130,000部発行
2017年6月2日
通巻第249号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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論壇 祝日を増やすべきではない
成田市 上田 真弓
 今年2月7日の東京新聞に、祝日のない6月に「川の日」を作ってはどうかという投書が載っていた。
 昨年5月14日の読売新聞の投書欄には、6月10日の「時の記念日」を祝日にしたらどうかという意見が載っていた。
 昨年5月22日の朝日新聞の投書欄には、8月11日が「山の日」になって祝日がないのは6月だけになったので、梅雨の季節の6月に「雨の日」を作ったらどうかという意見が載っていた。
 私が気づいただけでも、これだけ6月に祝日を作ろうという意見が新聞に掲載されていた。ラジオでもそのような意見を聞くことがある。この稲毛新聞6月号が発行される頃には、同じような意見が次々と出ているだろう。
 しかし、私はこれ以上祝日を増やすことに反対だ。 7月に「海の日」ができて祝日の定義が曖昧になったと心配していたが、案の定「海の日」があるなら「山の日」もという発想で祝日が増えた。
 それなら「川の日」「湖の日」「空の日」もありうると思っていたら、やはり次々と意見が出てきた。
 「海の日」は祝日がない7月に休日を増やす目的で作られたとしか考えられず、何を祝う日なのか理解している国民はほとんどいない。
 明治天皇が船で巡幸した日に合わせたとのことだが、こじつけとしか思えない。「山の日」も祝日がない8月になったが、6月は梅雨の季節で山登りに適さないから外されたのだろう。
 祝日がない月に祝日を作ろうという発想は、根本的に間違っている。「雨の日」にいたっては、理由は何でもよいから休日を増やしたいだけで、それなら「雪の日」「太陽の日」「雲の日」「風の日」等々、なんでもありになってしまう。
 何かの出来事に由来して記念日にするとか、数字の語呂合わせで何かをPRする日にすることは自由だ。しかし国民の祝日とは、そんなものではない。 以前は旗日とも呼ばれ、日本中で国旗を掲げ、国民みんなでお祝いした日が祝日本来の姿だ。それにふさわしいかどうかを考えなくてはならない。ふさわしくなければ廃止してもよいくらいだ。
 休日を増やすだけの発想では、祝日の意義がますます分からなくなる。
 日本の歴史・文化・皇室の役割を考えると、天皇誕生日を祝日とするのは当然だろう。
 また、明治天皇の誕生日が文化の日として、昭和天皇の誕生日が昭和の日として存続しているように、今後も元天皇の誕生日を祝日として残すなら、今後祝日は増える一方だ。
 その点から考えても、祝日は増やすべきではない。むしろ減らすことを検討するべきだ。

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韓国の世界遺産訪問して 吉野まり
現世に花開く百済文化〜公州・扶余・益山〜
 5月17日から20日までに日程で百済世界遺産センター主催の文化招聘事業に参加し、百済文化の重要な鍵である公州・扶余・益山を巡った。
 朝鮮三国時代に優れた文明を誇った百済(346年〜660年)は、新羅と唐に滅ぼされた国として韓国内での関心は低かった。近年になり百済文化が世界遺産に多数登録されたことなどで再評価され、発掘調査が進んでいる。今なお発掘され続ける古代遺跡は現代におけるロマンである。仁川空港からバスで二時間ほど走ると忠清南道中央部に位置する公州市に入る。まず訪れたのは宋山里古墳群。青々と茂る芝生に王族の7つの墓が群集している。
 1971年、6号古墳の排水工事中に偶然発掘された武寧王陵は第25代王の墓で、三国時代115名の王の中で唯一主人公が確認できる貴重な古墳である。棺の材質は日本の松であり、納められていた貨幣は中国のものだという。当時の東南アジア間における交流の深さがうかがえた。古墳群に隣接する国立公州博物館では武寧王陵の墓が再現され、凝った造りの壁画、国宝を含むきらびやかな装飾品や王の墓を守る石獣などの文化財が鑑賞できる。
扶余は百済時代の最後の都。百済はその歴史の中で幾度となく焼き討ちに会い、文化財は焼失し建物の設計図も残っていない。
 定林寺境内の五層石塔【写真】は木塔の建築を生かして建設された。黒く焼け跡を刻むこの石塔だけが唐軍による焼き討ちを逃れ、百済滅亡を見届けた。 定林寺址から徒歩十分ほどの国立扶余博物館がある。常時展示されている国宝「百済金銅大香炉」は、1993年の厳冬に田圃から出土された。
 韓国では当時、新聞の一面を飾る一大ニュースになったという。緻密なデザインに長けた美しい香炉は一見の価値がある。近隣には百済30代の王として即位した武王が王宮の離宮に作った巨大な人工池、宮南池があり、この時期から夏の盛りまで色とりどりの蓮の花が楽しめる。
 武王が遷都した都という説がある益山市には、多数の遺跡が残る。王宮里遺跡は百済最古の庭園遺跡、金やガラスを生産加工した工房などがあり、王室の生活がうかがい知れる。
 2015年に世界遺産に指定された弥勒寺。その西側にあるのが韓国最大、最古の石塔である。
 日韓併合時代に崩壊を止めるためコンクリートで補強されたが、その後解体され、現在も修復作業が進められている。近年中に復元された姿で蘇るという。
 三市を巡り、失われた百済文化が現代に息づいていると感じた。

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