)(園生・丸山宗男)(花見川・相馬英治)(小中台・高須絹枝)(高浜・住村直希)(稲毛・富山輝章)。やっぱりピョンチャンオリンピックのフィギュアスケートで故障をのり超え金メダルを羽生結弦君がみごとに取ってくれた事です(みつわ台・宇都俊一)。羽生結弦選手が金メダルをとった事です。イケメンだしスタイルも良いうらやましいです(高洲・高野翔太郎)。平昌五輪フィギュアスケート男子羽生さんに感動しました。ほんとうに素晴らしかったです(小深・室賀とき子)。オリンピック、パラリンピックで日本選手が健闘したシーン(小仲台・富永政美)。パラリンピックで日本勢がメダルを沢山とったこと、身体は不自由でも心は自由だと感動しました(高浜・河野千絵美)。パラリンピックの選手の活躍に毎日感動をもらっています。オリンピックもすばらしかったですが、ハンディをかかえながらもそれに打ち勝ち努力し続ける姿は本当に美しいと思います(四街道・三角ひろ子)。パラリンピックで女子アルペン大回転で金メダルの村岡桃佳選手、勇気と感動をうけました(長沼原・原田敬子)。パラリンピックの女子アルペン大回転の村岡桃佳選手が急斜面を滑り降りる姿を見て、ハンディのある人とは思えませんでした。どんなに努力されたのかただただ感動しました(稲毛・斉藤静子)。パラリンピックの選手の頑張りとその結果(高洲・宇都宮亮)。平昌冬季パラリンピック、日本選手の笑顔と活躍に感激です。腰痛ぐらいでグズグズしてはいられないと頑張る気持ちがでました(幸町・栗原正子)。オリンピック・パラリンピックでメダルをとり国民を喜ばせてくれた選手の皆さん日常の努力の積み重ねに感動致しました(朝日ヶ丘・福田幹子)。
家族のこと
妻が作ってくれたケーキ(小仲台・横田邦明)。昨年春から書道を習い始めた小学校2年生の娘が、県書初め展で受賞し、立派な賞状を頂いたこと(園生・斉藤比呂子)。孫が幼稚園の発表会ではつらつと演技をしていたので、その成長ぶりに涙がでました(高品・高見澤雅代)。孫が大学に受かった事(高浜・古川さつ子)。授業参観で小学校4年生の息子が将来の夢はプロ野球選手になること、ドラフトで選ばれるか、社会人野球までいって選ばれるかと細かく皆の前で発表していたことでした(佐倉・小原康子)。子どもの成長。最近はうんちやおしっこをしたら教えてくれるようになった(ちゃごぼーい)。最近姪が産まれました。とてもかわいい(小仲台・服部千佳)。小三の孫が県の百人一首大会で三位入賞したことです(花見川・斎藤邦昭)。娘がおめでたになり2子目が生まれるのでうれしいです(千城台南・匿名)。一人息子が英会話スクールで1番になったことです(東京・最上妙子)。一人でごはんを食べられるようになった。一人で歩けるようになった。一人で階段を上れるようになった。一人でできることが増えた我が子(高洲・藤本広樹)。孫がカナダから手紙をくれました。もう1人の孫が高校合格したこと、二人も嬉しいことがあって感動しました。ありがとうです(宮野木・奥山悦子)。工作、お菓子作りが好きな小学2年の孫に編み物を教えましたがまだむずかしいようですが、一本の長い紐が完成。花・ハート・ポシェットを作ってあげ、縫いぐるみに夏用冬用の衣装を作りましたらほめてくれたのですごくうれしくなりました(高洲・戸沢恵子)。
嬉しい体験
2月に卓球大会のミックスダブルス戦5戦全勝で3千円賞金を獲得したことです(園生・宮澤良平)。電車内で若者から座席をゆずられて感動しました(園生・野口一歩)。一月に白内障の手術をしたら世の中が明るくなった(園生・諸石早苗)。2月26日(フロの日)に日帰りで温泉に行って来ました(バス旅行)。家で猫を飼っているので泊まり込みは出来ません。留守番の猫ちゃんにお土産の干物を買って帰りました(高浜・鈴木晴)。特賞1万円をもらったこと。なんとなく、なくなりました(高洲・河口C司)。野菜が高くて食べられませんでしたが最近安くなり嬉しくなり料理も楽しいです。感動しました。これからも安くなることを期待してます(祐光・坂本麻衣子)。昔の友人から電話がきて話ができたこと(桜木・小野智子)。好きなアーティストのライブで感動した!!(作草部・喜田はるか)。大好きなアーティストのLIVEに行った事です。LIVEだから味わえる沢山の感動があります(園生・櫻井美紀)。大学卒業後連絡がとれていなかった仲間達があつまりました(長沼・大曾根孝子)。昨年11月頃からキルトを始めて今年になり自分のリュックを作りやっと3月15日に出来上がったのでそれに感動しました(小中台・安田美枝子)。スーパーの出来事ゆずりあい。子供のかわいい笑顔、ママさんの育て方が良いこと(真砂・藤代幸子)。赤信号の中横断歩道を渡っていく老夫婦の前に自転車を放り出し飛び出して車を止めた若者に感動した(長沼原・吉田孝子)。昨年の事、人々がせわしく行きかう蘇我駅構内通路で飛べない鳩の雛がよちよち歩きしていた。またそこを通ったら親鳥が口を大きく開けた雛に嘴を入れて懸命に餌を与えていた光景を見た。人混みを意に介せず餌を与える親鳥の雛への愛情に心を強く打たれた。だいじなものを鳩に教えられた思いである。親子共に元気でいるかな(浜野・柳澤範光)。太極拳を習い始めて15年になりますがこの度めでたく師範の資格が取れました。私は資格が欲しいと思っていなかったのですが、夫が皆に自慢したいから取りなさいといってくれましたので試験を受けて無事合格しました。夫がよろこんでくれ感激しました(長沼・匿名)。
自然のこと
冬の寒さに耐えて、春になると毎年可憐な花を咲かせる、庭の梅と杏にはいつもながら感動してしまいます(みつわ台・黒澤博子)。稲毛海岸駅前のマリンピアの周辺に河津さくらが満開、めじろが遊びにきて桜にまつわりついて!寒いのに桜を観れるとは(高洲・萩原貴美子)。寒さで花が瀕死の状態。なんとかして元気にと思い土を入れ替えあの手この手…数十日したらなんと葉も元気になりやがて花が咲いた。今も咲き続けてます!!(作草部・渡辺満男)。2月21日にスナップエンドウの種蒔きをして18日目にワカブキ色の芽が出て来たので感激しました(小仲台・森田一雄)。
ラジオ・TV・新聞
ラジオで岩崎ワタルの5行の美しい歌(詩)を聞いて感動した(千種・土谷よし江)。先日の新聞で私の母と同じ位の女性が毎日小走りで1時間も走っているとの記事を見て感動しました(松波・中村チズ子)。先週テレビを見て感動したこと、百三歳とか百歳の方が現役で農業に精出していた人を見て私もちょっとばかり働く気になりました。でも中々思い通りにはなりませんネ(松波・中村千代子)。最近テレビで百歳の方が現役で山仕事や農業に従事しているのを見て涙が出てきて、自分も少しガンバル気がでてきました。でも口では言うが出来ません。何とか頑張り少しずつ動く様に努力しています(松波・菊池安佐子)。将棋で初めて永世7冠達した井山裕太の国民栄誉賞の授与に感動しました(朝日ヶ丘・横須賀和男)。シャンシャンのかわいさに今でもメロメロです(小仲台・高木歩美)。
山本甲士の「はじめまして、お父さん」を読んで感動しました(小倉台・中村潤)。映画「北の桜守」を観て感動しました(八千代・牧けい子)。サイエンスアワーTV後編。17歳までガンバッて生きた難病(プロジェリア)のアシューリちゃんの言葉「また生まれるとしたら私に生まれたい」に感動(桜木・宮本裕子)。
政治のこと
北朝鮮とトランプ(船橋・土屋直子)。
特にない
(園生・喜多信枝)。(椿森・上田晃之)。(高洲・藤崎貞雄)。(稲毛・富山善弘)。(稲毛・富山厚子)。毎日単調な生活なので刺激が欲しい(幸町・関義男)。よく考えて、いろいろ探してみたけど今現在みつからず、これから探して生きていきます(真砂・関文子)。残念なことですが、最近は感激、感動した出来事が無く、平凡な毎日を過ごしています。それが良いのかも?(稲毛の住人)。昔は映画を見ても感動して、夜眠れないこともありましたが、最近は年のせいか感動することが少なくなりました(幸町・中村陽子)。 以 上
読者の声
消えた黒砂小学校
千葉市内に新設される学校がある中で、昨年までに消えた学校は14校、その中で合併・統合され新たな学区が造られ再出発した学校は7校。今から40年前、幕張小でのこと、戦前につくられた木造校舎が壊されたその日、夕食のため入った近くの店で、ひとり飲んでいる人がいた。話しかけたところ「自分たちが学んで来た木造校舎が壊され、なくなっていたのをかなしんでいる(私には泣いているように見えた)のだ」と言う。
多くの学校に、それぞれに歴史があり、地域にまた歴史が出来る。明治5年(今から146年前)学制が公布された。千葉市内にももちろん学校(当初は4年)が作られた。
千葉市内で最初に出来た学校は、犢橋小学校で明治6年1月18日。以下2月に新宿小・本町小・登戸小・生浜小、3月1日が蘇我小・検見川小・稲毛小・幕張小で、3月20日が畑小、5月1日白井小、5月11日寒川小、5月20日椎名小、8月15日都小、10月16日更科小、明治7年開校は都賀小・園生小・横戸小・誉田小で明治8年黒砂小、明治9年土気小が出来ている(平成13年発行千葉県小中学校校長会編「校長会50年の回想と展望」)による。
千葉市内で20番め、明治8年に出来た黒砂小学校、しかしその名は今の学校名にはない。どのような歴史を歩んだのかみてみたい。黒砂小が出来る明治8年、前年には「小学校維持費負担過重反対」の農民一揆が各地に発生している。当時黒砂地区は戸数81、人口469人、今の黒砂四丁目に開校した。児童数男37名・女1名計38名。この当時の多くの学校のスタートはお寺・旅籠・民家等などが多いが、新築校舎であった。しかし残念ながら財政困難によりわずか12年で登戸小学校に統合され黒砂分校となってしまう。
その後明治41年千葉師範(今の千葉大学教育学部)学校の附属小学校(猪鼻町にあった)が学区制をとっていたため、村地区における小学校教育の研究を目的とし黒砂分校は、千葉師範附属第二小学校と衣替えする。昭和の金融恐慌時代3年、再び登戸尋常小学校黒砂分校になり、25年後の昭和28年弥生小学校開校に伴い同分校となり翌年廃止され校舎は公民館となった。昭和39(1964)年、弥生小と登戸小の学区の一部を持って緑町小学校が創立されるに当たり黒砂地区は緑町小の通学区となる。
緑町小開設準備の過程では「仮称黒砂小学校」となっていたが、当時の緑町町内の陳情により緑町(みどりまち)小学校と名称が変更され開校になっている。
学校の歴史は地域の歴史だ。この施設は元○○小学校だった、がこれから増えるのだろうか(鎌ヶ谷・元稲毛小校長・島津 幸生)。
私を助けてくれた人へ
「去る2月23日(金)午後5時頃、私が羽田空港からリムジンバスで稲毛のバス停で降りた時に私の不注意から足を踏み外しバス停の柱に激突、左肘と左ひざに激痛を覚え地面に叩きつけられ起きあがれずにいた処、偶々通りすがりの見ず知らずの2人の介護士の方の咄嗟のご好意から私を立ち上がらせ抱きかかえ頂いた上、救急車の手配までして頂き私が救急車に無事乗るまで待機頂きました。
見ず知らずの私(82歳)に対するこうした心温まるご親切な言動に接し、私は大変な感動を覚え感謝の気持ちを何とか伝えご恩返しをしたいと思い、お二人にお名前、連絡先、電話番号等を是非教えて頂けないかと何度も伺いましたが、お二人とも、「当たり前のことをしているだけですから」と云って、お答えになろうとされませんでした。
私を抱え上げて下さった女性の方は、稲毛在住で、船橋で介護士の仕事をされているというだけで連絡先等は一切不明ですが、最後にお名前だけでもとお訊きした際に、「大島さん」と云われてました。
救急車の手配をして私が救急車に乗るまで見届けて下さった若い男性は、稲毛駅に近い稲毛東あたりに住んでおられ、某病院で介護士の仕事をされているとのことでしたが、お名前は「いままきさん?」といわれたようでしたがはっきり聞き取れませんでした。
私は、救急車で最寄りの稲毛病院に担ぎ込まれた後、レントゲン検査の結果、左肘は完全に骨折、左ひざは出血打撲傷と判明、2月24日(土)に、左肘手術の為の一連の検査を 4時間かけて行い、2月26日(月)に稲毛病院に入院、2月27日(火)に、全身麻酔による左肘の手術を受けました。 幸い術後の経過は良好で、左肘の痛みと腫れ、熱感は顕著に残っているものの、あとは外来でリハビリに精を出すようにとの条件付きで、1週間振りに退院することが出来ました。
今の世の中、老人をターゲットにした殺人、窃盗等暗い話が多いなかにあって、上記のような感謝、感動を伴う明るい善意・実話があることを是非読者の皆様に判って頂きたいとの思いから投書しました(稲毛区・上田義晴)。
誰が書き換えたか
一年も前から騒いでいた森友問題も黒幕が出ていよいよ解決されそうだ。週刊誌に安倍夫妻の犯罪の真相、麻生さんの責任転嫁とあったが9億円もするのに1億円で何の関係も無く売却は疑問に思う。佐川・昭恵氏は民間人だから証人喚問できない。
籠池氏も民間人なのに喚問されたがこんな言い訳は通らない。職員の自殺の遺言で書き換えを認めたことなのか。なぜ遺書を公表しないのか。安倍氏は麻生氏の責任、麻生氏は佐川氏の責任とたらい回しで佐川氏だけが餌食になった。
昭恵氏はいい土地だから前に進めて下さい、名誉校長として園児に総理大臣は偉い人と言わせたり我が者顔にしているのに関係ないのは納得できない。
安倍氏は私と妻が関係していれば総理、議員を辞めると言っているのでやめるのか、この発言によって官僚が特殊性、特例的な内容とし忖度が働き書き換えたのか、又、上からの命令なのか、太田局長も首相答弁を否定していない。誰が書き換えたか国民は知りたいと思う。
佐川氏の喚問で驚くことになるかも知れない。国会前では大勢の人が集まり安倍辞めろと叫んでいる。
佐川氏を長官に抜擢しかばってくれると出世させるとみせつけていたが大騒ぎになり首にしたが佐川氏は操り人形でナポレオンの百日天下のようだ。
佐川氏ばかりを責めないで昭恵・平沼鴻池氏等も調査すべきだ。
安倍氏は今となって友達ではないと訂正している。百万円問題でも昭恵氏は出てこず籠池氏だけが喚問され牢獄に入れられ、うやむやになっている。加計についても安倍氏は理事長とゴルフをやる仲なので関係ないとは言えないので調査する必要がある。国会招致は参考人招致より偽証罪に問われる可能性があり証人喚問の方がより重い書き換えは虚偽公文書作成罪である(花園町・岩井 秀夫)。
迷子の通報をした方へ
3月9日20時頃、親子3人で稲毛ペリエで買い物中2歳の娘が迷子になりました。ペリエの方に迷子放送を流して頂き館内を捜しましたが見当たらず娘と2度と会えなくなるのでは?と不安な気持ちで仕方ありませんでしたが主人が稲毛交番へ連絡したところ近隣のイオン付近で娘らしき迷子の通報が入っているとの事で急いで交番に向かいその後、私達の元へ戻る事ができました。
この日から娘をより愛おしく思い、改めて大切な存在だと強く感じました。あの晩一人で歩いていた娘を見かけ稲毛交番に通報して下さいました方、本当にありがとうございました。
こうしていつもの娘の笑顔が見られる事を心から感謝申し上げます。そして娘を早く保護してくださいました稲毛交番の皆様とお忙しい仲娘を捜し続けて下さいました稲毛ペリエのスタッフの方々、本当にありがとうございました(星野)。
元千葉教会牧師の死
昭和51年から平成10年まで日本キリスト教団千葉教会で牧師を務めた、高倉田鶴子氏が高崎の博仁会第一病院で2月1日心不全のため91歳でなくなられた。
喪主は夫で牧師の謙次氏。高倉氏は東京女高師(今の御茶の水女子大)東京神学大学を卒業。昭和34年より東京下町の深川教会で17年、その後千葉教会へ。
昭和51年より平成10年までの22年間、千葉教会再建のため夫婦で尽力されている。退職後館山で南房教会設立などキリスト教の普及に努めた。
東洋英和女学院、女子聖学院の中・高等部で宗教主任、日本基督教団全国教会婦人会委員長等歴任している。合掌(報告・川村文彦)。
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