150,000部発行
2016年10月7日
通巻第241号
年間郵送購読料3,000円
発行責任者/佐藤 正成
発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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読者論壇 成田市 上田真弓
台湾の烏山頭ダムを訪れてほしい
近年、台湾を旅行する日本人が増えていることを大変嬉しく思っているが、日本人ならぜひ日本とゆかりの深い場所を訪れてほしい。そのひとつ、台南の烏山頭(うさんとう)ダムを紹介したい。私は二度訪れたことがある。かつてはこの地方一帯は不毛地帯だったが、日本人の土木技師・八田與一(石川県出身)が設計して工事の責任者となり、十年かけた大工事の末、一九三〇(昭和五)年にダムが完成した。
ここから用水路を張り巡らせて計画的な農業ができるようになり、広大な平野は肥沃な穀倉地帯に変貌して、人々の暮らしが豊かになった。ダムの畔には八田與一・外代樹夫妻のお墓があり、お墓の前にはダム工事に携わった台湾の人たちによって建てられた八田與一の像がある。
八田與一は戦時中の昭和十七年に、乗っていた船がアメリカ軍の攻撃で沈没して亡くなった。
幸い後日、遺体が見つかったため、お骨は台湾の家族の元に戻った。
昭和二十年に日本が戦争に負けて、日本人が台湾から引き揚げなければならなくなった時に、外代樹夫人は夫と苦楽を共にした台湾を去りがたく、ダムの放水口に身を投げて夫のあとを追った。嘆き悲しむ地元の人たちによって、夫人は夫と共にダムの畔の墓に葬られた。
毎年五月八日の八田與一の命日には、地元の人たちによって八田夫妻のお墓の前で慰霊祭が行なわれている。それほど八田夫妻は、地元の台湾の人たちに敬愛されているのだ。
私は十三年前にここを訪れた時、ダムの畔にある八田技師記念室という資料館に入った。ダムの工事がいかに困難であったかの説明と共に、八田與一がどんなに素晴らしい人物であったかが紹介されており、地元の台湾の人たちが八田與一という日本人を尊敬している気持ちがひしひしと伝わってきた。
五年前、ダムの近くに八田與一の一家が住んでいた家などが再建され、八田與一記念公園として整備された。
三年前に台湾人の友人たちと訪れた時、見学していた若い男性に話を聴くと、「おじいさんがこの近くで農業をしていて、このダムのおかげでお米がたくさん作れるようになったといつも話していた。八田さんに感謝したくて来ました」と言うので、私は日本人として非常に嬉しかった。
若者の顔にも、「日本から来てくれてありがとう」という気持ちが表れていた。
台湾の人たちのこの思いは本当に嬉しいものである。台湾の人々に敬愛されている八田與一のことを、ぜひ多くの日本人に知ってほしい。
台湾に行く機会があったら、ぜひ台南の烏山頭ダムを訪れてください。
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